勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

"社会変革のための,義務教育トランスフォーメーション 「日本よ、目を背けるな」4/4

 

黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。以前(「日本よ、目を背けるな」 4/4)より日本が直面していて尚且つ、口当たりの良い対処方法へ逃げてしまっている課題について考察を行ってきました。安全保障問題、ジェンダー問題、社会人幻想論、選挙制度の形骸化など、ジャンルは多岐にわたりますが、通底する課題が存在します。それは “少子高齢化” です。

 

 安全保障と向き合い東アジアでのアライアンスを構築することで、減りゆく人材や資源などのリソースを獲得することが出来ますし、ジェンダー問題は少子高齢化の歯止めと女性の社会進出による人材の最適化へと繋がり、大量生産大量消費時代の社会システム(雇用制度、社会保障、リカレント教育環境)を改善することで省人化後の個人生活を守り、選挙制度を改革することで若年層の影響力が高まれば社会全体の硬直化を緩和できるでしょう。

 

 これらのテーマは身近でありながらも深い議論はなされず、口当たりの良い主張で蓋をされていましたがその実は全て、日本のグランドビジョンに関する重要なテーマということです。とりわけ選挙問題は若年層の待遇改革の文脈ではなくDXに直結する課題で、デジタルネイティブである若年層の社会参画は、業務(行政)のデジタル化への強い力となり、巡り巡って “漏れのない税収” “税金コストの削減” “福祉対象へのレコメンド”と老若男女問わず国民全体への恩恵となり得るものです。(もちろん、改革しないことで有利な既得権益も多く存在しますので、国会がアナログであり続ける限り、そう簡単ではないでしょうが。)

 

 しかし、若年層票の価値が増すと当然ながら、安易なバズワードによるパフォーマンスで煽動しようとしたり、耳障りは良いが具体性のない感情論を流布するケースや、学校教育という社会から隔離された空間でバイアスを植え付けてしまうケースなどのリスクが想定されます。そうならないためにも、社会システムのアップデートと合わせて教育システムのアップデートを行う必要があります。

 

 今回は、“実践的社会リテラシー教育”を軸に義務教育課程で身につけておきたい内容を考察します。

「日本よ、目を背けるな」 4/4

第1項 "BLACK LIVES MATTER を対岸から叫ぶ前に"

第2項 "口当たりの悪さの先にこそ,喉ごしの良さが待っている"

第3項 "若者は選挙へ行こう!、は虚無の世界線"

第4項 "社会変革のための,義務教育トランスフォーメーション"



■資本主義のゲームルール「ファイナンスリテラシー」の本質

 このテーマは昨今、多くの書籍や番組、動画などでも取り上げられている問題ですがあまり広がりをみせません。それは根底としてファイナンスリテラシーの重要性を理解していない点にあるように思います。その要因は、義務教育のカリキュラムに資本主義ないしエコシステム論が存在しないこと、そして教育者の多くが公務員(Labor/Consumer)でファイナンスリテラシーをあまり求められない職種であることなどが挙げられます。また社会人の財務意識への影響として、源泉徴収型の納税方法を用いることで、(サラリーの場合は)企業が徴収処理を行ってしまい、各個人の税金に関する意識が薄れていることも関係するでしょう。

 

 ファイナンスリテラシーの影響は単純に“儲ける知識”という意味ではなく、資本主義社会のシステムを学ぶという “生活水準や価値観に直結するリテラシー”として本来は義務教育をなされる必要があるテーマです。例えば、キャッシュフローといえば多くの方は働いて稼ぐ “労働所得” をフローさせるイメージを持たれますが、本来は資産を投資することで発生した “不労所得” をフローさせることで生活費を補う事を意味しており、労働所得を生活費として動かし続けようとすると、仕事が辞められずまた失業=生活難のリスクを抱えるいわば “自転車操業”の状態に陥ってしまいます。

 

 つまり、生活に必要な限界費用は “不労所得(又は複収入)” で補い、資産構築を+αの“労働所得”で補う構図が資本主義経済として健全なキャッシュフローです。これこそが、近年謳われる“好きなことをして生きる”という価値観の前提条件に存在します。

 

 他にも、貯蓄は可処分所得を再回収し戦争費用に充てるために奨励されたシステムであり、戦争経済ではなくなった資本主義社会では、キャッシュを貯蓄するのではなく、投資(自己投資を含む)により流動性を与え続けることが個人や社会の経済的成長へと貢献します。更に、この経済活動の過程では大きく、“労働者” “経営者” “投資家” の三層に分けられますが、義務教育では労働者教育を主軸とした一元的教育となっています。これは現代の義務教育が1804年プロイセンで従順な徴集兵候補を育成するために策定された義務教育プログラムに起源を持っているため、兵士=労働者を効率よく育成することに特化しているからです。

 

 本来の義務教育とは “社会活動に必要な教養と、専門家になるための素地を養う教育” なので、旧態依然の軍事制度ではなく現代社会に寄り添ったシステムへのアップデートは必須です。この乖離はファイナンスに必要な数学でもみられ、江戸時代の寺子屋では田畑の計算や複雑な年貢の計算に用いられる“和算”という日本独自の数学を学び武士や農民までもが“幾何学” “数列”など世界的にみても高度とされた計算に対応していたように、最低限の税収のシステムや財務管理に必要な知識をベースにしつつ情報処理や統計学へなど必須となる分野を軸にカリキュラムを再構築する必要があるでしょう。

 

 高付加価値産業の要である芸術家やエンジニアでも財務意識が全くなければ、経済成長期の作業員(労働者)としては成立するかもしれませんが、今後の“個”が意識される社会では淘汰され、産業全体の競争力を阻害してしまいます。学校教育で、将来の夢を語らせるのであれば、夢を実現させるための “ゲームルール” についても学ばせなければ、社会全体の成長は持続できないものです。

■誤解を解いた先にある本当の「デジタルリテラシー」

 教育問題でファイナンスの次に挙げられるテーマは “デジタルリテラシー” です。ここでいうデジタルリテラシーとは、机上で語られる“リベンジポルノ”や“チャット内のいじめ” “個人情報意識”などについてやプログラミングという個別技能についてではなく、“実際に教育課程に組み込み使う”ことで得る、デジタルツールを使いこなす力のことです。

 

 実社会で数十年前からWordやExcel、Web検索が基本スキルであるのに対し、現状の教育環境では、“鉛筆と紙を用いて、暗記をする”ことが求められています。このような環境下で一部授業にPCを用いても、アナログ思考から抜け出すことはできません。これは英語教育と同じで、日本語9割の授業で実用的な英語が身につくのか、そして義務教育課程で英語を学んだ人口数と実社会で英語を使える人口数に相関があるのか、という英語の問がPC授業にも当てはまって来るように思います。

 

 この点における対策は、デジタルリテラシーの定義を“実社会に直結するツールを使いこなすこと”と明確に定義し、学校システムにデジタル思考を組み込むことで解決されるでしょう。ただここで課題となるのは、利権とインフラ問題です。しかしこれらの問題も解決不可能ではありません。

 

 特にデジタル化に伴う学校不要論が受益者団体を刺激していますが、これは完全にミスリードで、不要とされる学校とは旧態制度を指し、コミュニティーや教職員が不要ということではないものです。例えばオンライン学習でも、共働きの家庭では自宅に子供1人で過ごさせることは不安でしょうし、授業そのものは動画学習を取り入れても詳細なケアがなければ学習効率が落ちる子供も出てくるでしょう。また、全ての子供が独自の社会的繋がりをもてるわけでもありません。そのような問題には、預けられる地域コミュニティーや世話をするメンターが必ず必要になるということです。

 

 つまり、旧態依然の一元化教育を強要する箱物は不要ですが、江戸時代の寺小屋のような教育コミュニティーを設けることで、結果的には教職員の過酷な労働負担を削減し社会的必要性も確保されます。本来のデジタル化とは、子供、親、教職員など全てのステークホルダーにとって有益なシステムです。

 

 次にインフラですがこれも寺小屋を前提とするならそこまで難しくありません。タブレットやPCはコスト的に配布しても問題ないでしょうし最低限の通信費も支援していいと思っています。問題は何らかの理由から家庭環境で通信が難しいケースですが、その場合は寺小屋を利用することも考えられますし、オンライン教育という言葉に騙されがちですが、必ずしもオンラインである必要はありません。授業が動画であればダウンロード可能ですし、宿題も教科書も全てオフライン化はできます。

 

 このように、最低限のインフラ支援をした上で、オンラインとオフラインの相互利用を行えば、意外と障害はないものです。結局のとこ残る課題は、動画をどの企業が受け持つのか、システムを地方と中央のどちらが管理するのか、予算をどの省庁が受け持つのかなど、政治的利権だけが、デジタルリテラシー最大のボトルネックではないでしょうか。しかし、たとえ政治的利権が課題であるとしても国際的なデジタル化の潮流には抗えず時間の問題でしょう。形だけのデジタル教育を行い、デジタルネイティブの可能性を積むのではなく、教育環境、そして教育思考そのものをデジタルネイティブに合わせて次の世代へバトンを繋ぐことが、本当の教育であるのではと考えています。

 

■研究開発思考から始める「自走人材教育」

 最後に義務教育の研究開発思考について簡単に触れたいと思います。研究開発というと大学での教育を連想されますが、そのような高度な設備や専門課程を目指すということではなく、ここで指している研究開発思考とは“課題発見、本質の特定、分析、解決能力”のことです。

 

 現状の義務教育では前述(ファイナンスリテラシー)したように軍事教育を基礎とした一元化教育として、いわゆる“指示待ち人材”を育成する設計となっています。しかし、一度社会に出ると “自分で考えて動く” “柔軟な発想を持つ”など、真逆の思考が求められてしまい、多くの企業は教育コストがかさみ、新社会人にとっては矛盾解消という無駄なコストを払い、社会全体では競争力の低下に繋がります。この無駄を生む乖離を埋めるために、義務教育課程で研究開発思考を養う必要があると考えています。

 

 具体的には、自身で取り組む社会課題を設定し(類似調査を含む)、能動的サーベイ(調査)、ケーススタディ(事例研究)を行い、それを論文にまとめ公表する、それだけでも有用です。この教育のポイントは、学校からテーマを与えられて行う受動学習ではなく、生徒主導による能動学習にあります。単純な基礎学習であれば受動学習の方が効率的ではありますが、それだけでは能動生が求められる実社会では通用しません。

 

 また、自由研究のような“おまけ”的な位置付けではなく、明確に進路に関わる評価として毎期ごとの作成を求めて良いと考えています。もちろん学年によって質に振れ幅は合ってもいいと思いますが、小学生には無理と決めつけずにチャレンジしてもらうことこそが、多様性や自走力を養う研究開発思考の本分だと思います。教育者側が能力主義の一元化教育に拘っていては、子供の将来の目を積むこととなってしまいます。

 

 そして研究開発思考の評価で面白い点は、単純に暗記による能力測定ではない、思考力を測定できる点にもあり、これは飛び級のない年功御序列制度にも関係してくるポイントです。義務教育の年功序列制は乱暴な表現ではありますが、誰も特をしないシステムです。習熟度が遅い子供は浅い理解度のまま卒業を迎えますし、習熟度が早い子供は時間を浪費してしまいます。そしてそれは精神年齢や思考力でも同じで、“暗記が得意で成長速度が教育速度に合っている人”というとてつも無く限定的な子供以外にとって得のない環境なのです。

 

 飛び級制度については優秀な人材の優遇システムのように指摘されますが本来なら、習熟度が高い子供は飛び級を行い能力に合った繋がりを持ち、研究開発や自身の時間を確保することで社会貢献ができるでしょうし、なにより習熟度が低く精神的にも成長が遅い子供でも、一定の年齢になるまでしっかりと基礎学習を高めてから卒業することができるので、一元化しない方が学習の苦手な子供に寄り添った教育ができるようになるのです。他にも同世代以外との交流のように利点は多くあります。

 

 当然ながら、飛び級による格差やイジメ問題もあるでしょうが、現行の一元化教育でも同じ問題は抱えていますので、それは飛び級を反対する理由にはならないでしょう。

 

 このように評価軸を基礎学習と研究開発に分け尚且つ、年功序列制度を廃止し、実社会に寄り添った教育を行うことで、本質的な学力(基礎要素の暗記と思考力)を養いつつ子供の人生、社会全体の成長に貢献できるのではないでしょうか。



 本日はここまでです。ファイナンスリテラシー、デジタルリテラシー、研究開発リテラシーと考察してきましたが、この問題の本質は “少子高齢化社会における日本全体の生存戦略” であり、学校教育への不満や子供だけの課題ではなく、老若男女にとって理想的ないわゆる豊かな生活を送り続けるために必要なテーマです。教育の低下は国力の低下に直結しますし、若年層のスペックを高めなければ高齢者が永遠に労働し続けなければなりません。当然、競争力のない教育を受けた若年層は国際競争で脱落するでしょう。大変ネガティブな見方ではありますが、真実を形作る一つの側面であることも事実だと思います。

 

 教育改革は政治的、利権的にすぐに変えることが難しいテーマですが、その時がきた時に備えて、広く議論や思考実験をしておく必要はあります。

 

 

 

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