勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

"嘘が氾濫する時代に、ファクトで生き抜く"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回指摘したようにインターネットの普及によって情報がより身近なものとなりました。その中でも特に、感染症を契機として政府の動向、香港やBLACK LIVES MATTERによる人権意識など、社会課題が議論されています。また、この潮流は日本が長年内包し続けていた自然災害や生産性改革、安全保障までに広がりを見せつつあり一辺では議論の活発化として喜ばしい反面、マスメディアの影響も強く感情的なロジックに陥り易い傾向も顕在化されてきました。

 

 当ブログでも、その空気感を根拠とする感情的ロジックと何項にも亘り対峙してきました。これまでの各項をお読み頂けた方々は感じていると思うのですが、感情や空気感で構成されたロジックは課題解決に繋がらないどころか、メディアを媒体として瞬く間に伝染し、社会全体を間違った方向へ突き動かす”原動力”となってしまう可能性があります。ただこれは私を含め人間の習性であり、喜びから人を称え、怒りから闘争心を抱き、悲しみから破壊衝動を抱き、楽しみから向上心を抱くものなのです。つまり感情的ロジックは自然な心の動きで、Homo sapiensが生存競争の中で勝ち得た"社会性"として大切にすべき機能でしょう。

 

 しかし、解決しなければならない社会課題が道を塞いだ時、習性としての感情的ロジックを乗り越え、私たちは "ファクトに生きる" 必要性がある筈です。今回はこの"ファクトに生きる"ことを軸に考察を行います。 



■災害大国日本が抱える遊休資産「神社の活用法」

 近年、環境問題と併せて世界各国では異常気象が取り沙汰されていますが、日本では古来より自然災害大国として災害と向き合ってきた歴史があります。映画 “天気の子” でも“観測史上初は精々数十年の観測に過ぎない”と表現されていたように、現実でも歴史的文献や地質学から地震、噴火、津波、洪水、台風など、近代的計測以外の “歴史的記録” が存在します。

 

 例えば熊本県を襲った令和2年7月の大洪水でも規模は今回が最高だったものの、約55年前に類似の災害が発生していました。この件によって、政府もハザードマップの周知及び、不動産販売時のリスク周知義務を設けましたが国土の狭い日本では、災害リスクよりも経済性や故郷という感情が優先されてきました。しかし、人命の観点ではもちろんのこと、自然災害の度に必要となる復興財政負担を鑑みると、経済的、感情的リスク(コスト)として従来通りの “リスクを無視してに住む”のではなく、数十年の科学的集積と経験の集積である歴史的ファクトの両方を用いて、歴史的集積、有効な既存インフラを活用してみてはどうかということです。

 

 特に神社は災害の度にメディアで、“神社の奇跡”などと形容されてしまうため宗教として扱われてしまいますが、古来よりある神社は自然災害後にファクト情報(実際の被害)に基づいて建てられているケースも多く、歴史的経緯と災害時のインフラとしての2側面で潜在的可能性を有しています。

 

 歴史的経緯の側面では、東日本大震災で大津波が発生した時、津波の境界線に位置していた神社が話題となったように、過去の災害に基づき、建てられている点があげられます。例えば、東日本大震災時の津波でも、ヤマタノオロチの退治で有名なスサノオノミコト(治水や疫病のカミ)を祀る神社や縁の深い出雲系神社などは浸水を回避しており、さらに神社の表参道沿いの昔からある集落は浸水しなかったことに対して、新規の住宅地は浸水してしまいました。他方、農耕を司る稲荷系神社は開けた土地に位置するケースが多く浸水もあったようです。

 

 これは不思議な力でも神の御業でもなく、ヤマタノオロチが大洪水の蛇に例えた伝承を元にしているため、神社や周辺の住居が高台に位置しているのに対し、稲荷系は太陽が降り注ぎ農耕に適した場所(つまり開かれた低い土地)に位置しているという歴史的ファクトによるものです。この詳細研究は、 “東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究” という論文を参照ください(興味深い内容です)。そもそも災害大国でありながら神社は100年−1,000年と原型が保たれているケースも多く、上記の論文を元に地質学調査を行った上で、避難所や緊急インフラ所として神社を活用する試みは現実的だと考えています。

 

 このインフラとしての側面では、全国に神社が約8万社、寺院も含めると約15万社以上と、コンビニ約5万店の約3倍程度の数が存在するため、科学的根拠と併せ最低限のインフラ備蓄を行えば大きな “災害対策資産” を手に入れることとなります。また、前述にもあるように神社と住居との距離や関係性が近いため、現行の住民へ大幅な住居移動を要請せずとも“可能な限り神社側の居住区への移動”で抑えられますし、災害地区であっても、神社の存在が周知されていれば避難目標としても活用が容易になるでしょう。

 

 このように、宗教だと忌避したり、目に見えぬ噂を元に忌避するのではなく、ファクトや歴史を元に情報を取捨選択するだけで、私たちの大切な “人命” を守ることに貢献することができます。日本は今後、縮小経済へ向かうとされている中、忌避論を元とした資産の遊休化は避けなければならない課題です。氾濫する情報に溺れずにもう一度、先入観を捨てて情報に向き合ってみることが大切ではないでしょうか。


■国内課題とファクト

 最後に諄い(くどい)ようですが感染症と安全保障について触れておきたいと思います。感染症関連では新規陽性者数が騒がれていますが本来重視すべきは、病床数の推移と陽性者が発生したとされる場所での感染対策内容です。特に今回の新規陽性者数は大幅な検査数増加によるところで、数値だけを切り抜いても意味がありません。このことはTwitterで下記のように触れました。

 

 また、報道は数値のみなのですが、陽性者やクラスターが発生した場所の感染対策内容を細かく調査し、開示する必要があります。これにより"対策が甘くて発生したのか"、"どこの対策が甘くなるのか"など、利用者や提供者双方ともがファクトに基づいた効果的な対策を行えるようになります。確かに、陽性者数もファクトではありますが、不安心理を煽りたいだけなのか、課題解決へ向けて取り組んでいるのかで大きく異なります。

 

 次に安全保障問題ですがこちらも"中国の脅威"という単一の論点に基づくものではなく、日本の立場や時代の潮流として今、議論が必要である旨を押さえる必要があります。例えば、中国の脅威とは大きく "軍事と経済による権利の侵害"と定義できるのですが、ここには更に "物理的距離感"も内包されています。つまり、地政学的リスクです。


 Googleマップなどを見て頂ければ分かり易いのですが、社会主義国家(中露)が太平洋側に進出するには日本を越える必要があります。また、日本から台湾、フィリピン、インドネシア、その奥のオーストラリアに到るまで弧を描いて西側諸国の影響下(=必ずしも常に西側諸国へ帰属しないものの)にあります。このように国際情勢を世界地図で俯瞰すると、何故中国が執拗に海洋進出を行っているのか理由が伺え尚且つ、日本がレイシストや過激派の右派であるが故に国防や対中外交を行うではなく、地政学的な外的要因によって必要性があるからなのです。

 

 これは中国が友好的な国家であったとしても、日本が中国の帰属国でもない限り変わることはありません。何故なら、陸地や海域が隣接する国家間の争いは必ず発生し、そして他国である以上、自国の利益を重んじるからです。特に国際社会では安易に不利益を容認し恒久的な慣習になってしまうと、何世代にも影響を及ぼすでしょう。

 

 このように"地政学的な必要性"と"戦後秩序にくみこまれた構造"というファクトから、安全保障について語る必要があります。どの国が嫌いだから、怖いからなどでは当然に意味がありませんし、脅威などはなく国防は不要だ、という意見もファクトに基づかないあまりに乱暴な感情的ロジックなのです。


 本日はここまでです。自然災害も"予測不可能"とされますが、地質学と歴史書で大きな枠組みは解析できる筈ですし、何気なく通り過ぎていた神社なども本来の役割を知れば、十二分に可能性を秘めた資産として扱うことができます。事象を細分化し、多角的視野でファクトを分析することが課題解決へ向けた議論の本質になるように思います。自殺や安楽死など、暗い話題が続くと感情に引っ張られてしまいます。また、"他人に迷惑をかけてはならない"という日本特有の同調圧力が更に息苦しさを増しています。しかしこの同調圧力も、江戸時代の五人組制度(5戸1組みで犯罪を見張り、罪を犯せば連帯責任となる制度)というファクトが影響しています。だからこそ、感情を煽るような報道や、監視や吊し上げを正当化するような自粛対策を取ってはいけないのです。

 

 情報化が進み、あらゆる情報に触れ、情報を発信する時代だからこそ、感情的ロジックに溺れずにファクトに生きなければなりません。

 

 

 

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[黒川 和嗣(Kazushi Kurokawa)Twitter ]

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Photo by Kazushi Kurokawa

−資料−

※1 ”東日本大震災の津波被害における神社の祭神とその空間的配置に関する研究”