勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

“グランドビジョンによる、国民のメンタルケア”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。巷での感染症関連の議論には相変わらず辟易としてしまっています。緊急事態宣言の人流抑制論や医療逼迫の対策などは “1年前に終わっている” テーマです。結局のところ、相関関係や効果測定などの検証が不足している点や、検証結果が周知されないことが堂々巡りを演出してしまっているようです。

 

 ただ、ワクチン接種に関しては職域接種などを用いて、医療関係者を可能な限り組み込む構造を上手く作っている印象はあります(6/30に一時中止となりましたが)。国からの要請だけでは集められない医療関係者も企業ベースからであれば協力範囲を広げられ尚且つ、行政ではできないスピード感を持って進められるという仕組みでした。また、医療従事者や介護関係者以外のワクチン接種は、年齢で優先順位付けするよりも接種人数を増やすことが集団免疫へと近づく鍵となります。当然ながら、本来は医療制度改革が理想ですが、政治的しがらみによって現実的でない今、実務主義である菅政権はベターな方法で十分に対策をとっているように思います。

 

 以前から指摘しているようにエモーショナルな “仕方がない” も  “頑張っている” も避けたい思考ですが、政治においてはベストではないけれど実現可能性の高い“ベターな選択”を取るしかできないことも往々にしてあります。今後もメディアや野党、各知事はエモーショナルな扇動と非現実的な批判を行い、ゼロリスクを念頭に置いたリバウンド対策の議論を繰り返すでしょうが、菅政権は曖昧な批判を曖昧にかわしつつ、実務を中心にベターな対策(ワクチン接種)を着実に進めることで議論を収束へと向かわせるのではないかと思います。

 

 さて、このような堂々巡りよりも次に注目しておきたいテーマはグランドビジョンによる国民のメンタルケアです。

 

 中国共産党100周年やバイデン大統領の演説など、他国では感染症対策と同じく “グランドビジョン、感染症後の世界にはどのような希望があるのか”を語ることで抑圧され続けた国民のメンタルを支える動きが見られています。日本でも、地域によっては約半年近く緊急事態宣言下(及びまん防下)にあった地域もあり、業種別では経済活動の自由が1年近く制限されているケースもあります。その中で職種や正社員と非正規社員、高齢者と若年層、高所得層と低所得層などの格差が顕在化し、不満や不安が高まりやすい環境になりつつあります。このような環境が強まれば、失敗に厳しいキャンセルカルチャーや、検証や本質を見失った憂さ晴らしの批判といった “変化に対応できない世論” が形成されてしまいます。それを避けるためにもこの感染症対策が緩和された先に国家として何に挑戦をし、どのような成果(希望)を得られるのかというグランドビジョンを示すことが重要です。

 

 しかし、先の会見(6/17)では宣言解除後に蔓延防止処置を行い、そしてリバウンドの懸念による注意喚起、さらに再宣言の可能性と、トンネルの先は再びトンネルであるかのような内容で協力への意義も効果測定も曖昧なまま、国民に根性論を迫る内容となってしまいました。確かに世論の感情論に対する回答には根性論のような内容で答えるしかありませんし、感染症対策は最優先課題ですが今後、少子高齢化や抜本的な組織改革に直面する日本だからこそ、国家のトップとしてグランドビジョンを示して欲しいところでした。世論の空気感を大きく変え、私たちの生活を少しでも豊かにするには、抑制的な指針よりも将来性を見据えたグランドビジョンの共有が求められます。

 

 本日はグランドビジョンを考えるにあたり必要となる世界各国のグランドビジョンと、日本のグランドビジョン、そして懸念されるボトルネックについて考察を行います。いつ抜けるか分からないトンネルの中で、不安を抱くよりも視線を広い国際社会に向けながら、次のビジョンについて語り合いましょう。

 

■20%の低下をみせる、西洋のグランドビジョン

 先般の日米会談、G7、NATOにおける根幹を成すテーマは “自由で開かれたインド太平洋構想” です。この言葉はインド洋から太平洋までを繋げる構想を掲げ、2016年に安倍首相がアフリカ開発会議で提唱したことから広がり、西洋諸国のアジア地域へのコミットメントを引き出すきっかけを作りました。特にイギリスのイグジットや米国内の暴動、感染症対策の専制主義優位論、先進国の財政懸念などによって西洋諸国独自で世界各国を束ねるという従来の構造が難しくなり、アジア市場や西洋諸国間の連携強化が求められていることもこの思想を後押ししています。

 

 他の記事でも語られているようにG7のGDPは1992年頃の68%(世界割合)以降は低下傾向にあり今では47.5%でさらに、民主主義国・地域は87(2019年)に対し非民主主義が92と上回っているため、先進国間の連携を強化しつつその輪を広げる政策が急務となっています。

 

 そのため、民主主義と専制主義の対立軸で語れば語るほど、実際は自らの首を絞めることになり、今はそのジレンマを打開するグランドビジョンを示せるのかにあります。何より途上国の内政、経済力、軍事力、地政学、宗教、歴史、慣習など複合的な要因を鑑みた場合、必ずしも民主主義や自由主義、資本主義が正義ということでもないものですし、そのような踏み絵を迫られるほど賛同し難く、視点を途上国に移せば “横柄な西洋諸国が自国優位なルールを強要している” ようにも見えてしまうものです。

 

 このような内情があるからこそ今は、途上国のコンセンサスを得やすい感染症の中国起源説や領海の現状変更を強調しつつ、途上国の賛同が難しい人権や環境問題では、中国を発展途上国から除外し“先進国として”国際秩序に批准するように迫る構図を目指しています。その先には、透明性の高い先進国の経済圏の庇護と一定の国際協調に(形式上でも)批准する中国という二つのエコシステムを世界各国に提供するというグランドビジョンがあるでしょう。

 

 西洋諸国にとっても真に中国や専制主義を排除することよりも、どこかで折り合いをつけてその利益を享受する体制が好ましいはずで、日本は “自由で開かれたインド太平洋構想” の提唱者として西洋諸国とアジア諸国とのパイプ役を担う立場を目指すことが望まれます。その意味では、先日の出入国在留管理局問題は懸念事項でもあります。

 

■100周年を迎えた、中国共産党のグランドビジョン

 こちらは過去の記事と重複しますが、“中国の民主化や西洋諸国とのデカップリングはあり得ない” という点、そして中国共産党にとってのグランドビジョンは “世界の中心とする中華思想” が軸である点を押さえておく必要はあります。

 

 その上で、今般の “民主主義 対 専制主義” はメッセージの分かりやすさと共に、対露政策の比重が強い欧州をはじめ、民主主義各国のコンセンサスを得やすいテーマとして全面に出ていますが実際の相互依存関係と中国共産党の思想を鑑みれば、全面戦争のような扱いには疑念が残るものです。

 

 日本を含む民主主義国の本質的テーマは、中国共産党と国際社会の間に越えてはならない明確な “デッドライン” を設け、中国共産党にとって国際秩序に批准することが得である(もしくは統治を揺るがす損失がある)環境を作り出すことです。この一つが、東・南シナ海の軍事抑止力(デッドライン)や、中国共産党の民主化ではなく習近平氏の権力構造に焦点を当てた体制変更(統治的損失)などを行うことです(“国際社会から眺める「ニヒル的諦めの中で」2/3")。

 

 現在の中国共産党は国力も増し、発信内容は極めて強気ではある反面、共産党創立100周年、北京オリンピックの2大イベントそして、国家主席の任期撤廃後初の任期切れを迎える習近平氏にとっては権力基盤作りで非常にナーバスな時期ではあります。香港や台湾の統治改革は成果として急ぎたい一方、民主主義国とのデカップリング論は体裁上だけに留め、従来通り先進国との相互依存性を維持している間に、発展途上国との関係を深める動きを軸とするはずです。つまり、中国のグランドビジョンは短絡的な全面戦争でも世界支配でもなく、自国の利益を最大化し続けて中国共産党の権力基盤をより一層磐石なものにすることでしょう。

 

 このグランドビジョンを眺めているとデジタル人民元の役割がより鮮明に見えるように思います。エルサルバドルがビットコインを自国通貨にしたように、金融システムが脆弱な発展途上国では手間も手数料も維持費も低いデジタル通貨は魅力的なものです。また、資源の乏しい国にとってデジタル空間の価値は高く、リアルの金融システムに限らず仮想空間のツールにもそのまま転用可能ともなります。もちろん、デジタル人民元=世界の基軸通貨を代替するとまではいかないでしょうが、少なくとも途上国の成長に貢献するツールにはなり得るということです。デジタル化の障壁とされる通信インフラにしても、中国が取り組む宇宙産業は衛星コンステレーションのコスト削減につながります。

 

 今の中国は国際秩序に挑戦する国家という側面で語られがちですが、途上国からすれば金融、デジタル、宇宙と発展途上国の成長を牽引する包括的エコシステムをグランドビジョンに組み込んでいるともいえます。

 

■日本のグランドビジョンとボトルネック

 西洋諸国の国際協調による個々の衰退を補うグランドビジョンと、中国の発展途上国を取り込むことで権力基盤を磐石なものとしようとするグランドビジョンについて考察してきました。これらを踏まえ日本国内に視点を戻した時に考えられる大枠のグランドビジョンは、軸足を国内から国外の “開かれたインド太平洋構想” へ移行した上で、短期的には国防関連の法整備と国際水準のデジタル化、中期的には少子高齢化先進国として活用法の提案とグリーンエネルギー化、長期的にはCBDC(Central Bank Digital Currency)と宇宙産業でしょうか。

 

 “開かれたインド太平洋構想” は今後、グローバル社会を越えてシームレス社会(デジタル空間やメディカル、経済安全保障などで多国間連携が必須となる社会)へと向かう中で最重要テーマとなりますし、アジアの民主的先進国として存在感を発揮する大きな足掛かりにもなります。しかし、国際社会を牽引するには軍事力として国際秩序形成へのコミットメントを示す必要があり、国防関連の法整備は必須事項となりますし、国際的人流や越境IDの管理などから国際水準のデジタル化(セキュリティ含む)も必須となります。

 

 残りの中長期的戦略では他国より優位性の高い要素を軸として、集中投資を行うことが求められます。少子高齢化では、“悪”という文脈で語られがちですが、デジタル化による生産性向上と日本に眠る約2600年間の文化(自然、工芸品、思想、食文化)による高付加価値産業を組み合わせれば、それほど悲観するものでもありません。また、少子高齢化先進国として解決策を他国に提案できる機会でもあります。このように、世界の潮流と国内の課題を並べてみると、希望的グランドビジョンはあるものです。

 

 他方、日本のグランドビジョンを実行するにあたりネックとなる要素は憲法改正に国民投票が必要な点と、ステークホルダーへのコンセンサスを求めざるを得ない政治構造があります。大阪都構想時に指摘しましたが、中長期的なマクロ視点を必要とする政治決定を民意に委ねることが、必ずしも正しいとは言えないと考えています("大統領選と都構想の先に「溶解する民主主義。」1/4")。感染症対策でも、効果測定やエビデンス以上に世論の感情的な影響力が政治へ影響を及ぼしています。私個人としては、自由主義ですし小さな国家であって欲しいと思うほどです。それでも、都構想や感染症対策の状況をみる限り、国民に中長期的な政治決定を委ねることにリスクとコストを感じざるを得ません。国民投票改正案も民意を汲み取るといえば聞こえはいいですが、政治家の責任回避(問題の先送り)にしか写らないものです。

 

 また、ビジネスでもすべてのステークホルダーへの還元が謳われていますが、政治に於いてステークホルダーが多すぎると何も決まらない、当たり障りのいいゼロリスク論、現状維持論の3つの罠に陥りがちです。特に有事対応でも顕在化した通り、権力集中を避けるあまりしがらみによって柔軟性や機動性、適切な判断力を失ってしまっています。民意を反映させ民主主義の健全性を問うのであれば、長期戦略の政治決定への参加や必要な改革を阻む権力構造ではなく、癒着や利権による硬直化を防ぐための透明性と選挙改革が先に求められるでしょう。

 

 とはいえ、現実的に国民に国家戦略の要となる要素を民意に任せ尚且つ、ステークホルダーへのコンセンサスを求めるのであれば今こそ、グランドビジョンの共有が鍵となります。そして政治や社会を離れて、私たち個人の生活やキャリア、景気に対する不安を緩和するために希望的な将来像をイメージし、活気のある生活を国全体で取り戻すことが求められるフェーズにあります。




 本日はここまでです。オリンピックでも意義や安全性の根拠など、ビジョンを共有することが大切でしたし、次に控える9月の選挙でも将来のビジョンが鍵となります。そして政府からの明確なグランドビジョンが提示されなかったとしても、各個人、もちろん私自身にも自戒の念を込め、批判的な反応よりも今後のグランドビジョンをどのようにイメージし発信するのかが、感染症後の社会を “希望なのか” “不安なのか”を決める要素となります。

 

 

※記事を読んで下さる皆様へ.本稿の内容に興味をお持ち頂けたなら、大変に光栄です.有難うございます. お気軽にTwitterで交流をして下さいね.

[黒川 和嗣(Kazushi Kurokawa)Twitter ]

ー参考・出典ー

f:id:KKUROKAWA:20210702191942j:plain

Photo by Feri & Tasos on Unsplash