勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

"若者は選挙へ行こう!、は虚無の世界線 「日本よ、目を背けるな」3/4"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回はゼロリスクを求める過度な自粛や、国際社会への責任や貢献を伴わない人権主張、男女各々のポジショントークに根差す差別運動など、口当たりの良いことに終始する日本の風潮に問題提議を行いました。過度な自粛には経済損失、国際的人権運動には安全保障、男女差別是正には特権の剥奪など、社会はtrade-offであり、課題解決には必ず "口当たりの悪さ"が伴うものです。
 今回は引き続き、日本に横たわる "口当たりの悪い社会課題"について考察を行います。

「日本よ、目を背けるな」 3/4

第1項 "BLACK LIVES MATTER を対岸から叫ぶ前に"

第2項 "口当たりの悪さの先にこそ,喉ごしの良さが待っている"

第3項 "若者は選挙へ行こう!、は虚無の世界線"

第4項 "社会変革のための,義務教育トランスフォーメーション"

 


社会人幻想論

 前回、少子高齢化の文脈に於ける女性の社会進出問題をテーマとして取り上げましたが、この問題には根本的な課題として"社会人幻想論"が内包されています。

 近年の風潮で"社会人幻想論"というと、サラリーマン批判に終始してしまいますが、それはある種の口当たりの良い要素でしかなく本来はフリーランスも含め、社会人として働いているだけで価値があると思っていることに問題があるのです。つまり、厳しい表現ではありますが、仕事に於いてコントリビューションやコミットメントを発揮していない人材は総じて"幻想"に生きているのです。

 高度経済成長期のような人口が増加傾向にある産業社会では、数の論理が成立するため、強ち幻想ではなかったでしょう。しかし、人口減少へと向かう情報社会では業務の中抜きが重要となり、貢献度が低い人材や、直接的に利益創出へのポジションを取っていない人材は、価値が大幅に低下してしまい最早、社会人に成ったからといって何の価値も無くなってしまうのです。また企業サイドも、解雇規制だけではなく感情的な要素も含めて、人員整理の難しさは有りますが、今行わなければ体力を消耗してしまい、企業活動そのものが成立しなくなってしまうという圧力を抱えています。
 その為に企業や組織、社会から、労働市場の大量なリストラクチャリング(再構築)が始めなければならないのです。


 但し、余剰人材を自己責任として切り捨ててしまう行為は、一企業では必要な処理であっても、社会全体で捉えるとマイナスでしかありません。以前から指摘しているように、切り捨ては"負債"となりますが、再活用を構築すると"資産"となるのです。

 特に、企業や社会で余剰人材を不要だと扱うと、そこには感情的な抵抗感が生まれてしまい、社会変革の波が止まってしまいます。だからこそ、BI(ベーシックインカム)の導入や高額退職金、学び直しと再活動の機会提供などが行える社会変革も、合わせて必要なのではないでしょうか。現行の社会に問題があることは、再三指摘されているにも関わらず、一行に進まない理由は単なる利権だけではなく、変革後のビジョン共有が明確になされていないことにもあるように感じます。


 サラリーマンを批判し、フリーランスを輝かしく語ることは口当たりが良いでしょう。また、自己責任論を用いて人材を捨てることも簡単で口当たりが良いでしょう。本当に口当たりが悪く、取り組まなければならない課題は、 "企業単位の人材整理と共に、社会単位の人材活用" なのです。

 

 

 

選挙の虚無感

 7/5に東京都知事選を控えていますが、日本社会の選挙は若年層(15~34歳)にとって虚無感が漂っています。フィジカルに投票所に行かなければならない点も、働き盛りにとっては厳しいものがありますしそれ以前に、多数決の論理である選挙では人口比率の性質上、意見が殆ど繁栄されないのです。ここでも、社会人幻想論やジェンダー問題と同様に、人口減少が課題として浮き彫りとなります。

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総務省 衆議院議員総選挙における年代別投票率の推移 ※1

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総務省統計局 人口推移(平成29年10月1日現在)結果の要約 全国人口 ※2

 

 前述のように中間管理職の中抜きや事務処理のデジタル化、就職以外の選択などを行おうとしても、世代間のコンセンサスが取れず親ブロックやパワハラといった形で外圧を与えてしまっています。優秀な人材を効率よく活用しなければならない少子高齢化社会で、デジタルネイティブ世代が本来持っている筈の才能を失ってしまっては意味がありません。DXも正直なところ、デジタルネイティブ世代に任せれば外注をしなくてもある程度進むのではないでしょうか。

 このような世代間の隔たりが、年金問題や社会保障費などを含めて日本の制度設計を静かにデッドロックへと追いやってしまっていることに目を向けなければなりません。年配者には関係ないような課題ではありますが、社会成長が鈍化すれば当然、消費税増税のように日本に在住する全ての国民へ負担が強いられるのです。あなたの、お子さんやお孫さん、大切にしている教え子や後輩の方、そうした次の世代に負担を残さないためにも、口当たりの悪い選挙改革を行わなければならなりません。

 ただ改革といっても存外単純で、選挙のデジタル化と、人口比率に合わせて一票の価値を是正するだけで実現可能なのです。黙視による”年齢別振り分け”などを行えば、地獄でしかありませんが、デジタル投票であれば自動で算出してくれます。勿論、フィジカルな投票所も残すこととなりますが、年齢層は一定に絞られるので、仕分けは難しくない筈でしょう。

 後は副作用として、マイノリティ優位の社会制度が民主主義として正しいのかという問いが生じますが、若年層へのリテラシー教育が新たな市場として活性化するので、結果的に良い方向へ向かうと思います(副作用的に教育の質に左右される問題も出てきますが)。投票年齢を引き下げても、現行の学校教育では社会課題へのリテラシーが養えるようには思えません。


 昨今、若年層の票を集めようと "若者は選挙へ行こう!" と謳っていますが、それだけでは虚無への橋渡しにしかなりません。票集めのポジショントークは捨てて、社会課題へ振り向く必要があります。

 


 本日はここまでです。企業改革や若者の意識改革のような一見、口当たりの悪いことを言っているようでも、実際は根本的解決へと向かわない表層部でしかなく、その先には更なる”口当たりの悪さ”が存在するものです。そこに触れてこそ、価値のある社会変革へ向かうのではないでしょうか。
 次回は、リテラシー教育について触れたいと思います。


 

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-引用・参考-

※1 総務省 衆議院議員総選挙における年代別投票率の推移

※2 総務省統計局 人口推移(平成29年10月1日現在)結果の要約 全国人口
 

"口当たりの悪さの先に,喉ごしの良さが待っている 「日本よ、目を背けるな」2/4”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回はBLACK LIVES MATTERを始め、米国の歴史的性質、そして日本の将来像に触れました。日本で語られる人権意識や反権威主義運動など社会課題の多くは、口当たりの良さに終止し、リアリズム的視点、”身銭思考”が存在していないように感じています。

 というのも、BLACK LIVES MATTERには声を挙げても、自国の拉致問題には無関心であったり、安全保障問題は一部右派による杞憂のように扱われています。また誹謗中傷の件であっても、抜本的な倫理観や制度設計の議論よりも、石を投げていた人にまた(匿名で)石を投げ返すことに終始し、感染症対策の件でも、リアリズムの無い完全な自粛を目指すことで、政治家も企業も評論家もメディアも国民でさえも、責任や社会的リスクから目を背けてしまっています。

 厳しい表現になってしまいましたが昨今、技術革新によってシームレスな社会に向かっているからこそ、安全保障や社会課題の解決へ向けて、口当たりの良くないことであっても、向き合わなければならないのではないでしょうか。今回は敢えて、口当たりの良くない日本の課題について触れたいと思います。

「日本よ、目を背けるな」 2/4

第1項 "BLACK LIVES MATTER を対岸から叫ぶ前に"

第2項 "口当たりの悪さの先に,喉ごしの良さが待っている"

第3項 "若者は選挙へ行こう!、は虚無の世界線"

第4項 "社会変革のための,義務教育トランスフォーメーション"

 

 

■安全保障
 今般、在日米軍の負担費用増額や中国の軍事的圧力が強まる中、安全保障問題が再度熱を帯びてきています。しかし今までの傾向では、反中韓感情が高い勢力と非武装勢力に二極化され議論は深まらず、政治家もSNSで各々の支持層へアピールを行うだけに留まり、多くの国民や有識者は”我関せず”のスタンスを保つ傾向にあります。恐らくこの風潮は今回も同じでそれ事態は然程、国家運営への影響もありませんし悪いとは思いません(国会議員の課題解決能力には疑問がありますが)。

 但し、今回は私が指摘しておきたいポイントは2つで、香港問題やBLACK LIVES MATTERなど、日本から国際社会に何かを訴えるのであれば、国際社会の秩序形成へ ”貢献” していなければなりません。この場合の”貢献”とは経済的援助だけではなく、周辺地域への安全保障を担うことも含みます。特に日本は地政学的に、東西対立構造のディフェンスラインに相当するので、東アジア及び西側陣営の秩序形成には欠かせない重要な立場にあるのです。


 2つ目に、この問題は本来ならビジネスパーソンほど関心を持たなければいけない分野であるという点です。何故なら安全保障とは、周辺諸国とのアライアンスや各国との経済交渉に於いて、必須の要素だからです。確かに、安全保障問題は”分断”の文脈で語られてしまうので、ICT技術や芸術のような”シームレス”を重視する層からは支持がされ難い分野ではあります。しかし安全保障とは分断ではなく、日本の経済、技術、社会構造など、多岐にわたる地盤となる分野であり、ビジネスや技術革新、社会課題解決にとって重要なイシューなのです。

 

 勿論、ビジネスパーソンが宗教や政治について大々的に意思表示を行うことに、問題が生じることも事実ですが、教養として意識しておくことは大切ですし、社会課題解決への足掛かりでもある問題なのです。

 

■女性の社会進出は「あなたに還元される」

 今般、日本でも女性参画がよく謳われるようになりましたが、このテーマの本質は単に女性の活躍を目指すだけのものではありません。“女性の活躍”はあくまでも結果論で、本来の目的は “少子高齢化社会で1人でも多く労働に参加してもらうこと” です。もちろん、多面的には国際協調の中での人権圧力や実際に有能な女性に活躍してもらいたいなど、複数の目的はあるでしょうが、日本の人口動態、高齢者の定年廃止や働き方改革による流動性圧力などを鑑みれば、目的が“労働人口の確保”であることは明らかです。

 

 この前提となる目的を共有した上で議論を進めなければ、一部男性からは女性優遇のように映りますし、一部女性からは参画の強要のように感じ、古い慣習に生きる方々にとっては単に耳障りなだけのテーマとなってしまいます。つまり、男性なのか女性なのかトランスジェンダーなのか、高齢者なのかという問題ではなく、人口減少に向かう日本では須く日本国民全員が(可能な限り生産性の高い)労働に参加しなければ、豊かな生活を守ることが難しいという世界線にあり、女性の社会参画とは男性や高齢者の負担軽減のためにも、議論を進める必要があるということです。

 

 当然ながら、レイプやセクハラ、思想としての蔑視問題などは人としての権利という文脈で横たわっていることも事実です。しかし本来、制度的な側面においては、女性の社会進出と女性蔑視の問題は分けて議論を進めなければ、取り組むべき課題設定が曖昧になってしまいます。この社会進出という側面で考えると、堀江貴文さんが“東京改造計画”で言及されていた生理問題、そして出産問題が重要なところです。また、これは前述の内容と重複する要素ですが、男性側の視点も丁寧に汲み取る必要があるように思います。

 

 生理による身体的・精神的負荷が業務に影響を及ぼし、さらには男性に理解がないため意思疏通の妨げにも繋がってしまっています。また、現代女性の出産率が低下することで生理による負担が長期化している点もあげられます。この生理問題では東京改造計画にある通り、低用量ピルによる生理やホルモンバランスのコントロールは重要な改善方法となります。ピル=避妊薬という意味でネガティブなイメージを持たれるようですが、QOL(Quality of life)の向上にとって有効なアイテムです。

 

 また出産問題では、産休や産休後の復職制度は当然として、子育て環境を共働き前提とした場合、託児所の広義化が必要になるでしょう。同居はしない形での、拡大家族やシェア家族のような共助のコミュニティーもそうですが、結局のところ託児所の規制を緩和し、定年後の高齢者とテクノロジーの活用で運営コストを下げつつ受け皿を増やすしかありません。IT技術の導入は保育士の負担軽減にも繋がるでしょうし、高齢者の参加は認知症防止や人材確保の面でも活かされます。

 

 最後に、男性視点での制度上の問題は”甲斐問題”が挙げられます。恐らく、女性差別反対運動に対して男性の共感が集まり難い一つの要因は、日本に存在する“男性が女性を養う”風潮、そして実際の社会保障や労働環境などでも“どちらかが扶養する”ことを前提とし、往々にして“男性が養う”とされてしまっているからでしょう。これを変えるには、価値観を変えるための育メン的なプロモーションよりも先に、実際の制度設計(男性の産休や共働き前提の社会保障など)を変えることで、感情面の価値観を変える素養を構築したほうが早いように思います。


 このように個人、制度の具体的な障害を潰しながら、価値観や制度が凝り固めっている過渡期ではクオータ制などで半ば強制的に多様性を設けることで、個人的障害、制度的障害、組織的障害、の3方から進化圧を加え、最後に環境による価値観の変容という流れが現実的なロードマップではないでしょうか。1番のポイントは “女性の” と付いていますが、女性のために行うわけではなく、日本全体の成長戦略として老若男女分け隔てなく取り組む課題であるという前提の共有です。少子高齢化による成長の鈍化は、誰かを優遇する議論でも、誰かを非難する議論でもなく、ゼロサム思考のない “私たちの社会課題” です。



 
 本日はここまでです。今回は尖閣諸島周辺で活発化する中国軍の軍事行動に伴い再熱する安全保障論そして、国内に根差す社会課題の一辺に触れました。どちらも一見関係のない事案のようではありますが、安全保障、人権問題、社会課題など、社会の点は線で繋がっているものです。そして、口当たりの良い表層面と、口当たりは悪いが解決へと繋がる深層面が存在し今、失われた30年の先に足を踏み入れようとしている変革期の中では、口当たりの良さに終始するのではなく、悪いものでも飲み込み、その先の喉ごしを体感しなければならない時期でしょう。


 本稿を通してビジネスパーソンなど幅広い層にも、議論や問題提議が広がれば幸いだと思います。次回は、社会人幻想論と選挙制度のデスマーチ化について触れたいと思います。

 

 

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-引用・参考-
※1 著者-堀江 貴文 発行者-見城 徹 発行所-株式会社幻冬舎   News Picks Books 
    「東京改造計画」 第二章 21項 ”低用量ピルで女性の働き方改革ピル”

 

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Photo by Jezael Melgoza on Unsplash

 

 

 

"BLACK LIVES MATTER を対岸から叫ぶ前に 「日本よ、目を背けるな」1/4"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。今般、香港や米国のデモ活動、日本の誹謗中傷など、感染症を引き金として、社会の抱えている歪みが、底知れぬ不安として顕在化しています。新たな”チャイナリスク”を露呈してしまった中国は、デジタル通貨や海洋進出、香港の統制力強化などを用い、急速にイニシアティブを握ろうとしています。米中対立が東西対立へと移行しては、今の中国にとっても厳しい戦いとなり、可能な限り国際社会での駒を確保しておきたいところでしょうか。

 一方米国は、感染症による失業者や感染者層の問題と黒人男性の死が重なることにより、不満が爆発してしまっています。トランプ大統領が暴力を助長し反人権姿勢を行っているような指摘が多いですがもう少し短絡的で、選挙を念頭に民主党州知事との対立及び、暴徒の鎮圧に主眼をおいています。その上で、軍隊の自国投入のような米国の歴史を無視した”政治的センスの問題点”が際立ってしまっているのです。つまりトランプ大統領は、ロックダウンの緩和に慎重派だった民主党州知事達との対立を、人種問題とは別の”選挙戦”というレイヤーで争っているが故に、デモを刺激し続ける結果を招いています。

 トランプ大統領の”異質さ”は一見、柵(しがらみ)がなく力強い変革路線のようにも映りますが、それは小国の長であれば正しいのかも知れません。しかし、世界の経済、安全保障を担う”大国のアメリカ大統領”が他国や自国民と対立し、自身の政策を優先してしまった場合、世界の均衡を大きく損なってしまいます。本日は、米国を中心とした国際社会と日本のポジションについて考察を行いたいと思います。

「日本よ、目を背けるな」 1/4

第1項 "BLACK LIVES MATTER を対岸から叫ぶ前に"

第2項 "口当たりの悪さの先に,喉ごしの良さが待っている"

第3項 "若者は選挙へ行こう!、は虚無の世界線"

第4項 "社会変革のための,義務教育トランスフォーメーション"

 

 

■米国に根差す人種問題
 米国のAfrican-Americanへの差別問題は他の差別とは異なり、権利や格差だけに由来すせず、”African-Americanであること”にこそ由来し差別の対象としているのです。この点を理解しなければ、運動のエネルギーへ共感することも出来ないでしょうし、解決への出口を見つめることも出来ないでしょう。例えば、”差別は良くないので権利を見直そう”と議論してみても、先に触れたように権利の問題ではなく”人種”そのものの問題なので、本質的な解決には至りません。

 つまり、多数決の民主主義政治に於いて、この問題を解消するには”人種のマジョリティ化”とそれに伴う、”若年層の意識変化”しかないのです。その上で、今回の警官問題のように局地的な課題に対して抗議などの圧力を与え、制度設計を整えるしかありません。

 日本のKuToo運動のような一時的ムーブメントではなく、米国の歴史に根差したセンシティブな話題であることが伺えます。そしてトランプ大統領の発言や対応は見事なまでに、求心力を発揮せず民主党との対立構造として、分断を強化してしまっています。
 米国内に渦巻く人種問題の本質は、善悪や良心などではなく、民主主義政治と大統領選の2つのレイヤーによるものでしょう。


■大国 "アメリカ" の喪失
 そもそもトランプ政治は、米国が世界の大国として行ってきた ”世界秩序形成へのコミットメント” を尽く壊してしまっています。確かに、ビジネス上のディールとしては正しいのかも知れませんが、大国の在り方としては大きく間違ってしまっています。貿易赤字問題でも米ドルが基軸通貨である以上、流動性を高めるには赤字にはなるもので、赤字以上の恩恵を米国が受けられる代わりに、西側諸国の社会形成へ尽力してきたました。ここには帝国主義的な発想や白人至上主義のような傲慢さも存在しますが、その反面、連綿と続いた民主主義社会の成熟への貢献も存在しています。

 紛争や利権が耐えない国際社会に於いて、民主主義国家側の”秩序形成役”が不在となってしまった今般、大国におもねる世界秩序から ”各国が自走する世界秩序" と、分断ではない ”シームレスなアライアンス” に移行するフェーズにあるように思います。

 

■日本が進める国際協調路線
 昨今、米国は対中強硬路線を貫く反面、アジア地域の安全保障へのコミットメントを下げようとしています。勿論、本当の意図は軍事力の提供と引き換えに、防衛費の負担増を求めるもので、実際に軍隊を引き上げるという訳ではありません。それは、東西対立構造の防衛ラインを撤廃することに等しいので、トランプ大統領が強行したとしても米国議会が許さないでしょう。このようにコミットメントを下げたいトランプ大統領の思惑と、防衛ラインを維持したい西側諸国の思惑、そして新たに顕在化したChina riskなどを鑑みると、少子高齢化によって経済成長が大幅に減衰する日本の在り方が見えてきます。

 つまり日本国内の改革も必要になるのですが、諸外国との協調、特に東アジア諸国とのアライアンス及び秩序形成へのコミットメント(軍事、経済、医療)強化が重要な成長戦略となり尚且つ、分断に向かう国際社会を ”協調” へと導く牽引役として、貢献できるのではないでしょうか。また、オリンピックという世界各国が参加する”平和の祭典”を行うにあたって、この”世界協調の牽引”は各国のコンセンサスが取れる絶妙なタイミングのようにも思います。(国際社会のコミットメントは過去記事のこちらを参照下さい。”国家相互依存性”

 


 これらは無闇な日本称賛論ではなく、現実的に日本に必要な成長戦略と世界の潮流を鑑みた結果です。日本でもBLACK LIVES MATTERが話題となっていますが、単なる人権の文脈だけで語るのではなく前述の通り、人種の人口比率と大国としての覇権、そして大統領選の対立であることを理解し、議論をしなければ、日本の立ち位置や国際社会へ本当の意味での貢献が出来ません。
 差別や人権は、BLACK LIVES MATTERだけではないように、香港問題、拉致問題、国内のジェンダー問題など数多く存在します。口当たりの良い内容だけを、”対岸”で声を上げるのではなく、日本が国際社会への責任を担うことが今、求められているのではないでしょうか。

 本日はここまで、次回は日本に内包する問題について、考察を行いたいと思います。

 

 

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"フォロワー数ビジネスの終焉から「発酵経済」の幕開け"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。緊急事態宣言が解除され、感染症への関心が減少するなか、今度は自粛による心理的負担がインターネット上で ”誹謗中傷” などの形となり顕在化しています。この問題は過去にもありましたが当時に比べ、現代ではネット社会への参加者の総数が全く異なる上に、SNSがもたらす”社会的価値”も遥かに高くなっています。それに対して、教育現場でのIT活用は殆どと言っていいほど進んでおらず、リテラシー教育も未熟な状態であると言わざるを得ません。道徳教育や法的教育だけでは、誹謗中傷の重みやフェイクニュースへの対処などには、結び付き難いのではないでしょうか。 
 今後、前回までの"発酵経済と五感的解像度"で触れたように、世界規模で仮想需要社会が訪れようとしている中、いつまでもネット社会を”サブカルチャー”的立ち位置に置いておくことは出来ないでしょう。今回は、このネット社会のあり方を考察したいと思います。

 

■溶解するパブリックとプライベート
 制度設計などの前に、ネット社会の大前提である価値観を再確認したいと思います。それはプライベートという概念がなくなりつつある、ということです。システム上の問題だけではなく、LINEやblog、Twitterなどでも他者に繋がっており、それは主語が"自分"なだけであって、大通りに展示をしていることと同義なのです。だからこそ、Instagramなどでも映える写真を投稿したり、Twitterでもバズらせて"いいね数"を稼いだりすることが成立するのです。

 特に冒頭でも触れましたが、利用者数が増加した現代のSNSには、批判する側も、される側もプライベートは存在せずネット社会とリアル社会がそのまま繋がっていると、考える必要があります。

 少し抽象的になってしまいましたが、デジタルネイティブな方々には直感的に理解頂けるのではと思います。私自身は、幼少の頃よりネット社会と繋がっていたので、友人と話す時に罵詈雑言を言わないのと同じく、ネット社会でも発言には注意をしています。それは明らかにネット社会を、"閉ざされた空間"ではなく、"膨大なパブリック空間"だと認識しているからです。


 この価値観はGDPRなどの規制にも通じるもので、ネット社会がプライベートな空間では無いからこそ、"個人情報などのプライバシーをどのように守るのか"が議論されているのです。つまり、匿名にしたりブロック機能を用いたりしたとしても、パブリック空間であることに変わらず、大前提としてその認識を利用者全体が持つ必要があります。

 

■法規制と公認制
 さて、ネット社会がパブリック空間であるとの前提を踏まえ、利用者の増加とネットの社会的重要性を鑑みると実社会と同じく、大枠としては誹謗中傷者に対する罰則規制などは必要でしょう。"死ね"や"殺す"といった脅迫罪に相当する表現はプラットフォームサイドでスクリーニングを行い、訴訟を行うための証拠規定など最低限のルールセットは必要になる可能性があります。

 しかし、上記の内容はtrade-offの範囲だとしても、私個人としては過剰な規制には慎重派ですし、実際に規制を行っても鼬ごっこをしてきた歴史があるので、根絶されることはないと思います。そうなると、有象無象のコミュニティーと限定されたコミュニティーで分ける、ライセンス制と似た"公認"若しくは"エントリーバリア"の設定しかないように思います。

 私はこういった"規制問題"に対しては、米国の1920年に施行された"禁酒法現象"をモデルケースに考えます。米国の禁酒法では法的に規制を強化した結果、闇市場が活性化し粗悪な製造によって人が死に、更にマフィアの資金源となってしまった為、後に廃案となった歴史があります。この歴史は人間の行動制限が如何に難しく、管理市場による(健康を害するお酒を公認する)倫理矛盾のリスク以上に、闇市場のリスクが遥かに高い点などを顕在化させたケーススタディだったと思います。
 つまりTwitterでも、コミュニケーションはサロンのような閉じたコミュニティーで行う"ユーザー間の公認"空間と、最低限のスクリーニングだけを行った空間に分けることとなります。仮に、それ以上を求めるのであれば、プラットフォーム側で厳しいスクリーニングを行う、新たなサービスを活用する形になるでしょう。

 このように分析してみると、SNSの性質上、ユーザーの良心、法的罰則以外には、"アクセスを閉ざす"しかないもので、鼬ごっこをしている理由が垣間見得るようです。では、せもてもユーザーの思考を変えるために、"SNSの信用経済"について簡単に触れたいと思います。

 


■信用経済の変化
 Twitterでも指摘したのですが、今まではイイね数やリプライ数、フォロワー数などが=キャッシュ(信用)に変換さていたので、批判や炎上をツールとして "稼ぐ"人が増えてしまいました。しかし、既に”信用経済”のフェーズはフォロワー数より、"言動の信頼度" に変わっていることに多くの人が気が付いていない、という話です。

 今般は利用者の数が増え、年齢層の幅も広がったことにより単なる"解説や評論"などの情報価値は薄れ、フォロワー数ですら広告指標としては機能していますが、信用経済としてはインフレ状態にあり、価値を失っているのです。つまり、市場として利用者などの”数”が供給過多にある現状、安易な数字稼ぎに何の価値もなく、その人の言動や振るまい、人間性などの "質" にこそ価値があります。
 冒頭でも述べたように、今後、仮想需要社会が発展しアバターなど、デジタル社会が身体性に近づくにつれ、この質の価値は、より高等していくでしょう。フォロワー数が多くても一貫性もなく、批判してばかりや、大声で罵る人とは、身体的距離を保ちた心理がネット上でも加速するでしょう。

 

 

 本日はここまでです。先ず、批判をする側も批判をされる側も、"ネット社会はパブリック空間"であることを大前提とするリテラシーは教育が必要です。その上で、脅迫罪など犯罪性のある内容は、プラットフォーム側で対応をし、ユーザー側で許容、ブロック、訴訟の選択を持てる状態になるように環境整備を行い、よりゼロリスクを目指すのであれば、限られたコミュニティーだけでの交流しかしない方向しかないでしょう。

 制度設計ではこの辺りが、表現の自由やイノベーションなどとの"trade-offの限界"だと思います。これ以上は、イノベーションや芸術、思想への息苦しさに繋がりそうです。後は、先に挙げたように、実社会で誹謗中傷を行わない事と同じく、ネット社会でも信用を守るインセンティブとして、信用経済が"数字"から"質"に移行している事を周知するしかないでしょうか。


 因みに本稿では敢えて、心理的側面や精神の問題には触れずに、ネット社会の構成に限定しています。社会に於ける、いじめたい心理などの"心の問題"は長期間にわたり、人間社会が付き合わなければいけない課題ではありますが、少なくとも本稿で取り上げた内容は、仮想需要が到来するまでにルールセットと意識変容が必要な分野ではないかと考えているからです。

 いじめや誹謗中傷は悪ではありますが、性善説に頼るだけではなく、お互いが自覚しつつルールセットを構築することが重要なのではないでしょうか。

 

 

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"ニューノーマル 五感的解像度を生きる「発酵経済と五感的解像度」5/5"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。"発酵経済と五感的解像度" では感染症対策とテクノロジーによってもたらされる社会変革をマトリクス図を用いて考察しましたが、ポイントは"地方分散化"、消費経済から"発酵経済"へ、外需や内需と並ぶ"仮想需要の台頭"でした。これらは単なる社会変容というだけではなく、人口減少へと向かう"日本の成長戦略"にもなり得るテーマなのです。

 例えば大量生産、大量消費を行うには多くの人口が必要となりますが、島国特有の連綿と続く文化や歴史のように、時間軸に価値基準を設けることが可能となれば、埋蔵資産が多い日本には有利に作用し更に、仮想需要がスケールしたとしても"五感の再現性"はまださほど高くはないので、地方の観光には十二分に価値があります。このようにテクノロジーによる省人化だけではなく、少ないリソースを活かし価値を最大化する社会変容こそが今回の "コロナがもたらす作用" の本質となるのではないでしょうか。

 今回は、"発酵経済と五感的解像度"で炙り出された将来像を元に、五感的解像度を軸足として、今から議論を進めておきたい中期的な課題を考察したいと思います。

  「発酵経済と五感的解像度」5/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 


■ニューノーマル 五感的解像度を生きる
 再三指摘しているように、現代のテクノロジーでは "人間の五感" を再現出来る程のサービスはありません。勿論、個別の研究としては進んでいますがサービスとして浸透するには至っていない、という意味でです。そして人間をはじめ多くの生物に於いて、フィジカルなコミュニケーションを行わないことは、生物的にも心理的にも容易ではありません。つまり、今回の自粛でも心理的負担が課題とされていたように、雑多なシステムはオンラインに置き換えられても、"五感的解像度" が重要視される分野では大きな変革はまだ起きないと想定されます。

 そうなると、感染症の観点から "ヘルスケア情報"が重要となってきます。このヘルスケア情報には、歯周病やワクチン接種のような予防医療情報や抗体情報が含まれ、それを”信頼”としつつ身体接触が許容されるしかありません。個人情報など現実的かの問題はさておき、今回のゼロリスクを目指した自粛を"正"とするのであれば、抗体リストや予防医療義務は必要不可欠でしょう。特に日本の場合は社会保障費が財政の圧迫にもなっているため、官民の取り組みで社会実装してみると良いかもしれません。


 さて、五感的解像度に話を戻すと、例えばスポーツやライブの臨場感であったり、観光地の空気感などは "五感的解像度" が求められる分野で、即デジタルに代替えとはいかないでしょう。但し、それはアナログのサービスに拘るという保守的なビジネスモデルではなく、最大のポイントとして、サービスや導線はデジタルコンテンツを用いつつ "フィジカルな体験を高め、補うこと" です。

 例えば、スポーツでは現行の放映権だけではなく、ドローンによる"空撮映像"とゲームなどで用いられる音声システムを組み合わせることで、試合の"五感性"である臨場感を新たな映像体験サービスとして提供することも考えられます。また、この点では観光業でも応用が可能で、"プレ観光"などサービス導線としてバーチャルによる観光体験を行えば、実際の観光を引き立たせるプロモーションの役目にもなります。つまり従来のように、デジタルを利用しないのでもなく、全てをアバターや仮想空間に置き換えられるのでもなく、五感的解像度を価値基準としながらサービスや市場を広げることが、今後のイベントやスポーツ、観光業などにとって重要な要素となります。

 


 本日はここまでです。5回に亘り、"社会変革が起こす作用と五感的解像度"について考察を行って来ました。今般、メディアや識者、政府や企業などがあらゆる角度で分析を行っている "コロナ禍" "Afterコロナ" "Withコロナ" "デジタル革新" などの社会変容について、短中長期に区分しここに網羅できたかと思います。

 短期的には、自粛による失業と旧制度と新制度の狭間で発生する格差を内包しながら、感染症対策を社会インフラとして意識する社会へと向かい、中期的には、ヘルスケア情報やマイナンバー制度など情報の管理と国際的な安全保障へ議論が移り、市場は徐々に仮想需要と五感的解像度へと分かれ、長期的には政治もしくは人口の地方分散化が進み、発酵経済、仮想需要の確立へと移り変わる、といったシナリオが、前述の "~コロナ"関連に於ける共通シナリオとして想定されます。この一連の流れの中で、明確な課題は "余剰人材の活用" "地方分散化と発酵経済の構築" "個人情報保護の安全保障化" "医療リソースの国際共有資産化" です。  


 ここまで社会変容を細分化し、浮き彫りとなったこれらの課題を議論することで、妄想のうようでありながら、実装することが求められる "仮想需要と五感的解像度" が実現可能となるのではないでしょうか。単なるポジショントークや、不安心理の扇動、政治利用などではなく、このような課題視点で議論が今、求められています。

 

 

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"Withコロナの虚像と深淵からの手招き「発酵経済と五感的解像度」4/5"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回はマトリクス図を使った、社会変容について考察を行いました。巷でも騒がれている "With コロナ構想" に近い内容となったでしょうか。しかしこの "With コロナ" には正直なところ二つの違和感を感じています。一つ目は社会変動に対して過剰に注目されている点、二つ目はピンチをチャンスと謳っている点です。

 前者はイノベーター理論にあるように感じます。ICT技術に関係する企業や研究者、長期的な経営戦略を分析する経営者のように、イノベーター理論に於いて”アーリーアダプター”と称される方々にとっては大きなテクノロジー変革が”直近の課題”として扱われますが、国民の大多数であるレイトマジョリティの社会に実装されるまでは、まだ時間がかかるでしょう。つまり、メディアなどではテクノロジーによる"Withコロナ”を時代の潮流として煽られていますが、最先端の関係者と、大多数の国民にとっての課題としては”ズレ”が生じているのです。そのズレを広げているメディアの煽りがまるで一時の”暗号通過ブーム”を彷彿とさせるほどで、実質の社会成長よりガチャ的な情弱ビジネスに向かうのではと感じています。

 後者は正に大多数に於ける課題として、"ピンチはピンチとして存在する"ということです。前回でも指摘しましたが、旧社会制度と新社会制度の狭間には、適応が出来る対象(人)と適用が難しい対象(人)が生じ尚且つ、ネガティブな影響が及ぶ層は、社会的な分母に対して分子が少ないため、社会全体からは見えずらく、置き去りになってしまう傾向があります。特に今回は、市場の淘汰が加速し"デジタル上で完結する市場"が構築されつつあるため、ピンチをチャンスと言っても余剰人材の行き場は大きくありません。これは感情論として可哀想といった発想ではなく、私自身も経営に関わってきた身として、余剰人材を"自己責任による負債"として切り捨てるのではなく、活用することこそが成長戦略にとって重要なテーマだと考えているからです。特に人口減少禍にある日本にとってはより一層、重みが増すでしょう。

 前回は"Withコロナ"のような社会変革への妄想を行いましたが、今回は一呼吸おいて、一足飛びにテクノロジーへ飛び付かずに、ピンチはピンチと感じている層の社会課題について考察を行いたいと思います。

 「発酵経済と五感的解像度」4/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 


■深淵からの手招き
 一つは中途採用問題でしょう。現在の中途採用では年齢、転職回数、ブランク年数を足切り基準としていますが、これらは定年制、終身雇用制、新卒一括採用の概念に基づきます。全体的に乱暴な表現とはなりますが、定年が意識されるので年齢に上限が必要となり、終身雇用を前提とするので転職回数は "裏切りの回数" のように扱われ、新卒一括採用が当然の規範的行動となる中、ブランク年数があることは社会規範を逸脱している人物として扱われてしまう傾向にあります。勿論、企業体質にもよりますし、採用サイドとしては年齢が高まるにつれ、人材として高い質を求めるのは当然です。しかし、このような足切り基準を慣習としてしまうことが、人口減少禍にあり社会変容の激しい現代社会に於いて、ポジティブな作用を生み辛くしているのも事実ではないでしょうか。

 次に社会人の学び直しです。中途半端な実用性のない "資格取得" だけのような学びでは、競争原理のはたらく実社会での価値にはなり難いです。特に中途採用ともなれば、実用性が必須であることには議論の余地はないでしょう。但し、ここでのポイントは前述とも通じるところですが、しっかりとした学び直しをする時に犠牲となってしまう年齢やブランク年数に対して寛容であることです。また、"学びは学生のすること"といった偏見で捉える空気感も取り除く必要があります。

 そして最後にフリーライダーへの許容です。フリーライダーとは、単にフリーランスであるということではなく、終身雇用や業種に拘らず時代の潮流に合わせてキャリアアップをしたり、異業種へチャレンジをしたりすることを指します。このようなフリーライダーへの許容は外資系をはじめ、リクルートなどでは随分と前から存在しますが、まだまだ多くの日本企業では終身雇用に縛られているいます。
 私自身も採用や教育を行う時に、感情としては当社に骨を埋めるつもりで入社してほしいと思います。しかし現代社会では、それは希望的観測であり採用サイドの "ファンタジー" でしかありません。高度経済成長期ではそれでも成立しましたが流動性の激しいこの時代に、一人一社一業種ではとてもではありませんが博打が過ぎます。投資のポートフォリオでもこんな恐ろしいことはしないのに "人生はフルベットしろ"とは正気の沙汰ではないでしょう。

 また、収入差別の問題もあります。ここでいう収入差別とは賃金格差のことではなく、収入額を他者と比べたときに高いか低いかで、マウントを取ったり低所得者を可哀想としたり、劣等感を抱いたりしてしまう空気感のことです。正直、私の所感では、独身の男性で大きな借金も無ければ、手取り15万円で趣味や貯蓄などに回しても生活は可能だと考えています。(勿論、身の丈以上の贅沢や最低限の金融リテラシーは持っている前提ではありますが。。。)  

 つまり、失業者が増える今般の時世に於いて、テクノロジーによる "With コロナ" だけを語るのではなく、これら旧成長時代に作られた固定概念を捨て去る議論が、抱き合わせで必要なように思います。
 常に"ピンチはピンチ"として影を落とす要素が存在し、そちらの議論を置き去りに、未来思考のポジショントークに引っ張られるだけでは先の "失われた30年"のように、長期的に国家を支えるフレームを蝕むこととなるのではないでしょうか。

 

 私は、自身がクリエーターであり尚且つ、経営を行う立場として、イノベーター理論上にある技術や知識、価値観の浸透や躍進を重んじておりますが、世間全般の動きに必要なのは、今回のような泥臭い制度改革や血の通ったリアリズム思考だと考えています。過剰に煽られている "With コロナ論" には、かつてのビットコインを彷彿とされる、キラキラとした側面しか見せない違和感を漂わせています。

 今回の議論には既視感があります。

 

 そう私には、制度改革を行わなかった "失われた30年"が、深淵の向から手招きをしているようなのです。

 

  本日はここまでです。今回、浮き彫りとなった課題を念頭においた上で、次回は"発酵経済と五感的解像度"のマトリクス図の妄想から得た課題を"リアル"な短期的社会変容に落とし込みたいと思います。

 

 

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”発酵経済と五感的解像度「発酵経済と五感的解像度」3/5”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。最近は正直、世間の喧騒に辟易としていました。現在では経済的危機が煽られるようになりましたが元々、全体的な社会封鎖が及ぼす作用として存在していたものでしたし、それに伴う補償や教育改革が行政のシステム上、潤滑に機能しないことも明白であったでしょう。日本の有事では、全体的に国家戦略が民衆心理に左右される結果となってしまっていますが、その弊害も大きいように感じます。これは国家の有事、つまり軍事制度をゼロイチでしか議論してこなかった点、マイナンバーを監視社会の陰謀論としたり、デジタル処理を犬猿してきた結果とも言え、システムの機能性よりも、国民感情と全体最適解に依存している”理想的”な民主主義国家だとも言えます。しかし、そこには必ずしもリアリズムが存在する訳ではなく、時に大きな国家的損失を与えてしまうものです。

 今後は、なし崩し的に経済が再開され関心事が感染症から不況へ移行するなか、イベントや飲食店、共働きの育児家庭、就学度や失業など、大きな社会的格差を抱えることとなります。そのような社会では、一律的な絶対値による価値観は存在せず、格差や失敗を”許容する”そんな社会が求められるように思います。

 

 さて前回は、格差問題などSocial distanceによる短期的な課題について触れました。 歴史的に、格差は革命や大きな節目に起きる”社会変革の兆し”でもあります。そして、社会変革は往々にして混乱を伴って発生するものであり尚且つ、旧制度下の人材は新制度下では知識や能力が及ばず、それが格差として顕在化するものです。但し、今回の格差には留意が必要で、それは”仮想需要”という新市場を生み出す点にあります。農耕や産業革命は”物理的な産業”と地続きでしたが仮想需要では”デジタル空間で完結する産業”となります。これは少し極端な言い方ですが、ここにロボティクスや省人化による ”物質を経由しても人を経由しない(又は限られた分野の人材のみの)産業構造” を含むとすると、現実味が出てくるのではないでしょうか。

 勿論、現段階では従来と同じく、物理空間との接点を模索しながら”リアルの拡張”を目指すに留まります。ただ本稿では、”生物であることがリスク”となった社会が引き起こす”長期的な変革”を想定し、課題の拾い上げ作業を行いたいと思います。

「発酵経済と五感的解像度」3/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 


■発酵経済と五感的解像度
 先ずは現代の社会構造を分析したいと思いますが、ここでは安宅和人(慶應義塾大学SFC教授/ヤフーCSO)さんが提唱されている、”開疎化のマトリクス”が非常に参考になりましたので、そこに私なりの考察を足して進めたいと思います。

 

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 既存の社会構造が上記のマトリクスですね。地方から人材が都市部に流入し、大量生産、大量消費を行う一極集中型の都市構造を構築することで、資本主義社会に於ける価値の最大化を目指しました。
 しかし、今回の一件で公衆衛生、生活コスト、政治的ガバナンスなど様々な視点から課題が露見しました。ここにリモートワークをはじめ、テクノロジーによるデジタルシステムを導入することで”分散化社会”を構築し、課題解決策を目指しています。但し、水道やガスと同じ生活インフラとなりつつあるテクノロジーを支えているのは国家ではなく、民間企業です。この場合は国際情勢や個人情報保護、安全保障などの課題が発生します。

 また日本に於ける民主主義は、最大公約数を求める傾向にあり、有事の際には機能しません。この問題は戦時を想定していない国家体制に基因する要素が大きいですが、慣習としても遠い国家への帰属性よりは、地域や村など直近の組織意識が強い傾向にあることも要素の一つでしょう。つまり、”民主主義の限界”とも揶揄されている今回の現象ですが、統治のパイを中央集権による全国統治から、各自治体による地方分権へと縮小することで改善されるのではないでしょうか。歴史的にも日本は、古墳時代(地方分権)→飛鳥時代(中央集権)→鎌倉時代(地方分権)→江戸時代(中央・地方主権)→明治時代(中央集権)と、中央と地方を繰り返してきた事実があり、柔軟に対応することは可能なはずです。この中でも、江戸時代の中央と地方の両立関係は、構造は違いますが、現代に活かせる要素は少なからずある筈です。

 次は、社会構造の分散化をマトリクス図に落としてみます。

 

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 都市構造から地方への分散は、テクノロジーの活用で現実的に可能です。学校や病院、オフィスなども密度が低下するので、従来通りのコミュニケーションを保ちつつ、一人一人のコントリビューション(貢献)が高まる構造となります。経済構造も人口減少へ向かう現在では、生産消費経済から既存の(文化など)モノへ付加価値を与える ”発酵経済” が成長戦略の鍵となります。発酵経済では、経験を積んだ人材や熟成された製品、アンティークのような伝統文化に価値が与えられますが、地方にはそのような”埋蔵資産”が数多く存在し、地方分散と共に発展するでしょう。更に今回は、次章で触れますが”抗体情報を中心としたヘルスケア情報”が重要な信頼指数となります。地方で密度が下がるとは言え、感染症への異常な恐怖感は感染症対策と共にヘルスケア情報を可視化が求められます。

 また表にある”高解像度経済”ですが、これは前述の発酵経済とも通じるところで、デジタルによる再現性の限界から生まれる”五感へ与える刺激が価値となる経済圏”を指します。仮想現実には現実を再現することを求める要素と、非現実を再現する要素によって価値が定義されますが、現在の技術力では五感までを高解像度で再現するには至っておらず、当面はこのキャズムを越えないと思われます。テクノロジーの台頭ばかりが注目されますが、テック以外の産業に於いて重要な要素は、テクノロジーを活用し仮想世界でプロモーションを行いつつ、自然などのデジタルでは届かない”五感的高解像度”サービスを如何に提供をするのかが必要となります。

 ここで次なるポイントは、”仮想需要(デジタルで完結する市場)”のシステムで、個人情報保護やスマートコントラクト、通信インフラへの国家参入、国際対立から国際協調を行う為の安全保障対策や税収システムを構築しなければなりません。

 

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 デジタル経済 ”仮想需要” を成立させるには、図にあるような課題が幾つも存在します。IT業界が広告やエンタメ、システムの補助機能に留まらず、国民生活を営む上で欠かせない生活インフラとなる以上、国家が支える領域も必要となります。それはデジタル通貨やデジタル契約への需要が高まり、安全保障の質は衛星コンステレーションのような宇宙産業へ波及し、自動走行車による配送、工場のロボティクスによって発生する余剰人材を支えるために、税収システムの改革とベーシックインカムの導入は必要となるでしょう。また、医療リソースは政治的な価値を帯びつつ世界的資産としての枠組みが求められるようになります。

 このように、現代技術でも地方分散化社会は可能ではありますが、そこには必ず格差や組織運用の不備などの課題も多く存在し、それを解決するための枠組みを構築しなければなりません。先のヘルスケア情報には個人情報保護と安全保障が必須でしょうし、今般指摘されているオンライン学習やリモートワークには評価基準の改善やインフラ設備の支援が必須となります。地域社会では地産地消的価値観が勃興するのに対し、仮想需要の世界では更なる領域拡張が加速するのではないでしょうか。このシステム構築があってこそ、”デジタル上だけで完結する経済”が成立します。

 


 本日はここまでです。随分と長い妄想ではありましたが長期的視点では、地方分散化社会、消費から発酵経済へ、五感的解像度の価値向上、抗体情報の可視化、BIなどの新社会保障制度、医療の国際資産化など、現実的にに十二分にあり得る内容だったと思います。
 今回のポイントは、社会的距離を求められた結果、”仮想需要”の役割が以前より明確化した点、但し五感的解像度の問題を乗り越えるには時間が掛かり、その分野がフィジカル産業の要となる点、また人口減少禍にある日本は地方分散社会による”発酵経済”が成長戦略の鍵となる点でしょうか。特に今回の一件でテクノロジーコンテンツへ敗北してしまったイベント産業などは今後、高い五感的解像度を如何に提供出来るかが重要な要素となるでしょう。

 次回は、今回の妄想を元に課題を抽出したいと思います。

 

 

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-参考・引用−
安宅和人 著ー シン・ニホンAI×データ時代における日本の再生と人材育成

”出口戦略から次のフェーズへ「発酵経済と五感的解像度」2/5” 

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。本日、安倍総理による緊急事態宣言延長の会見が行われましたが想定通りの内容といったところでした。繰り返しになりますが、出口戦略無き規制には、更なる規制か済し崩し的による緩和しかありません。

 さて”大省人化社会の幕開けと仮想需要”では、省人化やテレワーク、Social distanceによって、余剰人材が増える旨、そして内需や外需に続き、新たに "仮想需要” が確立される旨を指摘しました。これらの事象は、人口減少の側面では有効に作用しますが、能力や環境の”格差”として歪みを生じさせる側面もあります。今般、取り沙汰されている非正規雇用の補償や学校再開問題にもこのテーマが潜んでいるでしょう。今回は ”出口戦略” の次にあるフェーズ、この格差問題を、”4つの差異”と”出口戦略から次のフェーズへ”として、形式的な内容も含みますが考察を行いたいと思います。

「発酵経済と五感的解像度」2/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 

■4つの差異
 Social distanceの作用として大きく、”能力格差” ”リテラシー格差” ”金銭的格差” "環境格差" の4つの差異が急速に進んでいます。”能力格差”はテレワークや自宅学習(自習)といった”裁量権が自身に与えられた状態”となった時、受動的に過ごす人と、能動的に過ごす人で大きく成果が異なります。能動的な人は生活をコントロールすることによって、環境の変化に則したスタイルを自ら確立し成果を”生み出す”のですが他方、受動的な人は成果を規定され、カリキュラムや作業空間を与えられることによって成果を”こなす”のです。ここに優劣はなく、前者が後者を見下す風潮に価値はありませんが、Social distanceを基準とするライフスタイルとしては、圧倒的に前者が有利となるでしょう。

 また、必要な技術を活用できるのでは ”リテラシー格差” が影響します。教育現場のインフラ整備にしても、制度的な導入の難しさもありますが、リテラシーがなければ効果的な活用法が見いだせず、抵抗感が増すものです。そしてリテラシーの格差は ”金銭的格差” にも繋がるのですが、インフラ整備に対する支援が薄い現状では、設備によって仕事や教育の質に格差が生まれます。例えば、4Kの大画面で授業を受ける生徒と、6インチの低速通信で授業を受ける生徒では、”成果”が異なるでしょう。   

 そして過渡期的な課題として "環境格差" が挙げられます。DV問題や虐待、プライバシーのない居住空間であったりと、Social distanceへ移行するまでの過渡期に生じる課題ですが、ここは評価基準の改善や、地域密着型コミュニティーを落とし込みむ視点と、地方への移住により物理的な敷地面積を増やすことで解決を目指すしかありません。

 

■出口戦略から次のフェーズへ
 前述にもあるようにインフラ整備はフレームワークの”第一歩”とも言えるでしょう。企業へは補助金や減税処置で支援を行い、学校教育へは公共インフラとして、デバイスや通信費の支援を申請形式で行う必要があるでしょう。今回の件で事実上、通信インフラは水道やガスと同じく、”社会活動を行うにあたり最低限必要なインフラ”となったのだから、低所得者層への支援はあって然るべきのように感じます。

 次に必要なのは、システムのテンプレート化です。これは”リテラシー格差”を埋める要素で、ユーザーがロジックを理解していなくても自走するシステムにする必要があります。例えば、自動車の構造を理解していなくても運転が可能なのと同じように、成果に直結しないものは”マニュアル化”と専門家への”分業”でフローさせます。また教育では、職員の斑を低減させるために教材や内容の一元化を行い、現職の教職員をメンターのような立ち位置にすることで、能力やリテラシー差を最小限に出来るでしょう。

 個人の”能力格差”には評価基準側を調整し、成果で見積もりがとりづらい業務や、教育の基本学習には”時間報酬型”を用い 、それ以外を”成果報酬型”とします。余剰人材を含む、業種別の”能力格差”にはBasic incomeを用いて埋めるしかないでしょうか。この点は議論の多いところですが、システム的には実行可能で後は政治的な”利権摩擦”と抵抗感のある”国民感情”を越えられるのかだと思います。余談ではありますが、そのためには投票権を人口比率に紐付けし、多数決が世代に左右されないような原理を構築しなければなりません。

 最後は”環境問題”に取り組みたいのですが、結局のところ外部にコミュニティーを設けるしかありません。但し、学校やオフィスのような”箱詰め空間”ではなく地域密着型の寺子屋や、Social distanceが可能なレンタルオフィスを想定しています。教育では本来の地域共同育児に戻るイメージでしょうか。また、地域密着型であれば”地域の課題”が可視化されるので、組織へのコントリビューション(貢献)が構築できます。日本は元来、藩や村のように小さなコミュニティーで生活する慣習があり、同調性が強すぎるため近代的な中央集権国家や一極集中都市では、民主主義の根幹であるコンセンサスが取れなくなる傾向があります。その点を鑑みても、地方分散型の地域コミュニティーは有効に活用が出来ると思います。

 

 本日はここまでです。今回は、直近の問題点と解決へ向けてのフレームを考察しましたが、方法論は他にも幾らでもあると思います。ただ重要なのは ”課題共有” であり、ここを遅れてしまうと ”仮想需要” が拡大するグローバル世界で ”国家間格差" が一気に広がってしまうこととなります。勿論、シームレス化の進む国際社会では ”日本” に拘る必要はありません。それに、私自身はどちらかというとリバタリアン思想なのですが、他国でポジションを取るという選択肢をしないのであれば、一緒に課題解決へ向けて歩み続けることは重要なことではないでしょうか。少なくとも私はそう考えています。

 因みに今回、フィジカルな産業について触れなかったのは、巷で騒がれている程すぐに”無くならない”と考えているからです。その視点を次回、”発酵経済と五感的解像度"で触れたいと思います。

 

 

 

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”自粛という延長と延命の狭間「国民感情が引き起こす作用」4/4”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。5/1に緊急事態宣言延長の方針が固まりました。これは当初から想定されていた方向性で、本稿でも指摘してきたように”出口戦略無き規制は永遠に続く”というものです。規制を掛けると=緩和の”理由”が必要であり、明確な条件設定をしなければなりません。それが実行再生産数を1未満に抑えることなのか、自粛割合を8割にすることなのか、医療リソースの余剰割合なのか。これらのKPIを定め、社会活動と抱き合わせながら対策やシステムを構築し、国民に開示する必要性があります。(詳細については過去記事の、”仮想需要と五感的解像度””イシューがTwitterの果てに”などを参照下さい。)
 今回は、自粛という延長と延命の狭間で何が起きていて、何を目指すのかを考察したいと思います。

「COVID-19 国民感情が引き起こす作用」3/4

第1項 "政策決断に於ける3指標"

第2項 "ディストピア的出口戦略"

第3項 "イシューがTwitterの果てに"

第4項 "自粛という延長と延命の狭間"

 

 

 

■延長に伴う補償拡大
 今回の大きなポイントは、上記の基準値策定と、延長に伴う補償拡大、修学率の格差、自粛範囲の規定です。補償問題は前回の”雇用の変化”とも関係する内容ですが、4月の時点で非正規雇用者(派遣、アルバイト、パート、個人事業主)には、収入減や無収入者(失業者)などが出ており、来月には更に倒産や人員整理による割合が増えると予想されます。こちらは山猫総合研究所※1さんと創発プラットフォーム※2さんが出したものがとても分かり易かったので、引用させて頂きます。平時であれば、自己責任ですが、政府が市場に介入する”有事”では、その限りではなく補償されて然るべきかと思います。

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「新型コロナウィルスに関する緊急世論調査※3」by 山猫総合研究所 / 創発プラットフォーム

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「新型コロナウィルスに関する緊急世論調査※3」by 山猫総合研究所 / 創発プラットフォーム

 

■修学率の格差
 修学率の格差に関しては、”出口戦略から次のフェーズへ”のテーマにもなる”格差”に根差すところが多いです。その点は別途寄稿しますが、ここで触れたておきたいことは”9月入学”についてです。
 私はこの議論を懐疑的に捉えています。そもそもの目的は、修学の遅延を取り戻すための議論であったはずが、国際基準化という平時的議論に移っているからです。9月入学を実行するには、学校のみならず、塾や専門、受験までを含む全ての教育体制を一新しなければならず、到底、現在の行政リソースでは対応が出来ないでしょう。それよりは現実的に、オンライン授業へのインフラサポートや教育内容の一元化、評価基準の見直しが必要です。しかし、そこには家庭環境へのサポートも当然ながら必要になるので、多くの地域では済し崩し的な学校再開になりそうです。そうであれば先伸ばしにせず、早期再開へ踏み切る決断も必要になるのではないでしょうか。

 

風俗の隠れ営業
 最後に自粛範囲の規定ですが先日、ダイアモンドオンライン※4さんがこのような記事を取り上げていました。

 岡村隆史発言に風俗店幹部が怒る理由「あんた何にも分かってない」

 この記事に”風俗街の中には一帯の店舗が軒並みシャッターを下ろし、「休業」と張り紙をしているところがある。「しかし実際には休業中としている店舗でも、なじみのお客さんなどを受け入れてヤミ営業しているところがあります」~(略)~8割以上の店舗が通常通りの営業を続けている“通常運転”の風俗街もあるという。"とありました。いつ頃の段階なのか、どの地域で規模感はどの程度なのか、真実は分かりませんが、他方でもガールズバーの”隠れ営業(自粛なので闇営業は言い過ぎかと)”などの情報があるので、十分にあり得るケースだと考えています。

 仮に、パチンコ屋への対処が医学的根拠に基づくものであるならば、感染リスクが証明されているこちらへの対処も、同様かそれ以上に必要ではないでしょうか。ジョギングへの感染リスクを唱える反面、”風俗”は存在しないかのような世間や政治家の風潮には些か疑念を感じます。
 全面封鎖思考ではなく、効果的なピンポイント自粛を行わなければ効果が得れず、自粛にしたがっている低リスク業界が全て破綻してしまいます。

 

 今回はここまでです。本来の自粛効果は、社会全体が延命されなければなりません。勿論、痛みを伴わないという意味ではなく、痛みを最小限にしてという意味でです。しかし、現状のエビデンスより国民の不安新心理が優先されている全面封鎖では、社会全体の首を絞めているようなものです。この”狭間”での出来事を見ずして、次の戦略などありません。”希望”は乗り越える戦略があるからこそ”希望”なのです。私は今回の狭間を安易なチャンスとは言いたくありません。しかし、一つだけ言えることがあります。

 

”若者は楽しめ、行くあてはある。 

 中年はもがけ、やることはある。

 熟年は捧げろ、与えるものはある。 

 よってたかって、今を生きろ。” 

 

 自粛という延長と延命の狭間で、今を生きてください。

 

 

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【引用】
※1  山猫総合研究所
  https://yamaneko.co.jp/
※2 創発プラットフォーム
  http://www.sohatsu.or.jp/
※3 新型コロナウィルスに関する緊急世論調査
  https://yamaneko.co.jp/news/release/report_novelvirus20200501/
※4 ダイアモンドオンライン
  https://diamond.jp/

”大省人化社会の幕開けと仮想需要 「発酵経済と五感的解像度」1/5”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回も触れましたが、基本的に感染症は”封じ込めれば終わり”ということも”ワクチンが完成し終わり”ということもなく、長期的に医療体制を拡充しながら”集団免疫”と”感情的許容”を獲得し、最終的にインフルエンザや風邪のように”よくある病気”になるしかありません。天然痘ウィルスは囲い込みにより撲滅に成功しましたが、人間にのみの感染で1967年-1980年の13年間を費やしています。新型コロナウィルスの場合は人獣共通感染症であり、更に世界規模で広がった現状を鑑みると完全な囲い込みには相当数の年月や研究規模が必要になるので現実的ではありません。

 つまり、撲滅思考の自粛状態が1,2ヶ月で終わることはなく、一部業界での対策は数年間にわたり、撲滅より“ライフスタイルのSocial distance化”が模索される時代に入って行くでしょう。もちろん、揺り戻しとして日常は必ず戻るとしても、長期的なリスク対策としてSocial distanceが社会システムに組み込まれる流れはあると思います。

 今回は少し形式的な内容になりますが、省人化に向けた前提となる3要素について共有しておきたいと思います。

 

「発酵経済と五感的解像度」1/5

第1項 "大省人化社会の幕開けと仮想需要"

第2項 "出口戦略から次のフェーズ"

第3項 "発酵経済と五感的解像度"

第4項 "Withコロナの虚像と深淵からの手招き"

第5項 "ニューノーマル五感的解像度を生きる" 

 

■大省人化社会の幕開け
 日本では全国に緊急事態宣言が出され、米国では早期の社会活動回帰を図りつつ、WHOと中国への対立姿勢を強調しています(本稿は4/7に寄稿しています)。米国のコロナ対策は戦時的措置がとられることで、成果の是非とは別に、国家のガバナンスは働いている印象です。大統領選を控えるトランプ大統領にとって、経済は痛んでしまいましたが、外交、安全保障、生産の国内回帰をドラスティックに行うには、良い機会です。大幅に上昇している失業率も、Amazonやデリバリーサービスを受け皿としつつ、国内回帰をした事業に宛がうことになるでしょう。しかしそれでも、Social distanceが生活習慣の一部になる社会では、エコシステムがコロナ以前に”戻る”ことが難しく、人材の余剰が各国の課題として残ります。

 特に日本は、今回の自粛が国民感情(不安心理)に由来している以上、一部業界では顧客離れが止められないでしょう。工業に至っても、感染症対策やクラスター発生リスクを鑑みると、自動化へ移行した方が人を雇うよりも安価になっていきます。その点では、フィジカル産業へ短期的に揺り戻しがあったとしても、中長期的に(特にBtoBでは)テレカンやテレワーク、ロボティクスの台頭は確実なものです。つまり、この自粛の中でも仕事がある層やICT関連事業以外は、大幅に縮小されるのでしょう。

 


■Social distanceの作用

 Social distanceの導く社会とは、テクノロジーの躍進つまり、“5Gで実現する”とされていた社会です。それはVRやAR、自動運転、ロボティクスなど従来から示されていた世界観なのですが、コロナ以前は“一極集中型の都市をより便利にする構想(スマートシティ)”でした。この場合のスマートシティーでは、地方に導入されたとしても、一部に人を集め“箱に入れる”という点では都市化と同じです。しかし、Social distanceの社会では都市部や一極集中、複数名で箱に入る行為が“危険”と認識され、距離感のある分散型をベースとした地方都市となるでしょう。従来の言葉でいえば"地産地消型社会"といったところでしょうか。

 一軒の住宅でのIoT(Internet of Things)から大都市のIoTへの移行が従来型だとすれば、感染症によるドライブで行われる躍進では、地方と国際社会のIoT化です。ここには当然、テレワークやオンラインシステムも含みますが、今後は仮想空間もサブカルではなくエコシステムとして組み込まれることで現実的居住区に大した価値がなくなり、地方のプレゼンスは高まります。

 

 内需や外需に続き、新たなる市場 “仮想需要” は感染症リスクによって急速に広がりを見せるでしょう。サプライチェーンの国内回帰を含め、足元のビジネスでは地域密着型の内需、世界のリソースシェアとしての外需、そこに今回のデジタル上の交流 “仮想需要”がより強化されるということです。つまり、人々のライフスタイルは過疎地に移り、サービスだけがシームレスに動く世界です。アバターでのテレカンやVRでの商品展示会などは正にその入り口でしょう。現状ではデバイスの普及や長時間に耐えうる解像度の問題がありますし、オンライン診療やオンライン学習、デジタル通貨、スマートコントラクト、衛生コンステレーションなど制度やインフラとしての課題も残りますが、既に仮想需要は始まっており投資拡大も見込まれるので解決までは時間の問題です。

 テクニカル的には、前述のように大きな問題はなく、投資されるリソースに比例して成長も加速しますが、本当の課題は “個人情報の取り扱い”“インフラ格差”“税システム”にあります。個人情報の取り扱いは、デジタル上に身体性を提供するのですから、デバイスやインフラ、サービス提供者の信頼が今以上に求められ、反故にされた場合のレギュレーションを全世界共通で定めなければなりません。

 

 テレワークやオンライン教育などでみられる直近の課題でいえば、良質な環境やデバイスを使えるのかで生じる “インフラ格差”です。こちらは、数年前から既に問題とされていて実質、通信システムが公共インフラとなっているにも関わらず、サービス導入は各自の収入や環境に任されてしまっているので、裕福な家庭では良質なサービス、貧困層ではそもそも導入が出来ないなどの格差が生じています。問題は金銭面だけではなく、例えば本稿に書かれている内容がイメージ出来る人とそうでない人がいる可能性もあります。これはICT技術に対するリテラシー格差です。私は偶然、幼少の頃からガジェットが好きで遊び倒していたのですが、そういう環境にない人や、そもそも世代的に触れなかった人にとっては、導入コストが何倍にもなってしまいます。

 最後に“税システム”です。今般、GAFAの納税問題などが指摘されますが、仮想需要の拡大と共に更に逼迫した財政問題として扱わなければいけません。国民の可処分所得が国際規模で流出するのですから当然キャッシュフローは成立しなくなります。何より、生産環境が材料を組み立てる世界線からコードをコピペする世界線に変わるので、市場構造が全く違うロジックで動くこととなり、生産と雇用による再分配の方程式も通用しなくなります。この点において以前に増し“生きた人間を雇うリスク”が高まった今、非コミュニケーション業務のロボティクス、自動化は加速し、省人化の影響を受ける層がかなりの範囲で現れるでしょう。

 私個人としては“小さな国家”派ではあるのですが、リアリズムとして税収と再分配の方程式を変えるしかないと思っています。

 

 

 本日はここまでです。Social distanceを“テクノロジーの勃興だ”のようにキラキラと捉えることも出来ますが、判子騒動にしろ日本の場合は、根幹の課題について議論がなく、言葉だけが先行してしまっています。雇用体制や社会システムが急激に変化することで、テクノロジーに知識や経験、金銭面で届かない層が孤立する社会に向かっているように思います。

 政府はテレワークを要請するものの、お子さんが在宅では仕事にならない人も多いでしょうし、逆にオンライン学習を小さなスマホ画面で何時間もしなければならない子供と、大画面にミラーリングする子供では効率が大きく変わって来るかもしれません。子供の学力と国力が比例することはプロイセンの時代から知れたことですし、少子高齢化で実経済が落ち込む日本にとって仮想需要は経済成長の突破口でもあるでしょう。そう考えると、DXのポジショントークに囚われずに早期の課題解決へ議論を広げたいものです。

 

 

 

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