勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

”大省人化社会の幕開けと仮想需要 「発酵経済と五感的解像度」1/5”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回も触れましたが、基本的に感染症は”封じ込めれば終わり”ということも”ワクチンが完成し終わり”ということもなく、長期的に医療体制を拡充しながら”集団免疫”と”感情的許容”を獲得し、最終的にインフルエンザや風邪のように”よくある病気”になるしかありません。天然痘ウィルスは囲い込みにより撲滅に成功しましたが、人間にのみの感染で1967年-1980年の13年間を費やしています。新型コロナウィルスの場合は人獣共通感染症であり、更に世界規模で広がった現状を鑑みると完全な囲い込みには相当数の年月や研究規模が必要になるので現実的ではありません。

 つまり、撲滅思考の自粛状態が1,2ヶ月で終わることはなく、一部業界での対策は数年間にわたり、撲滅より“ライフスタイルのSocial distance化”が模索される時代に入って行くでしょう。もちろん、揺り戻しとして日常は必ず戻るとしても、長期的なリスク対策としてSocial distanceが社会システムに組み込まれる流れはあると思います。

 今回は少し形式的な内容になりますが、省人化に向けた前提となる3要素について共有しておきたいと思います。

 

「発酵経済と五感的解像度」1/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 

■大省人化社会の幕開け
 日本では全国に緊急事態宣言が出され、米国では早期の社会活動回帰を図りつつ、WHOと中国への対立姿勢を強調しています(本稿は4/7に寄稿しています)。米国のコロナ対策は戦時的措置がとられることで、成果の是非とは別に、国家のガバナンスは働いている印象です。大統領選を控えるトランプ大統領にとって、経済は痛んでしまいましたが、外交、安全保障、生産の国内回帰をドラスティックに行うには、良い機会です。大幅に上昇している失業率も、Amazonやデリバリーサービスを受け皿としつつ、国内回帰をした事業に宛がうことになるでしょう。しかしそれでも、Social distanceが生活習慣の一部になる社会では、エコシステムがコロナ以前に”戻る”ことが難しく、人材の余剰が各国の課題として残ります。

 特に日本は、今回の自粛が国民感情(不安心理)に由来している以上、一部業界では顧客離れが止められないでしょう。工業に至っても、感染症対策やクラスター発生リスクを鑑みると、自動化へ移行した方が人を雇うよりも安価になっていきます。その点では、フィジカル産業へ短期的に揺り戻しがあったとしても、中長期的に(特にBtoBでは)テレカンやテレワーク、ロボティクスの台頭は確実なものです。つまり、この自粛の中でも仕事がある層やICT関連事業以外は、大幅に縮小されるのでしょう。

 


■Social distanceの作用

 Social distanceの導く社会とは、テクノロジーの躍進つまり、“5Gで実現する”とされていた社会です。それはVRやAR、自動運転、ロボティクスなど従来から示されていた世界観なのですが、コロナ以前は“一極集中型の都市をより便利にする構想(スマートシティ)”でした。この場合のスマートシティーでは、地方に導入されたとしても、一部に人を集め“箱に入れる”という点では都市化と同じです。しかし、Social distanceの社会では都市部や一極集中、複数名で箱に入る行為が“危険”と認識され、距離感のある分散型をベースとした地方都市となるでしょう。従来の言葉でいえば"地産地消型社会"といったところでしょうか。

 一軒の住宅でのIoT(Internet of Things)から大都市のIoTへの移行が従来型だとすれば、感染症によるドライブで行われる躍進では、地方と国際社会のIoT化です。ここには当然、テレワークやオンラインシステムも含みますが、今後は仮想空間もサブカルではなくエコシステムとして組み込まれることで現実的居住区に大した価値がなくなり、地方のプレゼンスは高まります。

 

 内需や外需に続き、新たなる市場 “仮想需要” は感染症リスクによって急速に広がりを見せるでしょう。サプライチェーンの国内回帰を含め、足元のビジネスでは地域密着型の内需、世界のリソースシェアとしての外需、そこに今回のデジタル上の交流 “仮想需要”がより強化されるということです。つまり、人々のライフスタイルは過疎地に移り、サービスだけがシームレスに動く世界です。アバターでのテレカンやVRでの商品展示会などは正にその入り口でしょう。現状ではデバイスの普及や長時間に耐えうる解像度の問題がありますし、オンライン診療やオンライン学習、デジタル通貨、スマートコントラクト、衛生コンステレーションなど制度やインフラとしての課題も残りますが、既に仮想需要は始まっており投資拡大も見込まれるので解決までは時間の問題です。

 テクニカル的には、前述のように大きな問題はなく、投資されるリソースに比例して成長も加速しますが、本当の課題は “個人情報の取り扱い”“インフラ格差”“税システム”にあります。個人情報の取り扱いは、デジタル上に身体性を提供するのですから、デバイスやインフラ、サービス提供者の信頼が今以上に求められ、反故にされた場合のレギュレーションを全世界共通で定めなければなりません。

 

 テレワークやオンライン教育などでみられる直近の課題でいえば、良質な環境やデバイスを使えるのかで生じる “インフラ格差”です。こちらは、数年前から既に問題とされていて実質、通信システムが公共インフラとなっているにも関わらず、サービス導入は各自の収入や環境に任されてしまっているので、裕福な家庭では良質なサービス、貧困層ではそもそも導入が出来ないなどの格差が生じています。問題は金銭面だけではなく、例えば本稿に書かれている内容がイメージ出来る人とそうでない人がいる可能性もあります。これはICT技術に対するリテラシー格差です。私は偶然、幼少の頃からガジェットが好きで遊び倒していたのですが、そういう環境にない人や、そもそも世代的に触れなかった人にとっては、導入コストが何倍にもなってしまいます。

 最後に“税システム”です。今般、GAFAの納税問題などが指摘されますが、仮想需要の拡大と共に更に逼迫した財政問題として扱わなければいけません。国民の可処分所得が国際規模で流出するのですから当然キャッシュフローは成立しなくなります。何より、生産環境が材料を組み立てる世界線からコードをコピペする世界線に変わるので、市場構造が全く違うロジックで動くこととなり、生産と雇用による再分配の方程式も通用しなくなります。この点において以前に増し“生きた人間を雇うリスク”が高まった今、非コミュニケーション業務のロボティクス、自動化は加速し、省人化の影響を受ける層がかなりの範囲で現れるでしょう。

 私個人としては“小さな国家”派ではあるのですが、リアリズムとして税収と再分配の方程式を変えるしかないと思っています。

 

 

 本日はここまでです。Social distanceを“テクノロジーの勃興だ”のようにキラキラと捉えることも出来ますが、判子騒動にしろ日本の場合は、根幹の課題について議論がなく、言葉だけが先行してしまっています。雇用体制や社会システムが急激に変化することで、テクノロジーに知識や経験、金銭面で届かない層が孤立する社会に向かっているように思います。

 政府はテレワークを要請するものの、お子さんが在宅では仕事にならない人も多いでしょうし、逆にオンライン学習を小さなスマホ画面で何時間もしなければならない子供と、大画面にミラーリングする子供では効率が大きく変わって来るかもしれません。子供の学力と国力が比例することはプロイセンの時代から知れたことですし、少子高齢化で実経済が落ち込む日本にとって仮想需要は経済成長の突破口でもあるでしょう。そう考えると、DXのポジショントークに囚われずに早期の課題解決へ議論を広げたいものです。

 

 

 

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