勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

”発酵経済と五感的解像度「発酵経済と五感的解像度」3/5”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。最近は正直、世間の喧騒に辟易としていました。現在では経済的危機が煽られるようになりましたが元々、全体的な社会封鎖が及ぼす作用として存在していたものでしたし、それに伴う補償や教育改革が行政のシステム上、潤滑に機能しないことも明白であったでしょう。日本の有事では、全体的に国家戦略が民衆心理に左右される結果となってしまっていますが、その弊害も大きいように感じます。これは国家の有事、つまり軍事制度をゼロイチでしか議論してこなかった点、マイナンバーを監視社会の陰謀論としたり、デジタル処理を犬猿してきた結果とも言え、システムの機能性よりも、国民感情と全体最適解に依存している”理想的”な民主主義国家だとも言えます。しかし、そこには必ずしもリアリズムが存在する訳ではなく、時に大きな国家的損失を与えてしまうものです。

 今後は、なし崩し的に経済が再開され関心事が感染症から不況へ移行するなか、イベントや飲食店、共働きの育児家庭、就学度や失業など、大きな社会的格差を抱えることとなります。そのような社会では、一律的な絶対値による価値観は存在せず、格差や失敗を”許容する”そんな社会が求められるように思います。

 

 さて前回は、格差問題などSocial distanceによる短期的な課題について触れました。 歴史的に、格差は革命や大きな節目に起きる”社会変革の兆し”でもあります。そして、社会変革は往々にして混乱を伴って発生するものであり尚且つ、旧制度下の人材は新制度下では知識や能力が及ばず、それが格差として顕在化するものです。但し、今回の格差には留意が必要で、それは”仮想需要”という新市場を生み出す点にあります。農耕や産業革命は”物理的な産業”と地続きでしたが仮想需要では”デジタル空間で完結する産業”となります。これは少し極端な言い方ですが、ここにロボティクスや省人化による ”物質を経由しても人を経由しない(又は限られた分野の人材のみの)産業構造” を含むとすると、現実味が出てくるのではないでしょうか。

 勿論、現段階では従来と同じく、物理空間との接点を模索しながら”リアルの拡張”を目指すに留まります。ただ本稿では、”生物であることがリスク”となった社会が引き起こす”長期的な変革”を想定し、課題の拾い上げ作業を行いたいと思います。

「発酵経済と五感的解像度」3/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 


■発酵経済と五感的解像度
 先ずは現代の社会構造を分析したいと思いますが、ここでは安宅和人(慶應義塾大学SFC教授/ヤフーCSO)さんが提唱されている、”開疎化のマトリクス”が非常に参考になりましたので、そこに私なりの考察を足して進めたいと思います。

 

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 既存の社会構造が上記のマトリクスですね。地方から人材が都市部に流入し、大量生産、大量消費を行う一極集中型の都市構造を構築することで、資本主義社会に於ける価値の最大化を目指しました。
 しかし、今回の一件で公衆衛生、生活コスト、政治的ガバナンスなど様々な視点から課題が露見しました。ここにリモートワークをはじめ、テクノロジーによるデジタルシステムを導入することで”分散化社会”を構築し、課題解決策を目指しています。但し、水道やガスと同じ生活インフラとなりつつあるテクノロジーを支えているのは国家ではなく、民間企業です。この場合は国際情勢や個人情報保護、安全保障などの課題が発生します。

 また日本に於ける民主主義は、最大公約数を求める傾向にあり、有事の際には機能しません。この問題は戦時を想定していない国家体制に基因する要素が大きいですが、慣習としても遠い国家への帰属性よりは、地域や村など直近の組織意識が強い傾向にあることも要素の一つでしょう。つまり、”民主主義の限界”とも揶揄されている今回の現象ですが、統治のパイを中央集権による全国統治から、各自治体による地方分権へと縮小することで改善されるのではないでしょうか。歴史的にも日本は、古墳時代(地方分権)→飛鳥時代(中央集権)→鎌倉時代(地方分権)→江戸時代(中央・地方主権)→明治時代(中央集権)と、中央と地方を繰り返してきた事実があり、柔軟に対応することは可能なはずです。この中でも、江戸時代の中央と地方の両立関係は、構造は違いますが、現代に活かせる要素は少なからずある筈です。

 次は、社会構造の分散化をマトリクス図に落としてみます。

 

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 都市構造から地方への分散は、テクノロジーの活用で現実的に可能です。学校や病院、オフィスなども密度が低下するので、従来通りのコミュニケーションを保ちつつ、一人一人のコントリビューション(貢献)が高まる構造となります。経済構造も人口減少へ向かう現在では、生産消費経済から既存の(文化など)モノへ付加価値を与える ”発酵経済” が成長戦略の鍵となります。発酵経済では、経験を積んだ人材や熟成された製品、アンティークのような伝統文化に価値が与えられますが、地方にはそのような”埋蔵資産”が数多く存在し、地方分散と共に発展するでしょう。更に今回は、次章で触れますが”抗体情報を中心としたヘルスケア情報”が重要な信頼指数となります。地方で密度が下がるとは言え、感染症への異常な恐怖感は感染症対策と共にヘルスケア情報を可視化が求められます。

 また表にある”高解像度経済”ですが、これは前述の発酵経済とも通じるところで、デジタルによる再現性の限界から生まれる”五感へ与える刺激が価値となる経済圏”を指します。仮想現実には現実を再現することを求める要素と、非現実を再現する要素によって価値が定義されますが、現在の技術力では五感までを高解像度で再現するには至っておらず、当面はこのキャズムを越えないと思われます。テクノロジーの台頭ばかりが注目されますが、テック以外の産業に於いて重要な要素は、テクノロジーを活用し仮想世界でプロモーションを行いつつ、自然などのデジタルでは届かない”五感的高解像度”サービスを如何に提供をするのかが必要となります。

 ここで次なるポイントは、”仮想需要(デジタルで完結する市場)”のシステムで、個人情報保護やスマートコントラクト、通信インフラへの国家参入、国際対立から国際協調を行う為の安全保障対策や税収システムを構築しなければなりません。

 

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 デジタル経済 ”仮想需要” を成立させるには、図にあるような課題が幾つも存在します。IT業界が広告やエンタメ、システムの補助機能に留まらず、国民生活を営む上で欠かせない生活インフラとなる以上、国家が支える領域も必要となります。それはデジタル通貨やデジタル契約への需要が高まり、安全保障の質は衛星コンステレーションのような宇宙産業へ波及し、自動走行車による配送、工場のロボティクスによって発生する余剰人材を支えるために、税収システムの改革とベーシックインカムの導入は必要となるでしょう。また、医療リソースは政治的な価値を帯びつつ世界的資産としての枠組みが求められるようになります。

 このように、現代技術でも地方分散化社会は可能ではありますが、そこには必ず格差や組織運用の不備などの課題も多く存在し、それを解決するための枠組みを構築しなければなりません。先のヘルスケア情報には個人情報保護と安全保障が必須でしょうし、今般指摘されているオンライン学習やリモートワークには評価基準の改善やインフラ設備の支援が必須となります。地域社会では地産地消的価値観が勃興するのに対し、仮想需要の世界では更なる領域拡張が加速するのではないでしょうか。このシステム構築があってこそ、”デジタル上だけで完結する経済”が成立します。

 


 本日はここまでです。随分と長い妄想ではありましたが長期的視点では、地方分散化社会、消費から発酵経済へ、五感的解像度の価値向上、抗体情報の可視化、BIなどの新社会保障制度、医療の国際資産化など、現実的にに十二分にあり得る内容だったと思います。
 今回のポイントは、社会的距離を求められた結果、”仮想需要”の役割が以前より明確化した点、但し五感的解像度の問題を乗り越えるには時間が掛かり、その分野がフィジカル産業の要となる点、また人口減少禍にある日本は地方分散社会による”発酵経済”が成長戦略の鍵となる点でしょうか。特に今回の一件でテクノロジーコンテンツへ敗北してしまったイベント産業などは今後、高い五感的解像度を如何に提供出来るかが重要な要素となるでしょう。

 次回は、今回の妄想を元に課題を抽出したいと思います。

 

 

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-参考・引用−
安宅和人 著ー シン・ニホンAI×データ時代における日本の再生と人材育成