勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

"2021年リカバリーの鍵は、脱ゼロサムゲーム"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。今年は、私にとっても皆さんにとっても感染症一色の一年だったでしょう。年初に“グローバル化からシームレス化へ”と題し、加速度的に変化する時代の中で、世界秩序再編に向けたアップデートを国家も組織も個人も続けなければならない旨を書きましたが、感染症をきっかけとして全世界へと変化の波が広がりました。

 

 私自身も、二つの事業を変更余儀なくされ、極身近な友人としか会うこともありませんでした。他方で、長い自粛や業種転換などを通じて、自分自身のライフスタイルと向き合う時間を確保できることとなり、不幸中の幸いと申し上げましょうか、前向きに楽しく日々を過ごしています。勿論、私の知人にも職を失う方、転職された方、事業を畳む方など必ずしも現状で“幸い”とは言い難い方々もおられますので、複雑なところではあります。

 

 ただ、ここで安易に“ピンチはチャンス”と鼓舞したところで、ピンチはピンチでしかない現実に於いては虚しく響き、ピンチをピンチとして如何に乗り越えるのか、という楽観論ではないリアリズム思考がより重要になってくると考えています。事業でもピポットが可能な資金力や(金融的)信用があれば良いのですが、そうでなければピンチをチャンスに転換することも容易ではありません。

 

 本稿でも繰り返し指摘してきたように、デジタル化による輝かしい生産性の向上やデジタル産業の市場拡大を招来する裏側には、省人化によって余剰人材となる層が必ず発生しますし、仮にこれを“自己責任論”として批判しても何の解決にも結びつかないでしょう。私も個人的には、自走を前提とした自己責任論者ではありますが、組織や社会単位では“如何にしてリソースを余すことなく、自走させるのか”を、社会全体で議論し対策を講じなければ社会が成立しないものです。

 

 これは何も、弱者救済のような感情論ではありません。明確なロジックに基づく国家戦略として、企業の生産性を上げつつ(賃上げ、省人化、DX)、人材リソースの価値を最大化(高齢者の経済参加、現役世代の負担軽減、学び直しの導入、地域子育ての再設計)するために必要な手段なのです。勿論、苦労されている方々を支える側面もありますが、社会全体の成長を目指した戦略として、全ての方々に関係するテーマです。

 

 だからこそ、“自己責任論”で余剰人材を切り捨てるのでもなく、ピンチはチャンスのような一部の方々を取り残す、自己啓発だけではならない筈です。少なくとも、人口減少の負担が増す現役世代が出生率を上げるために、新生児の負担も背負うような社会にしてはならないでしょう。

 

 但し、現役世代の負担も問題ではありますが、高齢者を安易に批判するような、互いの分断を生むゼロサムゲーム(勝敗のある経済理論)に持ち込むことには注意が必要です。多様性とは本来そのようなもので、多様性を確保するために、どちらか一方を排除するような価値観には逆の差別を孕んでしまいます。政策や判断はファクトを重視したリアリズムであって良いでしょうが、多様性を実現するには相手への想像力も大切ではないでしょうか。

 

 

 最後の最後に、少々息苦しい内容となってしまいましたが、まだまだ苦労をされている方々が多い中、どうしても触れておきたかったので寄稿させて頂きました。

 

 正直、本項を通して繋がっている人数は私の力不足も相まって、極々僅かな繋がりだと思います。しかし、人数とは関係なく、このような“文字の壁”を読んで下さる皆さんと繋がれていることに心より感謝しています。フォロワー数やいいね数なども否定はしませんが、一つ一つの繋がりを大切にすることも、私は好きですね。

 

 末筆になりましたが、本年もありがとうございました。来年もまた“多角的事象観測”の元、社会課題について取り上げたいと思います。大変な年でしたが、一緒にがんばりましょう。


 では良いお年を。



【2020年コラム総覧】※単体記事は含まず

「COVID-19 国民感情が引き起こす作用」3月寄稿

第1項 "政策決断に於ける3指標"

第2項 "ディストピア的出口戦略"

第3項 "イシューがTwitterの果てに"

第4項 "自粛という延長と延命の狭間"

 

「発酵経済と五感的解像度」4月寄稿

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル 五感的解像度を生きる"

 

「日本よ、目を背けるな」 6月寄稿

第1項 "BLACK LIVES MATTER を対岸から叫ぶ前に"

第2項 "口当たりの悪さの先に,喉ごしの良さが待っている"

第3項 "若者は選挙へ行こう!、は虚無の世界線"

第4項 "社会変革のための,義務教育トランスフォーメーション"

ベーシック・インカムの本質と実現性」9月寄稿
第1項 "ベーシック・インカムは実現可能というマインドを醸造しよう"(アゴラ転載版)
第2項 "ベーシック・インカムという成長戦略の世界線で”

 

「溶解する民主主義。」11月寄稿

第1項 "大統領選と都構想の先に"

第2項 "環境と人権を征する中国覇権"

第3項 "江戸の匂いを漂わせる、令和版「民主主義」"

第4項 "民主主義を溶かす 3つの幻想"

※記事を読んで下さる皆様へ.本稿の内容に興味をお持ち頂けたなら、大変に光栄です.
有難うございます. お気軽にTwitterで交流をして下さいね.

[黒川 和嗣(Kazushi Kurokawa)Twitter ]

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“民主主義を溶かす 3つの幻想「溶解する民主主義。」4/4”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。「溶解する民主主義。」をテーマに大統領選や大阪都構想、東アジア地域、長期視点の国内問題を軸として考察を行いましたが、もう少し身近な論点にも触れたいと思います。

 

 これまでの考察通り、民主主義の溶解は多角的な事象に基づいて訪れていますが、根本的な問題点としては “政治の素人化” にあります。些か乱暴な表現ではありますし、私自身も専門家ではありませんが、ここで指す “素人化” とはポピュリズムにも近い概念的な現象を指します。官僚批判もありますが、実質的に国家の運営そのものが選挙の度に一新されては、国家を運営することはできません。しかし今般は、SNSとマスメディアによって情報が氾濫してしまい、政治を左右する国民感情の影響力が高まっています。このような状況は満州事変勃発期のようで、当時のメディアが戦争を煽り、世論がそれに追随した歴史と通じるものがあります。

 

 政治とは常にTrade-offの世界であることを指摘してきましたが、ベストではなくベターであり、ゼロリスクではなく低リスクとして、“妥協的決定”の上に成立するものです。一部のメディアや野党が求めるような、ベストでありゼロリスクの政策など、幻想でしかないでしょう。

 

 今般、日本の民主主義が溶解するにあたり、抱えている幻想と構造について考察を行います。

 

「溶解する民主主義。」4/4

第1項 "大統領選と都構想の先に"

第2項 "環境と人権を征する中国覇権"

第3項 "江戸の匂いを漂わせる、令和版「民主主義」"

第4項 "民主主義を溶かす 3つの幻想"

 

■永遠の平時という幻想

 4月に続きメディアでは感染症問題が連日、取り沙汰されています。しかし、“医療現場の逼迫” “不要不急の要請” など、論点は半年以上を経ても変わることはありませんでした。ここまで医療リソースの拡充、つまり人材の確保と受け入れを行う病院が確保できなかった理由には、法的な規制問題と感染抑制が国民の努力によって成立してしまった点にあります。

 

 例えば人材問題であっても、全ての業務が医師や看護師でなければならない訳でもなく、業務やオペレーションを細分化し、水平分業として余剰人材を動かせば専門家の生産性を上げることが可能な筈です。当然ながら、素人を病棟に出入りさせるリスクは高いですが、大前提として“医療緊急事態宣言”を出しているように、緊急事態とは有事であり “準戦時下” として大胆な対策を行うことが求められます。

 

 しかし、4-6月の対策期間では日本人の習慣(マスク着用、非接触、手洗いうがい)と経済的犠牲の元、一定数の成果を納めてしまったので準戦時下としての規制緩和より、“平時のルールで如何に成果を上げるか”だけになってしまい、効果的な手段が取れずに第3波を迎えることとなりました。

 

 他方で、先日の発表では飲食店への時短営業に罰則規定を盛り込む議論がなされましたが、これは医療現場を受け皿とするなら、蛇口(発生源)を閉めない限り受け皿のサイズを広げ続けなければならない、という発想なので政策の正しさはさておき、理にかなってはいます。この点は既に医療が逼迫してしまっているので、長期的な損失を受け入れざるを得ないですが、それでも差別や報酬問題、受け入れ後の経営難など、国の支援やメディアの報道姿勢で改善できる要素も残っていることにも、目を塞いではいけません。本質は準戦時下として扱うことであり、高額報酬や大型の経営支援、国家主導の設備投資は行うべきでしょう(※1先日、医療支援が発表されました。本項執筆12/20 )。

 

 また、差別を助長する原因でもあるメディアの過剰報道は、準戦時下として規制されても然るべきだと思います。“医療緊急事態宣言”を出す以上、平時が永遠に続くという幻想を、今からでも捨てなければならないでしょう。

 

■幻想のインフォデミックとキャッチアップリテラシー

 冒頭でも述べたように、インフォデミックの影響は世論や政治と、広範囲に亘って作用しています。以前も取り上げた不要不急論は、政治的には曖昧で便利な言葉として使い易さがある反面、一部事業者(飲食、イベント、観光)の生活や仕事までも“不要不急”であるかのような疎外感を与える言葉であり、更にそれらの業種には非正規雇用が多い傾向にあるので、少数派として生きにくさを与てしまっています。また、他業種が生命活動に於いて不要不急ではないのかといえばそうではありませんし、不要不急だったとしても、人が人として生きる上で、学問、文化、コミュニケーションのどれが欠けても成立しないものです。

 

 他にも、疫学的には行動制限による感染症対策は効果を示しますが、出生率低下問題※2や現役世代の失業※3、そしてそれらに伴う日本の空洞化を鑑みれば、Trade-offだとしても損失が大きすぎるように思います。一時的な問題であれば、このTrade-offも成立するのかもしれませんが、人間のみの感染症である天然痘の撲滅に13年間(撲滅期間のみを換算1967-1980)を費やしたような世界線で持続可能な対策を構築する必要があります。それは核となる医療リソースを整えつつ、戦略的にインセンティブ与え、経済、精神を可能な限り疲弊させないことにあります。

 

 勿論、このようなことは専門家の方々も重々、検討なされていると思いますが、これまでの過剰な恐怖扇動によって発生している慣れや疲れを指して、“協力的ではない国民” “意識が緩んでいる”のような表現には疑問があります。撲滅の幻想や、生物として本来は存在しない意思力に頼るのではなく、緩急やインセンティブ、具体的なKPIと直結した数値を示さなければマネジメントはできません。

 

 インフォデミックにはメディアの視聴率という経済的側面、民主主義の多数決問題、受信者(視聴者、読者)のリテラシー問題に大きく分けられます。多数決問題は、選挙方法を改善しない限り難しいですが、メディアとリテラシーによって、世論の多数派を動かすことは可能でしょう。インターネットの普及によってシステム上は、専門家や公的機関の情報をストレートに届けることは可能ですが、それを実現する媒体がなく、利益優先のプラットフォームを通してしまうと、正しい情報をキャッチアップできるのかが、個人のリテラシーに依存してしまいます。つまり、このキャッチアップリテラシーを高めることがインフォデミックを予防する解決策となります。

 

 ただこちらは、メンタリストDaiGoさんが研究論文に基づく知識共有メディア(Dラボ)を自身で立ち上げられているように、キャッチアップリテラシーの高低差が実生活の格差へと繋がると気がついた一部の層によって、今後は公的情報(一次情報)に基づく専門家の情報発信を如何に吸収するのかという需要と、それを満たすためのプラットフォームの勃興が進むと考えています。

 

 この知識共有メディアのスタイルは政府も有効に用いる必要性があり、政府発信情報の歪曲防止や教育の質向上など国民への恩恵は多く、民主主義がSNS情報によって左右される時代だからこそ、喫緊の課題でもあります。

 

 とはいえ、ゴシップ的メディアは売れ続けるでしょうし、SNSでの石の投げ合いや既得権益による情弱ビジネスも後は立たないように思います。しかし、ゴシップをキャッチアップする層と一次情報をキャッチアップする層の収入や幸福度、生活水準が大きく分かれる分水嶺でもあり、何より国家運営に大きな影響を与る弁慶となるでしょう。

 

■幻想にしてはならない、二大政党制

 これまで緊急事態宣言、メディアの影響について考察しましたが、民主主義に於ける最も重要な要素は二大政党制です。権力のある政権がメディアやそれによって作られた一部世論に対して強く批判することは難しく、本来であれば野党が軌道修正を加え、国民の反発心をプロの意見に昇華した上で提案することが役割の筈なのですが、多くの野党は素人意見に便乗する形で意見表明や果断な対応を迫ってしまっています。

 

 米国の大統領選では混乱の一因となってしまいましたが、政権がいつでも変わるという空気感は、政策や議論にも責任と当事者意識を付与します。現在の野党も全てが駄目だとも思いませんが、発言や行動は威勢の良さと比べ実行力や責任が不足しているように感じてしまいます。政権与党を監視し、緊張を与える役割が野党であり、“与党の緩み”はそれだけ野党に脅威がないことを表しています。

 

 また、二大政党制によって健全化が進めば、国民投票のようなある種素人に政治的判断を委ねる行為を行うリスクが低減します。対立政党が脆弱であるが故に、プロ同士の擦り合わせではなく、素人の意見に投げてしまう国民投票を行わざるを得ないのです。勿論、法的な制約のもと国民投票を必要とするケースも存在しますが二大政党制が確立されていれば、必ずしもその限りではないでしょう。

 

 とはいっても、直ぐに政権交代ができるのかといえば、現在の野党に政権運営能力が欠けていることも明らかです。だとするとそれを逆手に取って、リベラルな人事を積極的に採用すべきでしょう。仮に次々世代の自民党が若年層、女性起用を推進するとすれば(小泉進次郎氏はこの伏線だと思っています)本格的に野党の優位性は失われてしまう事となります。そうなる前に、今からでも若年層と女性を全面に出して支持層を開拓することも国益に取って重要な要素です。

 

 消えた年金問題の再現を目指して、責任の伴わない果断な決断を迫らずに、必ず訪れるであろうリベラルな組織変革を実践して力を蓄えることが政権交代への道ではないでしょうか。



 本日はここまでです。国家としてのガバナンス問題、インフォデミックに陥りやすいメディア構造、そしてメディア世論を政策に昇華すべき野党の役割。これらが今、日本の民主主義が溶解へと向かっている本質的な問題点ではないでしょうか。安全保障の懸念が強くなる中、国家のガバナンス体制は強化せざるを得ませんし、メディアへの進化圧も既に始まっています。世界を取り巻く民主主義の再編成が、溶解となるかアップデートとなるのかは、全4項の課題と向き合わなければなりません。

 

 全4項「溶解する民主主義。」はここまでです。次回は年末ですので、気の向くままに綴ってみようと思います。

 

「溶解する民主主義。」4/4

第1項 "大統領選と都構想の先に"

第2項 "環境と人権を征する中国覇権"

第3項 "江戸時代からのアップデート、令和版「民主主義」"

第4項 "民主主義を溶かす 3つの幻想"

 

※記事を読んで下さる皆様へ.本稿の内容に興味をお持ち頂けたなら、大変に光栄です.
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 -参考・出典-

※1菅首相が会見 コロナ患者受入れ医療機関に1床当たり最大1500万円を補助 2万8000床が対象 | ニュース | ミクスOnline

※2コロナ禍で加速する少子化ー2021年には出生数が大幅減|日本総研

※3国内統計:完全失業者数|新型コロナが雇用・就業・失業に与える影響(新型コロナウイルス感染症関連情報)|労働政策研究・研修機構(JILPT)

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Photo by Charles Deluvio on Unsplash

 

"江戸の匂いを漂わせる、令和版 民主主義「溶解する民主主義。」3/4"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前々回より、民主主義について考察を行ってきました。第1項の大統領選挙では、バイデン政権が反トランプとして時勢を考慮せずにオバマ政権時代に逆戻りしてしまう点、そしてその結果、米国が抱える諸問題(保守的な中間層の孤立)を解決することも難しく、米国の衰退が緩やかに続く点を指摘し、大阪都構想でもシルバーデモクラシー(現役世代と非現役世代)として米国同様に分断が存在する点、そして安易な住民投票は地方創生の障害として楔を打ち込み、分断を露見しただけで終わった点、住民投票は維新の政治的強かさが足りなかった結果である点など、直近の選挙から民主主義の現状について考察を行いました。

 

 続く第2項では、民主主義国家がコンセンサスを得る為に時間を労している間に、非民主主義国家が虎視眈々と国際秩序の再編を実行している点について指摘しました。歴史的に共産主義や社会主義が“正義”であるとは認められない反面、ワクチン外交を含み国際社会が中国という新たな国家システムを迎え入れようとしていることも事実でしょう。ジェノサイド(民族浄化)や軍事圧力を行う対象が、少数民族や有色人種の敗戦国など、少数派である限り、大きなテーマとされ難い点では、民主主義の象徴ともいえます。

 

 日本社会でも、今般の感染症に於ける観光、飲食、サービス業の非正規雇用への圧力や医療従事者への差別、報酬カットなど、少数派の実態は重視されないものです。先にも挙げたように、私自身は共産主義や社会主義を推奨していませんし、民主主義、自由経済の恩恵を享受しています。ただ、だからといって時勢にそぐわなくなりつつある民主主義制度を頑なに守のではなく、必要に応じて柔軟にアップデートはすべきでしょう。

 

 今回は、そんな“民主主義のアップデート”について、考察を行います。

 

「溶解する民主主義。」3/4

第1項 "大統領選と都構想の先に"

第2項 "環境と人権を征する中国覇権"

第3項 "江戸の匂いを漂わせる、令和版 民主主義"

第4項 "民主主義を溶かす 3つの幻想"

 

■成長曲線を糧とする民主主義

 民主主義の問題といっても、政策決定コストが独裁国家より高いことや、思想、身分による分断が存在することなどは既に織込み済みなので、それだけで大きな問題とはいえません。しかし飽くまでもそれは、人口が満遍なく増加し、不況下であっても経済成長へと安定的に向かい、そして変化のスピードが情報産業以前の緩やかさである、という前提条件を必要としています。何より“民主主義は公平で平等”とされますが、歴史的には人種差別や男女不平等など、“民主”が指し示す層は画一的(≒単一の人種、階級、性別、思想)な人々を対象として制度設計されていたことは忘れてはいけません。

 

 つまり、少子高齢化により人口比率が特定の層に傾き、人口減少によって量的成長が鈍化し、情報産業の到来により変化のスピードが早くなり、正規雇用、非正規雇用、個人事業主、修学者、非就業・非修学者、男性、女性、LGBT、国籍、人種、身体的自由度、経済的自由度などダイバーシティ(多様性)の広いコンセンサスを得るという従来、民主主義が内包してきたコストを超える世情では、機能不全が起きても然るべきだといえます。

 

 更にSNSの情報感染(インフォデミック)が加わり、不確実な情報や国益に反する情報などが、国民の総意であるかのように統治機構へ圧力をかけて、誤った政策へ誘導してしまうリスクが高まります。乱暴な表現ではありますが、言わば経済が退行する世界でコストだけが大量に増え続ける状態です。

 

 ここに “第2項 環境と人権を征する中国覇権” で指摘したように、非民主主義国家が台頭するに至った理由があります。中国の意思決定スピードは言うまでもなく、将来の人口減少を、テクノロジーによる高付加価値と諸外国とのエコシステムで解決しようという答えに達した結果、テクノロジー発展とデジタル通貨、周辺国への軍事展開、経済協定の締結、債務外交など “アライアンスの囲い込み政策(≒覇権国家)” に全力で投資をしているのです。

 

 他方で日本は、既に人口減少曲線に入っていますし、労働生産性はG7の中で最下位です。更に現役世代と非現役世代の乖離を抱えている限り、国家戦略を進める意思決定が停滞してしまいます。その先行事例がまさに大阪都構想でした。この議論を先延ばしにして、外国人研修生や省人化でお茶を濁そうとも、必ず自らの首を締めることとなるでしょう。

 

 但し、この議論で老人差別を行い、誰かが損をする改革論を唱えるのではなく、損をする人が限りなく少ない議論を行う必要があります。コンセンサスの得難いテーマには経済的インセンティブを設けて議論することが一番の肝なのです。


■民主主義のDXは中枢神経となる 

 デジタル改革でもそれは同じで、明確なインセンティブが存在すれば人は動きます。そのために、デジタルIDを目的として掲げるのであれば、デジタルIDそのものの説明より、デジタル化によって目に見える(国民に直接関わる)コストダウンや報酬を提示しなければなりません。特に若年層は直感的に利便性を感じられますが、非デジタル世代にとっては煩わしいだけですので、その層を蔑ろにするのではなく、求めるインセンティブ(お金なのか、日常クーポンなのか、孫への給付なのか)をみんなで議論することが重要となります。

 

 また、前提として行政のデジタル化が単なる移行ではない点も抑えておきたいところです。行政のデジタル化は、社会保障、税収支、教育、選挙、各種資格など国家機関の中枢神経を担うポジションであり、各省庁の統合が最終的な向かう先となります。つまり、現実的に30年後か50年後かは分かりませんが、現在の既得権益や受益団体は殆ど解体されてしまいます。この解体時期を先延ばしにしてきたことが、平成の30年であり、現職の菅政権が今になって批判を集めだした理由でもあるでしょう。

 

 このような既得権益を超える為には、選挙のデジタル化を進めることが重要な要素として作用します。入り口では単純に若年層や現役世代の投票コストを下げる狙いがありますが、本質は、票と投票者の結び付けによる“1票の価値を人口分布に合わせ変動させる均等化システム”を実装できる点にあります。文字に起こしてみると荒唐無稽かもしれませんが、人口分布が偏り尚且つ、その殆どの人口が経済活動(成長戦略)に然程、関心のない層である以上、国益を守る方法として一考の余地はあります(詳細は“若者は選挙に行こう! は虚無の世界線”を参照ください。)。

 

 ただ、少数派の意見が通ってしまうことで大多数が損をするという、民主主義の基本的な制度崩壊を引き起こす可能性もあります。そこで、考えられるのは“小さな政府”です。


■江戸時代的、令和版「民主主義」

 こちらも荒唐無稽のように映りますが歴史的に日本は、古墳時代(地方分権)→飛鳥時代(中央集権)→鎌倉時代(地方分権)→江戸時代(中央・地方主権)→明治時代(中央集権)と、中央と地方を繰り返し、特に江戸時代は参勤交代や京都と江戸の2大都市化などによる中央と地方の両立支配を行ってきた歴史があり、現代にも活かせるヒントがある筈です。この辺りは“発酵経済と五感的解像度”に寄稿していますのでここでは割愛しますが、国家の役割は飽くまでも全体最適解(多数決の多数派尊重)を求めることですので、政府の規模や多様性が大きくなりすぎるとガバナンスも効かなくなってしまうものです。

 

 飽くまでも極論ではありますが、国家機能の根本が外交、安全保障、社会福祉なので、夜警国家的に大枠だけを担い、細分化された調整は地方自治に委ねても統治機能としては成立するでしょう。もう少し現実味のある制度にしても、地方の各種規制緩和や、再分配後の一部権限委譲、などを行うだけでも民主主義国家として、多様な国民状況に寄り添える施策を構築できるのではないでしょうか。

 

 勿論、地方格差の問題も生じますので、広域連合での協力関係などは今以上に必要となります。このように統治機能を細分化してみると地方自治も存外、荒唐無稽でもないように思えます。しかし、この地方改革が大阪都構想によって否定されてしまったことには、些か虚しさを感じてしまいます。

 

 

 本日はここまでです。米国大統領選では分断を。大阪都構想では地方の将来。そして隣国である非民主主義国家の台頭、と一見接点のない項目ですが日本の民主主義制度を考える上で全ては通奏低音で繋がっています。そしてそれは従来の民主主義制度に限界や欠陥が出始めていることも事実でしょう。これは、数年で成立する問題でもありませんし、こんなニッチなネタしか扱わない本項を読んでいただける皆様ならご理解をいただけるかもしれませんが、一般的にコンセンサスが取れるとも思っていません。しかし、長期的に投票格差や地方の活用、デジタル選挙、野党の再編、そして政府機能の整理は向き合わなければならない対象となるでしょう。

 

 平成という30年間は、デジタルやグローバル化、破壊を伴う成長戦略を先延ばしにして、バブル時代の思い出を延命してきましたが、日本はGDPでもインドに抜かれ4位になりアジアの機能も香港とシンガポールに移行してしまう可能性が相当に高い中、そろそろ、抜本的議論に立ち返るべきです。

 

 次回は今回漏れてしまった二大政党制と、感染症の幻想について考察を行いたいと思います。

 

 

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SichiRiによるPixabayからの画像

-参考・出典-

江戸時代の地方都市にあった活気を取り戻す首都機能移転 / 山本 博文 / 国土交通省 オンライン講演会

大和時代 / フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)

"環境と人権を征する中国覇権「溶解する民主主義。」2/4”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。メディア各方面では感染症報道が再熱し、定型句のように飲食業・観光業・イベント業が問題だとされる論調が伝播(でんぱ)しています。私自身、この全ての産業と関わりがありますので、多少感情的な要素もあるのかもしれませんが、そこを省いたとしても少々違和感を感じるところではあります。

 

 勿論、変数が多い状況ですので朝令暮改や手探りの対策などに理解は示します。また、未知数であるが故に局地的な対策も難しく、医療環境を守るためには一定の犠牲も必要でしょう。ただ、GoToキャンペーンや飲食店の夜間閉鎖を行ったからといって人の往来がなくなるわけでもなく、大多数の人が関わる移動は通学や出勤、出張のような“日常生活に付随する移動”の筈です。今回の感染が労働者層を中心とした家庭内感染である点を鑑みても、仕事や通学の中で持ち帰っているケースは十分に考えられます。

 

 何より“不要不急”という言葉は非常に危険な負の側面がある発想だと考えています。飲食や観光、イベントを指して不要不急とするのであれば、そこに従事する人々は “社会的に不要” であるかのような疎外感を生みますし、他方で通常通り営業がなされている経済活動が本当に不要不急ではないのかと考えると、そうでもないのが現実です。極論ではありますが、最低限の食糧や日用品生産業、配給を行うロジスティック業、病院や警察などのエッセンシャルワーカー以外は全て“不要”ともいえます。ただ、それでは人類の培ってきた全てを否定することとなってしまいます。

 

 また、人の行動を制限すると陽性者は減りますが、感染症の死者数が累計で2,282人(12/6現在 厚生労働省調べ)に対して、自殺者数は10月のみで2,153人(前年同月比+614人 警察庁調べ)で、10月の完全失業者数は215万人(前年同月比+51万人 総務省調べ)と増加しています。勿論、日本の自殺者数は元々高く、4-10月の累計前年比では+473人ですので感染症による死者数の方が圧倒的に多いです。問題は10月の急激な増加数と年齢別の内訳で、まだ未発表なので数値は挙げられませんが、高齢者を中心とする感染症に対して、仮に労働者層の自殺者が多い場合は失業者数と共に社会負担に於ける割合が増えることとなってしまいます。

 

 短絡的な “不要不急論” はつけを将来に回し、一部事業従事者に疎外感や絶望感を与え社会全体に歪みをもたらすこととなるように思います。特に前述の飲食・観光・イベント(サービス業)業は(小売・漁業を除く)他業種に比べ非正規雇用の割合が多い業種なので、民主的に少数派である立場の方々が圧力を受ける構造にはしてはならないでしょう。


 結局のところ、エビデンスを重視しながら基本的感染症対策を徹底的に行い、全業種でリモートや非接触システムを最大限に利用しつつ、医療資源を国家戦略で拡充するしかありません。この上で発生する感染者や自殺者、経済損失は冷たいようですが織込んで日常生活を送るしかありません。

 

 さて、前文が長くなってしまいましたが今回はそんな多数派による民主主義と、前回("大統領選と都構想の先に「溶解する民主主義。」")に続き国際情勢について考察を行います。

「溶解する民主主義。」2/4

第1項 "大統領選と都構想の先に"

第2項 "環境と人権を征する中国覇権"

第3項 "江戸の匂いを漂わせる、令和版「民主主義」"

第4項 "民主主義を溶かす 3つの幻想"

 

■民主主義のジレンマ

 大統領選挙の結末はバイデン氏の勝利ということでほぼ決着がつきました。この点に関してはネット上で陰謀論などが取り沙汰されていますが、大きく変わることはないでしょう。ビジネス業界出身のトランプ氏とは違い、政治家キャリアの長いバイデン氏は従来通りの“世界を牽引するアメリカ”を体現することとなる筈ですが、その中心に位置するのはトランプ流のディール合戦ではない環境重視の世界観とBlack Lives Matterに代表されるような人権問題です。

 

 これはバイデン政権及び世界の中核として対中政策にも大きな影響を与ます。日本のゼロ・エミッション宣言からも現れているように、世界の潮流が環境問題にシフトしている中で同様に、中国も2035年を目処に新車販売を環境対応車にする方向性を示しました。これは後述しますが中国にとっては環境問題に関係なく、覇権国家を目指す上で欠かせないEV産業への投資と、世界の投資資金を集めるための名目でしかありませんが、環境を是とするバイデン政権にとっては対中批判が難しくなるポイントでもあります。

 

 当然ながら、米国が国家戦略として中国脅威論を持っている以上、バイデン政権に変わったからといって、対中政策が軟化することはありません。ただ、バイデン氏の上品さ故に軍事行為を伴う圧力では一線を越えられない姿勢を中国が見過ごすほど甘くもありません。恐らく中国は国益に沿った環境対策を強化しつつ、人権問題に目先の対処をし、米国や国際社会の態度を軟化させる方向性で動くでしょう。

 

 つまり、バイデン氏が親中路線であるかではなく、世界の潮流がかつて軍事力で二分した冷戦時代とは違い、環境と人権のような結果の不透明さを伴う基準で中国を抑制しようとする以上、中国の肥大化に有効な圧力は失ってしまうこととなります。日本はカルト的にトランプ氏の再選を願うより、環境問題で存在感を示しながら独自の安全保障体制を構築する必要があります。

 

 他方で米国内では依然として白人保守層の疎外感も強く存在し、民主党が環境と人権(多様性)に特化するほど、国内の分断は加速してしまいます。次期政権は反トランプとして覇権国家を標榜する反面、国内問題、中国問題、感染症問題と向き合う課題が多くその実は国際社会に振り向けるリソースは殆ど残っていないことが現実です。一党独裁の中国とは違い民主主義国家のジレンマともいえる現象でしょう。

■“非”民主主義国家による覇権

 本ブログでも以前より指摘している通り、米国の影響力が内側へと向かう中で中国は覇権を確固たるものにしようとしています。先に上げた環境対応車へのシフトも、EV産業での先行を狙うことや、ましてや環境意識が高まったということではありません。環境対応車シフトの本質は、歴史的に自動車産業を征する国家が覇権国家として世界のモビリティ産業を征してきたことに由来し、従来の自動車産業とは全く異なる技術が必要な “EV(自動運転車)”に集中投資を行い、自動車大国として成長を遂げた米国と日本を巻き返す狙いがあります。

 

 先に合意されたRCEP(東アジア地域包括的経済連携)も基本的にはASEANが主導的立場となりますが、中国の国力を鑑みると影響力を無視することはできません。またRCEPはTPP(環太平洋パートナーシップ)と重複する国も多いため、そのどちらにも属さない米国を牽制して国際エコシステムを構築する大きなチャンスでもあります。

 

 非難の対象となる人権問題も、香港国家安全維持法で見られるように国連人権理事会では中国支持が53カ国で反対は27カ国にとどまっています。これは多くの発展途上国が少なからず一党独裁や政権の腐敗、民族紛争、財政危機など、政治的、文化的、経済的に中国と似た問題や依存関係があり歩調を合わせる方が国益となる国が多いためです。中国による軍事行動も国連安全保障理事会で常任理事国である中国は国連憲章第27条によって拒否権を行使し、安保理の決定を覆すことができてしまいます。

 

 つまり、現行の国際社会では中国を抑制する手立ては多くありません。このような状況下で中国は、月面探査を可能とするロケット技術、大規模経済協定への参加、基軸通貨を可能とするデジタル通貨の実装、新自動車産業での主導権と、覇権国家が英国から米国へそしてソ連の台頭と日本の栄枯盛衰を包括すかの如く覇権国を象徴する政策をこの数年で集中的に実行しています。

 

 かつては軍事力の増強と人口ボーナスによる国内市場、そしてサプライチェーンとしての役割を担ってきましたが、現在は覇権国家として先進国(特に米国)が持ち得る象徴的システムの構築へ集中投資をしている印象です。私自身は、過度な中国脅威論には懐疑的ですが、それでもここまで明確に覇権国家の象徴的事例を実行する国家戦略を隣国の“非民主主義国家”が行っていることには一定数の脅威を感じざるを得ません。

 

 かといって日本が強硬路線を行うことは現実的ではありませんし、対米関係の改善が望めない中国も日韓に対しては概ね融和的姿勢を示すこととなるでしょう。日本もインバウンド需要やグローバル市場、移民の重要性はコロナ後であっても変わることはないので、経済的に融和姿勢を歓迎することとなります。但し、過去の記事でも再三指摘していますが、安全保障や国内市場の知的財産権や情報保護などには明確な線引きが必要となります。

 

 今の中国に対し、国際情勢や地政学的リスクを鑑みれば日本が強硬路線を行うことはほぼ不可能である中、経済的融和を軸に安全保障、情報保護、知的財産権の保護を徹底する道筋しか存在しないのです。これは米国も中国も日本自身もよく理解している筈で、だからこその安倍前首相と二階氏のツートップだったと言えます。



 本日はここまでです。民主主義に於ける分断は当然であり、歴史的に何度も繰り返され、齟齬を内包しながら感染症や公民権運動のような歴史的転換点で是正されるものです。しかし、今回の分断に注意が必要な点は、大統領選のような分断を伴う民主主義(選挙)に対して緩衝材となる儀式(敗北宣言)が行われていない点、そして大阪都構想では将来的な地方改革の波を途絶えさせてしまった点にあります。更に、一党独裁国家が世界秩序の覇権を握ろうとしていることも相まって民主主義のあり方に変化が求められる社会情勢となりつつあります。

 

 不正投票や短絡的なシルバーデモクラシー以上に、民主主義のアップデートについて議論を行わなければならないでしょう。今回は少々、前文の感染症問題を取り上げ過ぎてしまい、情報量が多くなってしまったので民主主義のアップデートに関しては次回に寄稿したいと思います。


 

※記事を読んで下さる皆様へ.本稿の内容に興味をお持ち頂けたなら、大変に光栄です.
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[黒川 和嗣(Kazushi Kurokawa)Twitter ]

 

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-参考・出典-
新型コロナウイルス感染症についてー厚生労働省HP
令和2年の月別自殺者数についてー警察庁HP
労働力調査(基本集計)2020年(令和2年)10月分結果ー総務省統計局HP
 

 

 

"大統領選と都構想の先に「溶解する民主主義。」1/4"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。日本の社会構造が抜本的な変化を迎えようとしている昨今に於いて、"人口減少" "少子高齢化" "余剰人材" "労働生産性"などの課題が顕在化しており、その対策として"ベーシック・インカム論"を2回に亘って考察を行いました。

 

 前回も指摘しましたが数年前のデジタル化がそうだったように、批判だけの一人歩きや、“現状維持派”による感情や慣性での否定論などによって議論にすら上げられない空気感を作るのではなく、必ず訪れる “着地点” を見据え、備え、議論や検証を重ねることこそが私達、社会全体にとって有益な戦略になると考えています。

 

 ベーシック・インカム論は大きな変化を生む議論です。純粋な社会福祉受給者や周辺のエコシステムで生活する方々にとっては抵抗感も存在するとは思います。しかし、本稿でも数々触れてきた社会課題に於いて、"未来志向の醸造" を行わなければならないタイミングにあるのではないでしょうか。

 

 今回はそんな "変化" と "維持" の世界線で行われた先の大阪都構想と米国大統領選について考察を行います。

 

「ベーシック・インカムの本質と実現性」
第1項 "ベーシック・インカムは実現可能というマインドを醸造しよう"(アゴラ転載版)
第2項 "ベーシック・インカムという成長戦略の世界線で”

  

「溶解する民主主義。」1/4

第1項 "大統領選と都構想の先に"

第2項 "環境と人権を征する中国覇権"

第3項 "江戸の匂いを漂わせる、令和版「民主主義」"

第4項 "民主主義を溶かす 3つの幻想"

 

■シルバーデモクラシーの構造

 大阪都構想は先日、17,000票差によって否決されましたが、選挙の状況や反対派の意見を聞く限り、前提とする論点にズレを感じました。大阪都構想の本質は "大阪を地方都市から東京都と並ぶ第二の大都市にし、金融、企業、観光、ハブとしてのグローバルな成長戦略を行うこと"だった筈です。しかしメディアをはじめ多くの方々はコスト問題にのみ論点を絞ってしまいました。更に反対派の中では、維新が嫌いな方、思想や支持政党が反対派である方、感情的に現状を維持したい方など、本質的な論点ではない論点で反対する方も存在しており、大阪都構想の本質とは離れた "反維新" "近視眼的コスト回避" としての意思表明でしかありませんでした。

 

 勿論、だからといって"無効”とはなりませんし、民主主義による結果を覆すこともできません。これは一つの正当な結果です。しかし、大阪都構想のような非常に政治的であり、長期的マクロ視点が必要な政策に於いて、乱暴な表現ではありますがある種の “素人の判断” に委ねる方法論が正しかったのかには、疑問が残る部分でしょう。

 

 また、これは少子高齢化の民主主義国家が直面する問題でもありますが、"シルバーデモクラシー問題”も存在します。但し、大阪市に於いてこちらは慎重に扱う必要があるテーマです。大阪市の場合、単純に数字だけを見ると45-49歳の人口が最も多く、高齢になるにつれて人口が減少する傾向にあるので議論の前に、基準とする区切りや定義を設定しなければなりません。

 

 例えば、都構想がマクロ経済に由来した政策であることを鑑みれば、変化を望む層は現役世代の20代後半から40代頃までとなるでしょう。その反面、"高齢"つまり保守的な層とは、生活環境を変化させることが難しい世代と、変化の必要性のない非現役世代までを含め "50歳以上" と定義し、更に若者でも非就業者(主に学生)を除けば更に賛成層はマイノリティーとなってしまいます。

 

 一概にシルバーデモクラシーといっても、人口数に依存するケースと今回のような保守層と現役世代の分断に起因するケースもあります。後者は真っ当な民主主義でもあるようですが世代間対立として非現役世代有利なシルバーデモクラシーであることに変わらず、この点は少子高齢化社会に於ける地方創生のボトルネックとなってしまいます。

 

■リソース活用の地方創生

 他方で東京都の一極集中から地方分散が求められる今般、地方側の受け皿を作るには従来のような国からのトップダウンで運営する行政システムや、新陳代謝が硬直してしまう組織構造、補助金に依存する財政状況などを改革し、地方自治が自走することが必要となります。

 

 つまり、人口減少の最中で地方分散や地方創生を実現するには、土建事業や補助金を投じるのではなく、グローバル化や企業誘致、規制緩和、産学官民連携のような、現役世代にとって魅力のある自治機構を設けなければ難しくまた、少ないリソースを最大化しなければならない日本では、成長戦略の要になる課題であるということです。

 

 ただ、こうした変革には既得権益や利権の解体が伴うので、地方改革の波が波及しないためにも全力で阻止されてしまうものです。今回の都構想の本質的評価とは別に、長期視点の成長戦略に於けるコンセンサスを得る難しさが内外に露見してしまいました。今後は政治からのアプローチによるコンセンサスを避けて、各企業や業界によるロビー活動を軸にした改革を行うこととなるでしょう。

 

■米国大統領選挙

 問題を抱えつつも民主主義としての結果を尊重した大阪都構想とは違い、米国大統領選は混沌を呈しています。民主党のバイデン氏の勝利として慣行に則り、勝利宣言、政権移行準備、外交活動が進められています。しかし、現職のトランプ政権は郵便投票の公正性を理由に、敗北宣言をせず法廷闘争を行う構えであり、共和党も支持する姿勢を示しています。

 

 両陣営に批判があるにせよ、この問題の本質は郵便投票の公正性以上に、米国内には2016年以前から分断が存在していたという点にあります。米国の分断は米国メディアを含めて各所で指摘されていますが、その多くが “トランプ大統領によって齎(もたら)されたもので、大統領が変われば変わる”という考えを軸に論じられています。この論点も外交分野に於いては正しいかもしれませんが、国内の白人中間層と有色人種及び大手グローバル企業との分断についての文脈が欠落しています。

 

 元々、2000年以降の情報産業によって製造業に従事していた中間層の生活が徐々に貧しくなりそんな中、オバマ前大統領も中間層の雇用拡大対策を行いましたが製造業の雇用は悪化し、貧富のさが広がってしまった経緯があります。更にこの中間層に位置する白人には移民などの有色人種層が増え続けるとマイノリティーになってしまうという現状が大きな社会不安としてあります。特に民主党はオバマ前大統領に代表されるように、多様性を推進していますがそれは貧困に苦しむ白人中間層にとっては逆差別と感じているかもしれません。

 

 B.L.M.運動の対立も正にこの構造です。原罪として米国には黒人差別が存在する反面、現代の白人にとって必ずしも差別意識がある訳ではないのにB.L.M.運動の標的とされ、言動や振る舞いに注意しなければならなくなっています。このような米国内に “既に存在した” 分断がトランプ大統領を誕生させるきっかけとなったのです。

 

 そして今回の大統領選が僅差だったことで分かるように、国民はトランプ大統領の4年間を評価しまた、民主党の白人中間層を救済しないリベラルな政策に危機感を抱いているということです。このように、”トランプ大統領の存在如何に関わらず分断は存在する” という本質的な問題をメディアや民主党、国際社会がしっかりと向き合い対処しなければ、オバマ政権時代のように分断を深くしてしまう可能性があります。


■バイデン陣営の方向性

  バイデン氏の役割は飽くまでも"反トランプ"でしかなく、社会に大きな変化を与る存在とはならないでしょう。実質的には2024年の次期大統領選挙にカマラ・ハリス氏が出馬するための前哨戦ともいえます。これは従来の民主党が"労働者のための党"から"マイノリティのための党"として、環境や人権問題を軸足にするという今後4年間の政策方針を決定付けているともいえます。しかしそれは先進的なリベラルであると同時に、先にも指摘しましたが、多くの白人労働者階級にとっては阻害的な4年間となってしまう可能性も高いものです。勝利宣言での希望的演説とは裏腹に、バイデン陣営及び米国内に於いて、非常に困難な情勢は続くこととなります。

 

 このように国内問題で余裕のないバイデン陣営が、東アジア地域の秩序形成へ大きなコミットメントを示すことは難しいでしょう。勿論、先の尖閣諸島での発言は米国の国家戦略として既定路線なので当然として、それ以上の軍事的圧力を中国に行えるのかまた,日本独自の秩序への貢献を同盟国としてサポート出来るのかは定かではありません。少なくとも中国は、1期限りと予想されるバイデン政権へオバマ政権時代同様、国際ルールを遵守する姿勢をみせつつ、米国の衰退と東アジア地域のデカップリングを目指し、海洋進出や一路一体、一国二制度、デジタル革新、途上国支援を推し進めるでしょう。

 

 外交では経済、軍事、人権を切り分けて交渉することが重要ですが、全てのバックボーンは繋がっている事実を鑑みると無策に切り離すのではなく、多角的に対処する必要がありその点では、優秀とはいえませんが政治素人ながら、トランプ氏の対中政策は理にかなっていたのかもしれません。

 

 今後、米国のメンツとして,バイデン氏の勝利が固まっていくでしょうが、日本人として見極める必要がある点は米国の内政問題ではなく、現状の米国を"国際社会がどのように評価するのか"そしてその評価が"どのような力学を生むのか"です。




 本日はここまでです。日本のTwitterでもトランプ派とバイデン派に分かれていますが、本当に大切なことは、大統領が誰に決まろうと、安全保障に問題のない国内体制を早期に構築することです。そのために憲法改正をはじめ、財政を圧迫する社会保障費や過去の利権を守る偏った民主主義などと向き合い、世代間対立や思想分断をするのではなく、抜本的解決へと導く議論が求められます。

 次回は引き続き、今後の国際社会と民主主義が抱える問題について考察したいと思います。 

 

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"ベーシック・インカムという成長戦略の世界線へ 2/2"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。久しぶりとなりましたが最近は地方の山奥で余暇を過ごしていました。

 

 今般の世情を眺めていると、メディア、民間、行政、政府など、まるで日本中がデジタル化へフルベットをしているような空気感が漂っていますが、デジタルの本質は莫大な演算処理を補助するツールであり、必ずしもバーチャル(≒仮想的)が全てのフィジカル(≒物理的)を代替するようなことに現段階では至りません。むしろ”総デジタル化”の反動によって減少するフィジカルなサービスや、テクスチャー(≒質感)を必要とするコンテンツ(コミュニティー)を構築できる人材が重要視される筈です。これはただの逆張りのようでもありますが、人類が培ってきた数百万年単位の歴史に於いて、フィジカルの価値を忘却するのに ”1年” はあまりにも短過ぎるというものです。

 

  つまり、テクノロジーへの理解は必要だけれどもそればかりではなく、余暇を森林の中で過ごし五感的解像度(五感で感じる空気感)、テクスチャーの価値、小規模のリアルなコミュニティーなど、社会を構成する重要な要素を再確認するタイミングであるように思います。デジタル推進派ではありますがその反面、社会全体がプログラマーやIT企業に殺到すると値崩れを起こし、中途半端(文系未経験者のIT土方)な位置に存在する人材が瞬く間に淘汰されることもまた、市場原理としてあり得るでしょう。

 デジタル化一辺倒ではなく技術を技術として認識し、自身が今まで積み上げてきた物に付加価値を与え飽くまでも “アップデート” として活用することが変化を乗り切るための力のように思います。



 さて、9/23に竹中平蔵氏が某番組にて提唱したベーシック・インカム論の炎上を受け、前回(9/15)寄稿したベーシック・インカムの記事を”アゴラ言論プラットフォーム”さんへ転載させていただきました(ベーシック・インカムは実現可能というマインドを醸造しよう)。今回は、こちらの記事掲載に伴い頂いた指摘等について少し触れたいと思います。

 

「ベーシック・インカムの本質と実現性」1/2
第1項 "ベーシック・インカムは実現可能というマインドを醸造しよう"(アゴラ転載版)
第2項 "ベーシック・インカムという成長戦略の世界線で”


■7万円では生活不可能

 一番多い指摘がこちらでしょうか。この議論の前にBI(ベーシック・インカム)は前提として“支給額7万円+α(所得)”を可能にしている点、そして貯蓄や資産も容認している点を押さえる必要があります。既存の生活保護では所得分を支給額から天引きし貯蓄は10万円以下であること、そして親族を含めた周囲からの援助も基本的には認められていません。それに対し、BIは+αが可能ですので所得を得ることも周囲からの援助も貯蓄も投資も資産を保有することもでき、 “7万円だけで生活しなければならない”というわけではありません(なんらかの理由から+αの所得が難しいケースについては後述します)。

 

 この前提を抑えた上で、それでも支給額だけで生活することが著しく困難であるか、と問われると私自身はそうは考えていません。所得を支給額だけに限定した場合、重要となるのは “現行の水準と同じ生活をするには難しい” というものです。家賃が5万〜8万円で、キャリアの通信サービスを用い、月に何度も外食をし、ブランド物の衣服を身に纏う。マイカーをお持ちの方もいるかもしれません。確かにこれでは7万では到底足りないでしょう。しかし、地方の家賃2万円、格安通信5千円、光熱費1万円、食費2万円、日用品5千円、変動予備費1万円であれば7万円でも足ります(因みに家賃は違いますがこの数値は私が過去に行っていた費用を参考にしています)。

 

 つまり7万円で今の生活を補おうとせずに、収入と支出のバランスを見直して相応の水準にすれば最低限の生活は難しくなく、前提とされる+αの要素(所得、貯蓄、資産、投資、援助)を組み合わせれば尚更です。それよりも生活コストが下がった現代社会で、生活保護の約14万円が正直に申し上げて高いと感じています。職種や立場によっては労働所得並ですし、一部の受給者によるパチンコなどの浪費問題や医療費への負担など多くの欠点も指摘されています。

 

 更に生活保護は窓口で断る“水際作戦”が行われたり、厳しい貯蓄制限や、親族とトラブルがあるにも関わらず “親族が面倒をみる” と証言すると対象外になってしまったりと、必要であっても受けられないケースが発生することもあります。何より申請型の受給ではプライドや世間体によって受給せず、より重大な犯罪や自殺、精神疾患の発症など社会復帰が困難になるケースも考えられます。

 

 少ないより多いに越したことはないですが、本質は支給額ではなく、社会課題への影響及び、各個人の豊かさに寄与できるのはどちらなのかまでを含めて議論を進める必要があります。

 

■弱者切り捨て論 

 前述にあるように、+αが可能な点、そして生活保護は必要だけれど何らかの問題で受給できていない層を漏れることなく救済するという点では、弱者切り捨てどころか社会福祉の裾野を広げて救済枠を増やす施策になるでしょう。

 

 但し、障害者や要介護者のように経済活動も難しく、生活費に(専用の器具など)特別なコストが付随してしまうケースでは足りなくなってしまうことも事実です。診断基準や、どの程度の予算が必要で対象者が何名いるかなど、多くの調査が必要な内容なので具体的な数値をここでは出せませんが、ベーシック・インカムの7万円とは別途で特別枠を設ける必要はあります。

 

 財源は行政コスト削減によって前回の概算予算以上を捻出できるとは考えていますがそれは希望的観測でしかないので、所得制限による確定申告での返納処置を設け特別枠の予算とすることも一つの可能性として考えています。

 

 もちろん、ベーシックインカムは個別対応しないことによる行政コスト削減を前提としていますが、こちらも現行のシステムをベースにするのではなく、行政のデジタル化によるID管理を前提とすれば、返納処置も個別支援への処置も大きなコストは必要としないでしょう。資産状況、就業状況、ヘルスケア状況などがデータとして可視化されると社会福祉のレコメンド機能にも使えますし、ここでも社会的弱者に寄り添う政策が実現可能となります。

 

 そもそも、ベーシック・インカムはデジタル行政と一体で機能するシステムなので、デジタル上での情報の吸い上げとベーシック・インカムと個別的社会福祉を用いた、弱者救済論は前提に含まれているようなものです。

 

 つまり、支給額7万円+特別支援(+α)の形式をデジタル管理による低コストシステムで設定し、所得制限などによる財源で補う形であれば弱者救済は可能だということです。この時点で“ベーシック”ではなくなりますが合理的にアップデートするのであれば問題ないでしょう。

■厚生年金との折り合い

 

 国民年金の平均受給額は約5万6千円ですので代替可能ですが、厚生年金の平均受給額は約14万5千円ですので約7万5千円不足してしまいます。この解決策は年齢別で対策を行う必要があります。

 

 例えば、受給期間を受給開始の65歳から平均寿命の87歳(男性81歳、女性87歳)までとした場合、その22年間で平均総受給額は約3,828万円となります。この平均総受給額を月々7万円で補おうとすると、46年間(約3,864万円)必要で平均寿命の87歳からの逆算では41歳が損益分岐点となります。つまり、41歳以下は7万円の方が得をするので一律代替可能で、41歳以上は7万円では損をするので積み立てた保険料を保証する必要があります。また、現行の65歳以上に関しては減額のコンセンサスが取れないので受給額を保証することとなるでしょう。少し複雑になってしまいますが、全体最適解を求めるのであれば仕方がありません。

 

 この議論で重要なのは、“国民に大きな損失を与ずに国家の成長という国益も守る必要がある” という点です。ここでも“ベーシックではない”との指摘もあるでしょうが、ベーシックを土台に国民と国家、双方の損益バランスを維持しながらTrade-offで対応するしかありません。

 

 年金制度が人口減少によって破綻するとは考えていませんが、現行の社会保障制度では国庫と現役世代への負担が増加する流れにあることは明白であり、このまま維持することが成長戦略としての疑念があり、切り替え時の過渡期的負担があったとしても向き合う必要のある課題だと思います。

 

■社会主義の前兆なのか

 確かに、社会福祉の裾野を広げる議論に於いてはリベラルに傾倒しますし、他国でも社会主義だとの指摘が必ず付随されます。確かに近年の世界情勢では若年層を中心にリベラルな風潮が強くなっていることも事実でしょう。それは大量生産大量消費経済が終わり、経済の中心が物質からアルゴリズムやコンテンツ、プラットフォームのような情報へ移行したことで、労働者を含め旧来の経済システムを停滞させてしまったことにあります。また、資本主義の本質は人口ボーナスに依存する要素も大きく、先進各国で人口減少と向かう中、希望的経済成長を描き難くなってしまっているからでしょう。

 

 社会主義や共産主義が優れているのか、実現可能性があるのかといえば、歴史を振り返れば明白です。しかし、現行の経済システムが必ずしも最適解である訳でもありませんし、時代によって情勢は変化するものでその変化に対して制度設計も調整する必要はあるものです。

 

 また、ベーシック・インカムは再分配の方式を変更するにすぎず、市場経済の廃止や市場原理の否定を行うものでもなく、更に国民を公務員とする訳でもないので、ベーシック・インカム論=社会主義(共産主義)ということには直結しません。それどころか従来の社会福祉とは違い、社会保障の裾野を広げる反面、国家全体はデジタル化によって縮小し、夜警国家(自由主義国家論)に近いものになるのではないでしょうか。

 

 そもそも前提として、労働所得にプラスとする制度であることを考えれば “働かなくても同じ”である社会主義とは根本的に全く異なる制度です。何よりベーシック・インカム論とは、成長戦略に向けた国家政策として合理的論争であり、社会主義かどうかというイデオロギーの議論とは切り離して行われる必要があります。



 

 

 本日はここまでです。私自身は、基本的に経済は自走が重要であると考えています。MMT理論などにも懐疑的で、理論上は可能であってもキャッシュの本質が信用であることを鑑みれば国債を積み上げ続ける財政体質は“国際的な信用”を損なう可能性を秘めているように思います。少なくと過度にバランスを失った財政はどこかに歪みを生むでしょう。また、個人の所得を増やすだけであれば“働けば良い”でしょうし、生活に困窮しているのであれば生活保護を申請すれば良いだけです。

 

 しかし、本質は維持が難しくなりつつある現行の社会システムを、行政のデジタル化と抱き合わせてドラスティックに改革させることにあります。人口減少でありながら余剰人材が増えるという矛盾を包括し、人材が成長するための余剰時間確保や出産への障害低減、優秀な人材の流動性を高めることなど、日本の市場に横たわる根詰まりを解消するためのツールとして議論が求められる分野です。

 

 少なくとも、数年前のデジタル化がそうだったように、批判だけが一人歩きをし議論にすら上げない状況よりは、必ず訪れる着地点を見据え、備え、議論や実験を重ねることが有益な戦略なのではないかと思います。

 

 私達は少ないリソース(人口、税収、高収益企業)を持て余すことなく最大限に利用するための新しい社会システムについて議論する必要があるフェーズに立っているのではないでしょうか。

 

agora-web.jp

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"ベーシックインカムが未来を醸成する日 1/2"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回は、政治運営の盤石さが安倍政権の成果である旨、そして次期政権も中長期的(少なくとも任期期間満了)な政権を目指し、派閥構造は維持継続される旨を指摘しました。これらを鑑みると次期総裁は菅氏が最有力候補です。※この記事の執筆は9/7です。 (”陽炎から覗く ポスト安倍 の蜃気楼”)

 

 次に注目が集まる点は”政策転換”です。前回、指摘したように基本的な金融政策や外交路線は安倍政権を踏襲する”現状維持政権”にはなるでしょう。しかし、社会保障制度や行政システムは変革へ向けて待ったなしの状況でもあり、この課題解決が行えるのかが争点として注目されます。

 

 安倍政権は確かに盤石な政権でしたがその反面、国内の”変革”には弱い印象がありました。だからこそ、感染症によって社会変革への進化圧が加わったこのタイミングで、変革に強い総裁を起用することは重要な選択となります。そんな中、菅氏の増税発言が波紋を呼びましたが、これは菅氏が持つ”政策のリアリズム”が垣間見える発言でもありました。

 

 Twitterでも指摘したように、少子高齢化によって生じる社会保障制度の欠陥及び、財政負担の増加を鑑みれば長期的には増税の選択肢は必要となります。但し、それは予防医療の普及やデジタル行政によるコスト削減、ベーシックインカムのような社会保障制度の範囲拡大など、コスト削減の分野と所得安定化の分野で改革が行われる前提の元、成り立つロジックではあります。なので、巷で騒がれているような”増税アレルギー”は近視眼的には正しいですが、菅氏の文脈が長期視点であることを考慮すると、”リアリズムに基づく政策思考”として評価されるべきものでしょう。

 

 

 本日はこの社会保障制度や財政問題について、近視眼的政策判断ではなく、中長期視点の成長戦略として考察を行いたいと思います。 

 

「ベーシック・インカムの本質と実現性」2/2
第1項 "ベーシック・インカムは実現可能というマインドを醸成しよう"(アゴラ転載版)
第2項 "ベーシック・インカムという成長戦略の世界線で”

 

”余剰人材”と”少子高齢化”がもたらす社会不安

 本ブログでも再三指摘していますが、今般の社会課題で特筆すべきはやはり”余剰人材”と”少子高齢化”です。余剰人材に関しては、デジタル化の波と不況の煽りで世代を問わず就業難に陥る若しくは所得が著しく減少すると予想されます。現在は解雇規制によって非正規労働者が主な対象となっていますが、不況下での解雇規制が企業にとって”負債”となってしまうように、人材整理が滞りキャッシュがショートしてしまえば倒産やリストラとして、正規雇用にも影響が及びます。

 

 勿論、感染症由来の”新たな生活様式”なるものは長くは続かず、多くの場合は何事もなかったかのように消費も雇用も戻るでしょう。但し、デジタル化由来による省人化やESG投資由来の環境や持続性向上など、余剰人材への力学は多元的な要素からなり、中期的には向き合う必要性がある社会課題には変わりありません。

 

 少子高齢化は医療費や社会福祉費用の負担が年々高くなる反面、生産消費経済が縮小し歳入の減少へと繋がります。また労働人口も減少に向かい納税を背負う若年層の負担は増える一方でしょう。ここが冒頭の”長期的には増税もやむなし”となる根本理由です。

 

 次期政権が迎える日本の社会課題は ”省人化による格差や貧困” “高齢化による若年層への負担” など、如何にコストを削減し社会成長へ投資をするのか が重要な政策軸となる筈です。その解決策として、ベーシックインカム政策は有力な打開案となる可能性を秘めています。



■BI(ベーシック・インカム)

 先月、ドイツで18歳以上の120名を対象に3年間月々15万円を支給する実証実験が発表されました。他にもケニアやフィンランドなど世界各国で実験的に行われていてます。その目的は貧困を減らし、犯罪率や病気などの解消、教育環境の充実、社会保障の行政コスト削減など様々です。先に挙げたように日本も、省人化や少子高齢化に伴い、圧迫するコストを削減しつつ社会全体の成長へ繋がる投資を行う必要があり、ベーシックインカムの導入は重要な政策です。

 

 例えば、余剰人材(就職困難者や非生産的低賃金労働者)は最低限の生活費を確保することにより、”学び直しの機会” “職業選択の自由” ”健康の維持” など、精神的に余裕のある状態で挑戦的活動や消費活動を行うことができます。市場としても、解雇規制を緩和することが可能となるので、”企業体制の健全化” “新陳代謝による流動性” “過酷労働環境の淘汰” “消費の促進”など労働環境の改善や生産性の向上に繋げることができます。

 

 また、人口が減少し大量生産大量消費経済ではなくなった社会に於いて、ICT関連は当然ながら、クリエイティビティの必要な芸術や文化など、”利益率(生産性)が高い産業や資産として価値が醸造する産業”を構築する必要があり、そのためにも最低限の生活を保証することで、非生産的な労働から生産性の高いサービス開発へ挑戦するきっかけを生むことができます。

 

 これだけではありません。地方分散型や一極集中の是正、地方創生などが謳われていますが、現在は地域毎で最低賃金に差があり、リモートが可能なIT産業などしか地方に移住するインセンティブがありません。しかし、一律定額でベーシックインカムが支給されると物価の高い都市部より、物価の安い地方の方が圧倒的に”お得”ということになり、下手なインフラ工事などを行わずとも地方へ分散化が進みます。他にも、犯罪や自殺率の低下、結婚や出産への意欲向上など多くの作用が期待されます。


■予算と財源論

 ここまで必要性と効果について考察を行いましたが、それらを実現させるには財源問題についての議論が欠かせません。確保できる予算、人々の労働意欲を損なわない金額、現行の社会保障支給額(主に年金)を鑑みると、”成人に月々1人7万円ほど(未成年は半額)”となります。この金額であれば、切り詰めない限りこれだけでの生活は難しく労働意欲の低下は防げますし、かと言ってブラック企業で休日を返上し低賃金労働を行う人は減るでしょう。但し、介護や病気など一部の社会福祉を必要としている層にとって、7万では補えませんので、そこは臨機応変に対策が必要となります。

 

 さて、ここからは予算や財源の数字を追ってみますが、こちらは各専門家の皆さんが既に行われていますので、ここではイメージができる程度の簡単な”丼勘定”で表したいと思います(正確に知りたい方向けに下記の引用蘭にリンクを貼っておきます)。

 

○予算

【総人口】

 1億2,593万人(令和2年推定値)

【内成人】

 1億1,085万人(令和2年推定値)

【内未成年】

 1,508万人(令和2年推定値)

【必要予算】

 96兆7,332億円(月々7万円及び半額4万円)

 

○財源

【社会保障費代替】

 約  35兆円 (2020年度予算)

追徴税額

 約    9兆円 (7−11兆の中央値)

【医療費一律3割負担】

 約   16兆円 (6歳以下,70歳以上,低所得者対象) 

【消費税20%】

 約  40兆円 (10%の20兆円から単純計算)

【確保可能財源】

 約100兆円

 

 あくまでも「予算イメージができる」程度の単純計算ですが、概ね上記の内容に近いものになるのではないでしょうか。前述にもあるように、現行の社会保障費は代替(削減ではなく内包)することで約35兆円、税収に於いて毎年発生する”申告額との非違(追徴税額)”をデジタル管理で調査すると大凡7−11兆円は回収できると言われています。そして、国民に”給付と引き換えに負ってもらう負担”として医療費の一律3割負担と消費税の20%です。

 

 他にも、予防医療の義務化(健康診断や予防接種など)による医療費や介護費の削減、行政のデジタル化に伴う省人化、年金受給者の低下による負担軽減、国際的なデジタル課税などを含めると、予算の実現可能性は高まるように思います。今回の数値は正確な捻出方法を示したものではありませんが(正確な数字を出すには変数が多く、字数的に難しいので)、それよりも本稿では”ベーシック・インカムも実現できる”というマインドになって頂ければ幸いだと思っています。



 

 本日はここまでです。喫緊のポスト安倍は菅官房長官で決まりでしょう(※追記  やはり菅総裁となりましたね。この件は次の機会にでも触れたいと思います)。そして、恐らく次期総選挙もこの布陣は大きく変わらないと思います。人事も注目されますが、最大の目標は次期総選挙ですのでサプライズよりも手堅い”失点の少ない”布陣を目指すでしょう。

 だとすれば、重要となってくるのは前述のような社会課題と、国際情勢への関わり方です。国際情勢は秩序への ”責任” と ”貢献” がテーマとなり、西側諸国の覇権国家である米国不在の国際社会でイニシアチブを握れるのかにかかっています。

 国内の社会課題は、止められない省人化と人口減少の波をどう乗りこなすのか。デジタル化による”ニューノーマル”なるICT企業のポジショントークではない、新社会保障制度や人材の流動化、高利益率産業の再発見など泥臭く地道な改革が求められ、それこそが”ニューノーマル”の扉を開ける鍵となるでしょう。

 

 


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−引用・参考–

・ベーシックインカムが現実的でない2つの根拠雇用/海老原 嗣生

 

・【COVID-19】UBIの財源論:『みんなにお金を配ったら』『普通の人々の戦い』ほか/柏木 亮二

 

・2020 年度政府(国・一般会計)予算について-社会保障費を中心に-/日本医師会総合政策研究機構 前田由美子

 

・令和2年度 社会保障関係予算のポイント/主計局主計官(厚生労働第一担当)八幡 道典/主計局主計官(厚生労働第二担当)一松 旬

 

"世間が踊る、ポスト安倍の実態"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。今回は”コロナの総括”を行うつもりでしたが、

先週から巷を騒がせている"ポスト安倍"の報道がコロナ煽動からとって変わり、まるで陽炎のような熱波を持ってして"蜃気楼"を演出してしまっているように感じています。今回の安倍首相の辞任は飽くまでも体調問題ですし、選挙対策や現行の外交や感染症の政策を鑑みると次期政権は現状維持政権となることが明白です。しかし、与野党とも選挙を見据えて活発化しメディアも感染症がネタとして味がじ無くなったことも相まって必要以上に熱波を送っています。

 

 今回は形式的ではありますが、このポスト安倍について簡単に触れておきたいと思います。またそれに伴い、次期政権の政策について各メディアでは近視眼的な政策議論(コロナ対策や地方創生、減税など)がなされていますが、本稿ではもっと抜本的な踏み込んだ政策について、ざっくばらんに考察を行いたいと思います。

 

■安倍政権の成果

 辞任発表の衝撃は瞬く間に世界各国に広がりましたが、ここまで他国へ影響力を持った総理大臣は歴代でもいないでしょう。勿論それは安倍氏の手腕だけの成果ではなく、急速なグローバル化に伴い戦後もっとも外交力が必要だった時代性に起因しています。ただ、加速度が増し変数が増え続ける現代の国際社会で、日本のプレゼンスを示せたことは成果として称賛されるべきことだと思います。

 Twitterなどでも触れていますが政権の盤石さは、国内視点で捉えている以上に、価値の高いものなのです。日本視点での韓国を想像すると分かりやすいと思うのですが、前政権で不可逆的な解決を行った国家間の取り決めを政権交代後に反故とされてしまうとどうでしょうか。安心して交渉も出来ませんし、信頼関係も失い、相互依存性を高める協調より、リスクヘッジによる排除の気運が高まってしまうものです。長期政権には功罪があるにせよ、経済、外交に大きな恩恵をもたらしたことは事実です。 

 

■ポスト安倍

 表向きは"コロナ対策政権"とされていますが、冒頭で述べたように実質は"現状維持政権"となるでしょう。これには理由がいくつかあり、1つは前提として辞任理由が選挙で敗れたことではないということ。これは現状維持を行う上で最も重要な”言い訳”となります。次に安定政権を再び確立するには、派閥の関係性を崩さないことにあるからです。この点は民主主義の観点からすると非常に問題を感じざるを得ない部分ではありますが、先にも挙げたように安定政権の恩恵を鑑みると短中期的には受け入れるしかないでしょう。そもそも、民主主義の健全化を議論するのであれば二大政党制を確立できない野党にこそ大きな課題がある筈です。

 

 またこの派閥の維持に関連して"石破封じ"は明確に意識されています。今秋若しくは来年の選挙を見据えた辞任であることも含めると当然の対策です。つまり、"党派的盤石な安定政権の継続"を目的とする自民党内では、中長期的に菅氏、岸田氏を据え、その期間で小泉氏など後継者に要職を任せて育てるという方針なのでしょう(河野氏は党内の支持が固まっていないので当面は未知数です)。

 

 前述の路線が既定路線だとして、その上で政策や方針を考えるのであれば突出すべきは外交力よりも、国内課題をファクトベースで解決できるのかです。正直、安倍首相以上の外交力を発揮できる総理大臣は現れ難いでしょう。であれば、その点を党派的盤石な安定政権を維持することで補い(せめて任期までは満了する政権)、DX(デジタルトランスフォーメーション)をはじめとしBI(ベーシックインカム)も含めた抜本的制度改革を視野に入れることです。 

 但しここが相当に難しく、党派性が強ければ当然、利権やロビーにおもねるものです。この反語的要素を乗り越えることは安倍政権ですら出来ませんでした。しかし、今後の将来を見据えた時に社会課題までもが”現状維持”とされてしまうと、とてもではありませんが破綻してしまうでしょう。

 

 すでに行政改革(DX)、人権意識、余剰人材対策、新社会保障制度(BI)など、課題の根源とも言える要素の見直しは差し迫っています。

 

■行政のDX化

 安倍氏の体調問題が今回の辞任原因となりますが、ネットでは安倍氏の日程画像が拡散され"自身より忙しいか否か"の議論が広がっています。この議論に意味がないことは当然ながら、本質は"時間軸の予定が埋まっているか"ではない筈です。それは時間給の労働者であれば時間軸ですが、政治家は会食も含め寝ても覚めても政策勉強や意見交換、根回しが必要な職業であり、一つ一つの質や効率性(生産性)が求められるものです。だとすれば今回の件で議論すべきは"質(生産性)として低い活動がないのか" "もっと効率的な方法はないのか" というシステムの見直しです。

 

 例えば、非同期コミュニケーションツールで事足りる国会などが最たるものです。国会答弁の映像をご覧になられた方はご存知でしょうが、誤解を恐れず申し上げるとパフォーマンス以上の何物でもありません。意見交換と言っても何かが決まる訳でもなく、書類を読み上げる為に高額な人材が何十人と集まって何時間と費やすのです。更には、読まれもしない関連書類を高学歴人材に雑務として作らせているのですから、DXや働き方改革からは最も遠い世界線でしょう。また、総理大臣の出席義務が発生するケースもあり、国会の制度改革を行うことで健康問題の緩和にも繋がります。

 

 他にも財政や地方行政の改革へ密接に関わる課題として"デジタルIDの活用"が挙げられます。デジタルIDによって情報の管理が進むと、徴収、給付、書類発行など行政手続きが圧倒的に効率化されます。ここにデジタル通貨やヘルスケア情報、免許証類の情報なども加われば、効率化だけではなく財務コストが大幅に削減されます。この論点では必ず"個人情報の保護"への懸念が取り沙汰されますが、金融では税務署によって既に管理されていますし、住所や家族構成なども"戸籍"として全て管理されています。言うなれば戸籍をIDとして一括管理を行うに過ぎません。つまり、現金を用いて脱税でもしていない限り問題はない筈です。

 このようにトップの行政システムにDXを取り入れ、総理大臣自身が働き方改革を行うことは、クールビズがトップ主導で浸透したのと同じく、地方行政や教育現場などの国家運営全体のシステム改革にも繋がる重要なファクターなのです。その意味でも、今回の健康問題を単なる"時間軸での忙しさ"で議論を終えるのではなく、本質的な日本の生産性にまで推し上げて議論を進めて頂きたい限りです。



 本日はここまでとします。今回は形式的な内容に留まりましたが、次回は以前から指摘している人権問題とBIについて考察を行いたいと思います。このどちらもが感染症対策によって顕在化した"日本の病巣"を改善するために必要な要素です。

 人権は男女均等ばかりが謳われますが、大省人化時代に伴い余剰人材が増えると"再就職差別"など新たな課題が発生します。年齢やブランク、学歴、性別、実家暮しなど、就業能力とは全く関係のない項目で雇用機会を喪失してしまっています。これは新卒一括採用から終身雇用を行っていた時代の名残であり、"人材は流動しない"ことを前提として組まれているからです。しかし大省人化時代にこの制度を適応してしまうと30代〜50代の多くの方が再就職困難者となることでしょう。

  また、今回の不況を余剰人材を抱えた状態で"持続的に"乗り越えるには、日本で生産性の高い産業を構築する必要がありそのために、人々の暮らしへ余裕を持たせる必要があります。この時、ベーシックインカムは大きな役割を果たすでしょう。

 


 私達は数年間という長いスパンで行う改革をこの1年で、喫緊の課題として直面することとなりました。だからこそ今、政治に求めるべきはテック企業によるポジショントークの"ニューノーマル"ではなく、日本の病巣へと切り込める盤石な政治なのではないでしょうか。そして、保守的に利権へおもねることがないように、国民である私達はメディアによる"蜃気楼ではない、正しい理解"を持って声を挙げる必要があります。

  

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"米中対立の渦中で『未来の醸造』が希望となる日"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。ここ数ヶ月は感染症を中心に日本の社会課題について触れてきましたが、前回("嘘が氾濫する時代に、ファクトで生きる")に続き、今回は対中外交について考察を行いたいと思います。元々、本ブログのスタート記事が "国際社会に於ける反日問題" というテーマでしたので、原点回帰と言ったところでしょうか。

 

 さて、対中強硬路線がアングロ・サクソン諸国(アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア)を軸に行われていますが、日本も尖閣諸島での威圧行為などを受け、従来の姿勢を改める必要性に迫られています。特に香港問題やウィグル問題も重なり、世論は左派も含めて“中国脅威論”へと傾いています。しかし、米国が行っているハイテク産業からの中国排除などは実際のところ限界があり、明らかに大統領選に向けたポジショントークが含まれていることも事実なので、安易に追随することには些か疑問が生じます。また、以前から指摘しているように、国際社会の秩序へ意見を表明するのであれば、先ずは秩序形成に対して日本自身が貢献と責任を持たなければなりません。

 

 つまり今、日本で日本人が考え議論すべきは日本自身の課題であり、他国の人権問題でも中国脅威論で民衆を煽ることでもないのです。中国の脅威を正しく理解し、日本のあり方を議論する、そのレイヤーに議論が上がるためにも今回は対中関係のフレームを分析したいと思います。

 

対米防衛線という戦略線

 前回も指摘しましたが、日中関係に於いて地政学的な議論を外すことは出来ません。

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※図1 第一島列島と第二島列島の地理的境界 

 こちらは中国の軍事戦略ラインで"対米防衛線"として設定されている第一列島線(左)と第二列島線(右)です。有事の際(台湾有事を想定)にこの区域に於いて領空、領海から米国を排除、進入阻止を行うための基準区域であり、実際に機雷や潜水艦運用の為に海洋調査などが行われています。日本の”地下資源の為に調査”という報道は正しくありません。

 この列島線は元々、台湾の中国国民党と中国共産党に於ける内戦が火種であり、台湾側を支援した米国を仮想敵としたことで、陸軍中心の軍事体制から海洋中心とした戦略に変わったことに由来します。更には中華人民共和国以前の領土や、朝貢制度下だった地域を自国の領土とし、東半球から米国の脅威を取り除こうとする思想に基づいているのです。図を見るだけでも明らかであるように、中国にとって国家戦略上、沖縄や尖閣諸島、沖ノ鳥島などは必要不可欠な存在なのです。

 

 つまり中国は明確に社会主義国家として西側諸国から離れ、独自の覇権構築を前提としており、日本が軍事予算を減らそうとも、憲法9条を維持しようとも一切の関係なく、軍事展開を進めることとなりますし、米中対立が加速すると当然ながら日本は自国防衛を迫られるのです。

 

■基軸通貨を狙う、デジタル人民元

 前述の"覇権を取る"という文脈で昨今の情勢を俯瞰すると見えてくるものがあります。例えばデジタル人民元ですが、自国の管理だけではなく基軸通貨の米ドルに対抗するためのシステムとなるでしょう。社会主義国家が西側諸国と対等若しくは優位な立場であるには、同等の経済圏を構築する必要があります。この点は、莫大な内需を抱えつつ他国にも経済的依存性を高めることで成功しています。先の国家安全維持法で53カ国からの支持を得た現状が良い証拠でしょう。そうなると次に重要となってくる要素はエコシステム内で用いられる決済手段です。

 

 米国は貿易赤字に関して異を唱えていますが、基軸通貨である恩恵は、他国の経済にも介入できるのですから赤字を消しとばす程大きいものです。それに英国のポンドに次ぐ米ドルと、基軸通貨化は覇権国家の象徴でもあるものです。このことを踏まえると、中国のデジタル人民元が少なくとも同盟国間で用いられる"米国不干渉の基軸通貨"を狙っていることは明白です。

 

■対中政策の結末

 しかし、冒頭でも触れたように "米中どちらかを排除する" という選択は現実的に難しいものです。先日、孔子学院のニュースにも書きましたが大学や企業、人材など至る所に中国資本は介在し、研究開発ではなくてはならない存在でもあります。

 勿論、この点も中国政府の戦略なのですが、現実としてある以上割り切るしかありません。恐らく、本気で中国を恒久的に排除しようとしている国家も代表も存在しないでしょう。落とし所としては、人権問題の透明性や軍拡の国際法順守さえすれば容認する、というところです。実際のところ、対米防衛線の概念は1982年頃には存在していましたが問題視されてきませんでした。

 

 ただ、だとすればこの問題の本質は、中国の覇権に対抗、抑制できる西側諸国の影響力が問われることとなります。国家安全維持法で国連人権理事会の53カ国が中国を支持(反対は27カ国)したような状況ではWHO問題も含め均衡が崩れていくでしょう。それに西側諸国の覇権国家である米国は国連人権理事会を脱退しており、影響力は最早ありません。このような状況下で中国と隣接する日本は、従来通り米国を笠に着て国際社会へ意見表明を続けたとしても、実利にも繋がりませんし訴求効果もないでしょう。

 

■日本が進むべき道筋

 中国との分断も難しく、中国の民主化などは夢物語でしかなく、更には米国の覇権も失われつつある中、日本は日本として独自に東アジア地域の秩序形成に貢献し、アングロ・サクソン諸国及び周辺各国とのアライアンスを構築するしかありません。

 特に、大省人化時代とはいえ人口減少により、内需の経済循環が低下する昨今、再投資や人材確保の側面を考えても、アライアンスは必要不可欠な成長戦略となるでしょう。これは感染症後のニューノーマルでも、長期間の鎖国が現実的でないので変わることはありません。 

 

 この観点では先日、河野防衛大臣が示唆した"ファイブ・アイズへの加入(機密共有「ファイブ・アイズ」と連携意欲 河野防衛相)"はとても重要な文脈です。GDP第3位の日本と、伝統的な覇権国家である西洋諸国との連携。あとは、日本自身による安全保障の整備が行われると、東アジア地域のアライアンスへより現実味が帯びてくるでしょう。

  詳細は以前のコラム "国際社会に於ける反日問題"で考察しましたのでここでは割愛しますが、スパイ防止法や知的財産権の保護、個人情報保護法などは喫緊の課題です。そして、シビリアン・コントロールの側面でも軍法会議制度の設置は欠かせないでしょう。安全保障問題というと右派も左派も軍拡論に陥りますが、一番問題(危険)である状態は、現行の憲法のように曖昧で不確かな環境で軍事力を保有することに他なりません。例えば近隣の諸外国が武装組織を保有していたとして、その組織を定義する法律が曖昧で”解釈”に委ねられているとすれば、信用できるでしょうか。シビリアン・コントロールとは本来そういうものであり、軍事力を奪い曖昧な運用を行うものではありません。 

 また、第二次世界大戦でもメディアの煽動報道が影響したと議論されるように、このシビリアン・コントロールの側面ではジャーナリズムの在り方が重要な要素となります。但し日本の世界報道自由度ランキングは現在66位(全180カ国)と中途半端な位置付けの上、感染症報道を観ていると如何せん問題を感じざるを得ない現状です。

 

■“未来への醸造”が日本の希望となる

 最後に、日本の未来への醸造について触れたいと思います。諸外国とアライアンスの構築といっても、現在の日本が投資の世界線で優良物件でないことも事実としてあります。人口減少による成長鈍化や利権や規制による外資の参入障壁、ICT技術の未成熟さ、そして語学的なハードルなど、要因は数多く、グローバルな資本主義社会にとってクリティカルな課題ばかりです。しかし、そんな中でも強みとなる要素が1点あります。それは少子高齢化社会です。

 日本は先進各国の中でも最も早い、少子高齢化先進国でもあり、過渡期ではネガティブな作用を及ぼす反面、少子高齢化社会を技術革新や制度設計により乗り越えることが出来れば、アライアンスを組む諸外国へ見本として”価値”を提供できるのです。果たして、それがベーシックインカムなのか、ロボティクスなのか、予防医療なのか、移民政策なのか、選挙制度の改革なのかは分かりませんが、今から圧倒的なアドバンテージのある成長産業として市場を構築し、技術や制度を醸造しておくだけの価値があるでしょう。

 

 資本主義や民主主義が行き当たる社会課題に最も早く到達する日本は、西側諸国の”限界”となるのか”指標”となるのか、今が分かれ道にあります。だからこそ私達は、過度な中国脅威論や過度な米中依存を捨てて、今から未来を醸造しておくのです。



 本日はここまでです。昨今の議論は米国に付くか,中国に付くかの議論や,香港問題やウィグルなど人権だけを主張してしまっています。しかし、厳しい表現ではありますが,何事も”責任”と”貢献”なくして主張を通せるほど,世界は甘くありません。

 日本は日本人として、日本の課題に先ずは向き合い、その先に社会秩序への議論が存在するのです。そして、その課題解決と向き合うことで、日本の未来はきっと明るく”日が昇”のではないでしょうか。

 

 

「国際社会に於ける反日問題」

第一項 ”前提の考察”

第二項 ”西洋諸国から見た戦後日本”

第三項 ”ロビー活動と戦後処理”

第四項 ”国家相互依存性”

第五項 ”個別的相互依存性”

第六項 ”更なる課題”

 

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Photo by wu yi on Unsplash


–引用・参照–

※図1 Office of the Secretary of Defense-

  ANNUAL REPORT TO CONGRESS Military Power of the People’s Republic of China 2006

  Military Power of the People’s Republic of China

  Chapter Three-China’s Military Strategy and Doctrine

  The Strategic Direction of PLA Modernization

  Figure 2. Geographic Boundaries of the First and Second Island Chains -P15

 

※2 Wikipedia-第一列島線

"嘘が氾濫する時代に、ファクトで生き抜く"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回指摘したようにインターネットの普及によって情報がより身近なものとなりました。その中でも特に、感染症を契機として政府の動向、香港やBLACK LIVES MATTERによる人権意識など、社会課題が議論されています。また、この潮流は日本が長年内包し続けていた自然災害や生産性改革、安全保障までに広がりを見せつつあり一辺では議論の活発化として喜ばしい反面、マスメディアの影響も強く感情的なロジックに陥り易い傾向も顕在化されてきました。

 

 当ブログでも、その空気感を根拠とする感情的ロジックと何項にも亘り対峙してきました。これまでの各項をお読み頂けた方々は感じていると思うのですが、感情や空気感で構成されたロジックは課題解決に繋がらないどころか、メディアを媒体として瞬く間に伝染し、社会全体を間違った方向へ突き動かす”原動力”となってしまう可能性があります。ただこれは私を含め人間の習性であり、喜びから人を称え、怒りから闘争心を抱き、悲しみから破壊衝動を抱き、楽しみから向上心を抱くものなのです。つまり感情的ロジックは自然な心の動きで、Homo sapiensが生存競争の中で勝ち得た"社会性"として大切にすべき機能でしょう。

 

 しかし、解決しなければならない社会課題が道を塞いだ時、習性としての感情的ロジックを乗り越え、私たちは "ファクトに生きる" 必要性がある筈です。今回はこの"ファクトに生きる"ことを軸に考察を行います。 



■災害大国日本が抱える遊休資産「神社の活用法」

 近年、環境問題と併せて世界各国では異常気象が取り沙汰されていますが、日本では古来より自然災害大国として災害と向き合ってきた歴史があります。映画 “天気の子” でも“観測史上初は精々数十年の観測に過ぎない”と表現されていたように、現実でも歴史的文献や地質学から地震、噴火、津波、洪水、台風など、近代的計測以外の “歴史的記録” が存在します。

 

 例えば熊本県を襲った令和2年7月の大洪水でも規模は今回が最高だったものの、約55年前に類似の災害が発生していました。この件によって、政府もハザードマップの周知及び、不動産販売時のリスク周知義務を設けましたが国土の狭い日本では、災害リスクよりも経済性や故郷という感情が優先されてきました。しかし、人命の観点ではもちろんのこと、自然災害の度に必要となる復興財政負担を鑑みると、経済的、感情的リスク(コスト)として従来通りの “リスクを無視してに住む”のではなく、数十年の科学的集積と経験の集積である歴史的ファクトの両方を用いて、歴史的集積、有効な既存インフラを活用してみてはどうかということです。

 

 特に神社は災害の度にメディアで、“神社の奇跡”などと形容されてしまうため宗教として扱われてしまいますが、古来よりある神社は自然災害後にファクト情報(実際の被害)に基づいて建てられているケースも多く、歴史的経緯と災害時のインフラとしての2側面で潜在的可能性を有しています。

 

 歴史的経緯の側面では、東日本大震災で大津波が発生した時、津波の境界線に位置していた神社が話題となったように、過去の災害に基づき、建てられている点があげられます。例えば、東日本大震災時の津波でも、ヤマタノオロチの退治で有名なスサノオノミコト(治水や疫病のカミ)を祀る神社や縁の深い出雲系神社などは浸水を回避しており、さらに神社の表参道沿いの昔からある集落は浸水しなかったことに対して、新規の住宅地は浸水してしまいました。他方、農耕を司る稲荷系神社は開けた土地に位置するケースが多く浸水もあったようです。

 

 これは不思議な力でも神の御業でもなく、ヤマタノオロチが大洪水の蛇に例えた伝承を元にしているため、神社や周辺の住居が高台に位置しているのに対し、稲荷系は太陽が降り注ぎ農耕に適した場所(つまり開かれた低い土地)に位置しているという歴史的ファクトによるものです。この詳細研究は、 “東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究” という論文を参照ください(興味深い内容です)。そもそも災害大国でありながら神社は100年−1,000年と原型が保たれているケースも多く、上記の論文を元に地質学調査を行った上で、避難所や緊急インフラ所として神社を活用する試みは現実的だと考えています。

 

 このインフラとしての側面では、全国に神社が約8万社、寺院も含めると約15万社以上と、コンビニ約5万店の約3倍程度の数が存在するため、科学的根拠と併せ最低限のインフラ備蓄を行えば大きな “災害対策資産” を手に入れることとなります。また、前述にもあるように神社と住居との距離や関係性が近いため、現行の住民へ大幅な住居移動を要請せずとも“可能な限り神社側の居住区への移動”で抑えられますし、災害地区であっても、神社の存在が周知されていれば避難目標としても活用が容易になるでしょう。

 

 このように、宗教だと忌避したり、目に見えぬ噂を元に忌避するのではなく、ファクトや歴史を元に情報を取捨選択するだけで、私たちの大切な “人命” を守ることに貢献することができます。日本は今後、縮小経済へ向かうとされている中、忌避論を元とした資産の遊休化は避けなければならない課題です。氾濫する情報に溺れずにもう一度、先入観を捨てて情報に向き合ってみることが大切ではないでしょうか。


■国内課題とファクト

 最後に諄い(くどい)ようですが感染症と安全保障について触れておきたいと思います。感染症関連では新規陽性者数が騒がれていますが本来重視すべきは、病床数の推移と陽性者が発生したとされる場所での感染対策内容です。特に今回の新規陽性者数は大幅な検査数増加によるところで、数値だけを切り抜いても意味がありません。このことはTwitterで下記のように触れました。

 

 また、報道は数値のみなのですが、陽性者やクラスターが発生した場所の感染対策内容を細かく調査し、開示する必要があります。これにより"対策が甘くて発生したのか"、"どこの対策が甘くなるのか"など、利用者や提供者双方ともがファクトに基づいた効果的な対策を行えるようになります。確かに、陽性者数もファクトではありますが、不安心理を煽りたいだけなのか、課題解決へ向けて取り組んでいるのかで大きく異なります。

 

 次に安全保障問題ですがこちらも"中国の脅威"という単一の論点に基づくものではなく、日本の立場や時代の潮流として今、議論が必要である旨を押さえる必要があります。例えば、中国の脅威とは大きく "軍事と経済による権利の侵害"と定義できるのですが、ここには更に "物理的距離感"も内包されています。つまり、地政学的リスクです。


 Googleマップなどを見て頂ければ分かり易いのですが、社会主義国家(中露)が太平洋側に進出するには日本を越える必要があります。また、日本から台湾、フィリピン、インドネシア、その奥のオーストラリアに到るまで弧を描いて西側諸国の影響下(=必ずしも常に西側諸国へ帰属しないものの)にあります。このように国際情勢を世界地図で俯瞰すると、何故中国が執拗に海洋進出を行っているのか理由が伺え尚且つ、日本がレイシストや過激派の右派であるが故に国防や対中外交を行うではなく、地政学的な外的要因によって必要性があるからなのです。

 

 これは中国が友好的な国家であったとしても、日本が中国の帰属国でもない限り変わることはありません。何故なら、陸地や海域が隣接する国家間の争いは必ず発生し、そして他国である以上、自国の利益を重んじるからです。特に国際社会では安易に不利益を容認し恒久的な慣習になってしまうと、何世代にも影響を及ぼすでしょう。

 

 このように"地政学的な必要性"と"戦後秩序にくみこまれた構造"というファクトから、安全保障について語る必要があります。どの国が嫌いだから、怖いからなどでは当然に意味がありませんし、脅威などはなく国防は不要だ、という意見もファクトに基づかないあまりに乱暴な感情的ロジックなのです。


 本日はここまでです。自然災害も"予測不可能"とされますが、地質学と歴史書で大きな枠組みは解析できる筈ですし、何気なく通り過ぎていた神社なども本来の役割を知れば、十二分に可能性を秘めた資産として扱うことができます。事象を細分化し、多角的視野でファクトを分析することが課題解決へ向けた議論の本質になるように思います。自殺や安楽死など、暗い話題が続くと感情に引っ張られてしまいます。また、"他人に迷惑をかけてはならない"という日本特有の同調圧力が更に息苦しさを増しています。しかしこの同調圧力も、江戸時代の五人組制度(5戸1組みで犯罪を見張り、罪を犯せば連帯責任となる制度)というファクトが影響しています。だからこそ、感情を煽るような報道や、監視や吊し上げを正当化するような自粛対策を取ってはいけないのです。

 

 情報化が進み、あらゆる情報に触れ、情報を発信する時代だからこそ、感情的ロジックに溺れずにファクトに生きなければなりません。

 

 

 

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[黒川 和嗣(Kazushi Kurokawa)Twitter ]

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Photo by Kazushi Kurokawa

−資料−

※1 ”東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究”