勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

"Withコロナの虚像と深淵からの手招き「発酵経済と五感的解像度」4/5"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回はマトリクス図を使った、社会変容について考察を行いました。巷でも騒がれている "With コロナ構想" に近い内容となったでしょうか。しかしこの "With コロナ" には正直なところ二つの違和感を感じています。一つ目は社会変動に対して過剰に注目されている点、二つ目はピンチをチャンスと謳っている点です。

 前者はイノベーター理論にあるように感じます。ICT技術に関係する企業や研究者、長期的な経営戦略を分析する経営者のように、イノベーター理論に於いて”アーリーアダプター”と称される方々にとっては大きなテクノロジー変革が”直近の課題”として扱われますが、国民の大多数であるレイトマジョリティの社会に実装されるまでは、まだ時間がかかるでしょう。つまり、メディアなどではテクノロジーによる"Withコロナ”を時代の潮流として煽られていますが、最先端の関係者と、大多数の国民にとっての課題としては”ズレ”が生じているのです。そのズレを広げているメディアの煽りがまるで一時の”暗号通過ブーム”を彷彿とさせるほどで、実質の社会成長よりガチャ的な情弱ビジネスに向かうのではと感じています。

 後者は正に大多数に於ける課題として、"ピンチはピンチとして存在する"ということです。前回でも指摘しましたが、旧社会制度と新社会制度の狭間には、適応が出来る対象(人)と適用が難しい対象(人)が生じ尚且つ、ネガティブな影響が及ぶ層は、社会的な分母に対して分子が少ないため、社会全体からは見えずらく、置き去りになってしまう傾向があります。特に今回は、市場の淘汰が加速し"デジタル上で完結する市場"が構築されつつあるため、ピンチをチャンスと言っても余剰人材の行き場は大きくありません。これは感情論として可哀想といった発想ではなく、私自身も経営に関わってきた身として、余剰人材を"自己責任による負債"として切り捨てるのではなく、活用することこそが成長戦略にとって重要なテーマだと考えているからです。特に人口減少禍にある日本にとってはより一層、重みが増すでしょう。

 前回は"Withコロナ"のような社会変革への妄想を行いましたが、今回は一呼吸おいて、一足飛びにテクノロジーへ飛び付かずに、ピンチはピンチと感じている層の社会課題について考察を行いたいと思います。

 「発酵経済と五感的解像度」4/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 


■深淵からの手招き
 一つは中途採用問題でしょう。現在の中途採用では年齢、転職回数、ブランク年数を足切り基準としていますが、これらは定年制、終身雇用制、新卒一括採用の概念に基づきます。全体的に乱暴な表現とはなりますが、定年が意識されるので年齢に上限が必要となり、終身雇用を前提とするので転職回数は "裏切りの回数" のように扱われ、新卒一括採用が当然の規範的行動となる中、ブランク年数があることは社会規範を逸脱している人物として扱われてしまう傾向にあります。勿論、企業体質にもよりますし、採用サイドとしては年齢が高まるにつれ、人材として高い質を求めるのは当然です。しかし、このような足切り基準を慣習としてしまうことが、人口減少禍にあり社会変容の激しい現代社会に於いて、ポジティブな作用を生み辛くしているのも事実ではないでしょうか。

 次に社会人の学び直しです。中途半端な実用性のない "資格取得" だけのような学びでは、競争原理のはたらく実社会での価値にはなり難いです。特に中途採用ともなれば、実用性が必須であることには議論の余地はないでしょう。但し、ここでのポイントは前述とも通じるところですが、しっかりとした学び直しをする時に犠牲となってしまう年齢やブランク年数に対して寛容であることです。また、"学びは学生のすること"といった偏見で捉える空気感も取り除く必要があります。

 そして最後にフリーライダーへの許容です。フリーライダーとは、単にフリーランスであるということではなく、終身雇用や業種に拘らず時代の潮流に合わせてキャリアアップをしたり、異業種へチャレンジをしたりすることを指します。このようなフリーライダーへの許容は外資系をはじめ、リクルートなどでは随分と前から存在しますが、まだまだ多くの日本企業では終身雇用に縛られているいます。
 私自身も採用や教育を行う時に、感情としては当社に骨を埋めるつもりで入社してほしいと思います。しかし現代社会では、それは希望的観測であり採用サイドの "ファンタジー" でしかありません。高度経済成長期ではそれでも成立しましたが流動性の激しいこの時代に、一人一社一業種ではとてもではありませんが博打が過ぎます。投資のポートフォリオでもこんな恐ろしいことはしないのに "人生はフルベットしろ"とは正気の沙汰ではないでしょう。

 また、収入差別の問題もあります。ここでいう収入差別とは賃金格差のことではなく、収入額を他者と比べたときに高いか低いかで、マウントを取ったり低所得者を可哀想としたり、劣等感を抱いたりしてしまう空気感のことです。正直、私の所感では、独身の男性で大きな借金も無ければ、手取り15万円で趣味や貯蓄などに回しても生活は可能だと考えています。(勿論、身の丈以上の贅沢や最低限の金融リテラシーは持っている前提ではありますが。。。)  

 つまり、失業者が増える今般の時世に於いて、テクノロジーによる "With コロナ" だけを語るのではなく、これら旧成長時代に作られた固定概念を捨て去る議論が、抱き合わせで必要なように思います。
 常に"ピンチはピンチ"として影を落とす要素が存在し、そちらの議論を置き去りに、未来思考のポジショントークに引っ張られるだけでは先の "失われた30年"のように、長期的に国家を支えるフレームを蝕むこととなるのではないでしょうか。

 

 私は、自身がクリエーターであり尚且つ、経営を行う立場として、イノベーター理論上にある技術や知識、価値観の浸透や躍進を重んじておりますが、世間全般の動きに必要なのは、今回のような泥臭い制度改革や血の通ったリアリズム思考だと考えています。過剰に煽られている "With コロナ論" には、かつてのビットコインを彷彿とされる、キラキラとした側面しか見せない違和感を漂わせています。

 今回の議論には既視感があります。

 

 そう私には、制度改革を行わなかった "失われた30年"が、深淵の向から手招きをしているようなのです。

 

  本日はここまでです。今回、浮き彫りとなった課題を念頭においた上で、次回は"発酵経済と五感的解像度"のマトリクス図の妄想から得た課題を"リアル"な短期的社会変容に落とし込みたいと思います。

 

 

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