勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

“日米首脳会談のメッセージと覚悟”

黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。先日、今般の世論やメディアでは合理的判断や論理的思考よりも、感情に訴えることが優先されてしまう “エモーショナライゼーション” の風潮について問題を指摘しました。この風潮は、原発処理水の海洋放出では顕著にみられますし、相変わらず感染症対策でも見受けられます。

 

 感染者数が増え続ける問題も、人獣共通感染症のコロナウィルスであると判明した初期の段階で想定されていたはずで、本質的な課題解決に向かう指標ではありません。現段階の本質的な課題はワクチン摂取のスピードを上げることにあります。本来であれば国が準戦時下として地方行政や民間の権限に介入し、医療の広域連合を策定するところですが、そこまで出来ないのであればせめてもボランティアのワクチン接種を認可する動きはあっても良いのではないかと思います。海外では実証済みですし、既に緊急事態宣言という準戦時下を発令し不要不急という私権制限を行っているのですから、ボランティアの導入だけが突拍子もない案とはならないはずです。“命を守るため”や“医療現場の負担を軽減すること”が私権制限の理由だとすると、ボランティアの導入について議論が進まないことに矛盾を抱えています。

 

 医療関係の団体による慎重論が原因かはわかりませんが、本質的に必要とされる医療現場の改革はされることなく、国民の私権制限と医療従事者の負担が感情的な“恐怖”によって高められ続けていく世界線はエモーショナライゼーションの象徴ともいえるでしょう。

 

 このようなエモーショナライゼーションに辟易としていますが、本日は時事テーマとして日米首脳会談についてまとめ、原発の処理水問題に少し触れたいと思います。

 

■日米首脳会談のメッセージと覚悟

 会談の詳細は割愛しますが、トピックスはやはり台湾でしょう。台湾の明記は歴史的な意味合いだけではなく、国家として認めていませんが台湾 “海峡” という地域の自由と秩序を守る建前の元、実質的には安全保障として台湾の独立への道筋を作った状態にあります。国際社会では一つの中国として扱われていますし、中国にとっては第一列島線として台湾は国家戦略上、手放せない位置付けでもあります。また、“ニヒル的諦めの中で”でも指摘したように、国家戦略の側面意外でも習近平国家首席の権力争いという側面においても“加速させている権力集中に相応しい成果”として台湾や第一列島線が重要なのです。

 

 今回の日米首脳会談に先立ち中国は16日にフランス、ドイツと環境問題で会談を開き、協調姿勢を示しました。強硬な対中姿勢を見せる米国に対して、中国主導の協調姿勢を示しつつ経済依存度の高い西側諸国を用いて牽制をする思惑がみえます。

 

 他方で、米国は国務長官と国防長官によるアジア外交に加え、台湾に民主共和両党の重鎮が訪問しました。これにより、対中政策がバイデン政権単独の政策ではなく国家を上げて取り組むという非常に強いメッセージを与えています。この包囲網の中で行われた17日の日米首脳会談はまさに“象徴としての仕上げ”で、その重みが1969年来の明記という形であらわれています。

 

 特に今回は今まで軍事的立場を曖昧にしてきた日本にとって相応の覚悟があったと思います。長年、日本特有の曖昧な外交、つまり東アジア地域にコミットメントを示すと主張しながら、実際の泥臭い軍事圧力に対しては引け腰である外交が西洋諸国からの不信感でもありました。泥臭い軍事問題は世論が割れる上に、中国との経済依存度が高い日本では仕方がない側面もありました。しかし、日本のプレゼンスが高まる中、日本は自らの足で安全保障問題に向き合い自国の防衛は当然ながら経済大国として、東アジア地域の秩序形成へ責任と貢献をはたす岐路にたったということです。これが踏み絵のように“被害者”として語られる論説も見かけますが、日本が自国のために担っておくべき問題について日米で再確認をしたに過ぎません。このあたりは実務に強く、必要であれば決断できる菅首相で適任だったように思います。

 

 ただ、経済依存度の高い日本は無闇に交戦的になる必要もなく、あくまでも国際法上にのっとった国家主権である安全保障の文脈に収めつつ、泥臭い軍事再編(法整備や軍備増強)を行うことに変わりはないでしょう。将来的に発展途上国が台頭することを踏まえると長期的には対中依存からの脱却もあり得ますが、国内成長が不安定な状態である以上、“国家主権の安全保障”がこれからのラインとなる筈です。

■10年のコストを費やした “存在しない問題”

 こちらも表層的にはエモーショナライゼーションを用いて喧伝(けんでん)されていますが、文脈としては政治的意図であることは明確です。

 

 処理水に含まれる問題のトリチウムは自然界にも存在し、韓国、中国をはじめ原発保有国では海洋放出による処理がなされています(中国のトリチウム濃度は非公開で放出されています)。また日本の処理水は、科学的に自然界や生物に影響のない基準とされる国際基準に従っているもので特別な問題を抱えているわけでもありません。もちろん、"生体影響が何一つとしてない"とはいえませんが、ポイントは無視できる範囲であるかです。にも関わらず、環境破壊だ、人権問題だ、と騒ぐことは政治的な圧力に他なりません。中韓の批判も、文政権の支持率が就任後最低となったことで求心力を高めるために反日方針をとっているに過ぎませんし、中国は前述でも書きましたが米中対立の延長線でしかないでしょう。

 

 つまり海洋放出問題は感情論と政治によって作られた“存在しない問題”でしたが、エモーショナライゼーションされた世論やメディアによって10年間のコストを払うこととなりました。この問題は政治的ロビー活動家には毅然とした振る舞いをすると共に、一部の感情論を鵜呑みにしてしまう層に向けて、発信者(個人・メディア)が脊髄反射的に批評せず、最低限のファクトチェックを行い、私見なのかエビデンスに基づくのか、メディアであれば中立な報道かエンタメなのかを明確にすることが必要です。

 

 今、必要な議論があるとすれば海洋放出の風評被害についてではなく、ゼロリスク信仰と恐怖扇動、ロビー活動が存在することへの自覚についてでしょう。

 

 

 本日はここまでです。日本の感染症問題はアンコントローラブルな状態になりつつあるように思います。政府も各都道府県知事もお互いに権限が曖昧でなので実行可能な政策が多くありませんし、選挙の兼ね合いもあり安全側に振ってしまいます。世論も、正規雇用と非正規雇用で自粛への温度差がありますし、日本医師会の中にも政治力学が全くないかといえば恐らくあるでしょう。このばらつきは、ワクチンの廃棄問題などでも顕在化しています。今の地方行政では政府からの明確なレギュレーションがなければ対応できない状態にあるのです。

 

 中国がギリギリの軍事行動を行い“偶発的な衝突”を誘っている節も考えられる情勢下で、今般の有事対応には不安があります。解決には有事における地方と中央の権限を明確に定め、国民生活においてはIT技術による情報の可視化が必須となってくるでしょう。その点では菅氏の実務家としての “ドライさ(忖度の少ない合理的判断)”は今の日本に必要でしょうし、インクルーシブ(包括的)なデジタル改革を掲げるデジタル庁は、非常に大きな鍵を握っています。ここでも、データの吸い上げに対してエモーショナルな反論が多いですが、デメリット以上に享受する利益の方が圧倒的に高いでしょう。

 

 私たちは、反応的に行なわれている表層の議論に引っ張られずに、多角的事象観測を用いて本質の議論を心がける必要があります。

 

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-出典・参考-

原発処理水、放出決定に10年 国際基準の7分の1で海に/日本経済新聞
原発処理水放出で韓国、中国にどう対応すべきか/JBpress
海外でもトリチウム放出、韓国原発は年間136兆 仏再処理施設は1.3京/SankeiBiz
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』三重水素