勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

”出口戦略から次のフェーズへ「発酵経済と五感的解像度」2/5” 

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。本日、安倍総理による緊急事態宣言延長の会見が行われましたが想定通りの内容といったところでした。繰り返しになりますが、出口戦略無き規制には、更なる規制か済し崩し的による緩和しかありません。

 さて”大省人化社会の幕開けと仮想需要”では、省人化やテレワーク、Social distanceによって、余剰人材が増える旨、そして内需や外需に続き、新たに "仮想需要” が確立される旨を指摘しました。これらの事象は、人口減少の側面では有効に作用しますが、能力や環境の”格差”として歪みを生じさせる側面もあります。今般、取り沙汰されている非正規雇用の補償や学校再開問題にもこのテーマが潜んでいるでしょう。今回は ”出口戦略” の次にあるフェーズ、この格差問題を、”4つの差異”と”出口戦略から次のフェーズへ”として、形式的な内容も含みますが考察を行いたいと思います。

「発酵経済と五感的解像度」2/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 

■4つの差異
 Social distanceの作用として大きく、”能力格差” ”リテラシー格差” ”金銭的格差” "環境格差" の4つの差異が急速に進んでいます。”能力格差”はテレワークや自宅学習(自習)といった”裁量権が自身に与えられた状態”となった時、受動的に過ごす人と、能動的に過ごす人で大きく成果が異なります。能動的な人は生活をコントロールすることによって、環境の変化に則したスタイルを自ら確立し成果を”生み出す”のですが他方、受動的な人は成果を規定され、カリキュラムや作業空間を与えられることによって成果を”こなす”のです。ここに優劣はなく、前者が後者を見下す風潮に価値はありませんが、Social distanceを基準とするライフスタイルとしては、圧倒的に前者が有利となるでしょう。

 また、必要な技術を活用できるのでは ”リテラシー格差” が影響します。教育現場のインフラ整備にしても、制度的な導入の難しさもありますが、リテラシーがなければ効果的な活用法が見いだせず、抵抗感が増すものです。そしてリテラシーの格差は ”金銭的格差” にも繋がるのですが、インフラ整備に対する支援が薄い現状では、設備によって仕事や教育の質に格差が生まれます。例えば、4Kの大画面で授業を受ける生徒と、6インチの低速通信で授業を受ける生徒では、”成果”が異なるでしょう。   

 そして過渡期的な課題として "環境格差" が挙げられます。DV問題や虐待、プライバシーのない居住空間であったりと、Social distanceへ移行するまでの過渡期に生じる課題ですが、ここは評価基準の改善や、地域密着型コミュニティーを落とし込みむ視点と、地方への移住により物理的な敷地面積を増やすことで解決を目指すしかありません。

 

■出口戦略から次のフェーズへ
 前述にもあるようにインフラ整備はフレームワークの”第一歩”とも言えるでしょう。企業へは補助金や減税処置で支援を行い、学校教育へは公共インフラとして、デバイスや通信費の支援を申請形式で行う必要があるでしょう。今回の件で事実上、通信インフラは水道やガスと同じく、”社会活動を行うにあたり最低限必要なインフラ”となったのだから、低所得者層への支援はあって然るべきのように感じます。

 次に必要なのは、システムのテンプレート化です。これは”リテラシー格差”を埋める要素で、ユーザーがロジックを理解していなくても自走するシステムにする必要があります。例えば、自動車の構造を理解していなくても運転が可能なのと同じように、成果に直結しないものは”マニュアル化”と専門家への”分業”でフローさせます。また教育では、職員の斑を低減させるために教材や内容の一元化を行い、現職の教職員をメンターのような立ち位置にすることで、能力やリテラシー差を最小限に出来るでしょう。

 個人の”能力格差”には評価基準側を調整し、成果で見積もりがとりづらい業務や、教育の基本学習には”時間報酬型”を用い 、それ以外を”成果報酬型”とします。余剰人材を含む、業種別の”能力格差”にはBasic incomeを用いて埋めるしかないでしょうか。この点は議論の多いところですが、システム的には実行可能で後は政治的な”利権摩擦”と抵抗感のある”国民感情”を越えられるのかだと思います。余談ではありますが、そのためには投票権を人口比率に紐付けし、多数決が世代に左右されないような原理を構築しなければなりません。

 最後は”環境問題”に取り組みたいのですが、結局のところ外部にコミュニティーを設けるしかありません。但し、学校やオフィスのような”箱詰め空間”ではなく地域密着型の寺子屋や、Social distanceが可能なレンタルオフィスを想定しています。教育では本来の地域共同育児に戻るイメージでしょうか。また、地域密着型であれば”地域の課題”が可視化されるので、組織へのコントリビューション(貢献)が構築できます。日本は元来、藩や村のように小さなコミュニティーで生活する慣習があり、同調性が強すぎるため近代的な中央集権国家や一極集中都市では、民主主義の根幹であるコンセンサスが取れなくなる傾向があります。その点を鑑みても、地方分散型の地域コミュニティーは有効に活用が出来ると思います。

 

 本日はここまでです。今回は、直近の問題点と解決へ向けてのフレームを考察しましたが、方法論は他にも幾らでもあると思います。ただ重要なのは ”課題共有” であり、ここを遅れてしまうと ”仮想需要” が拡大するグローバル世界で ”国家間格差" が一気に広がってしまうこととなります。勿論、シームレス化の進む国際社会では ”日本” に拘る必要はありません。それに、私自身はどちらかというとリバタリアン思想なのですが、他国でポジションを取るという選択肢をしないのであれば、一緒に課題解決へ向けて歩み続けることは重要なことではないでしょうか。少なくとも私はそう考えています。

 因みに今回、フィジカルな産業について触れなかったのは、巷で騒がれている程すぐに”無くならない”と考えているからです。その視点を次回、”発酵経済と五感的解像度"で触れたいと思います。

 

 

 

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