勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

”イシューがTwitterの果てに「国民感情が引き起こす作用」3/4”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。今回は、Social distanceによる作用として[五感的解像度とテクスチャー]をテーマに綴ろうと思ったのですが、パチンコ騒動や疫学者以外は発言禁止といったような、言論の混沌化が気になり、そちらについて綴ろうと思います。

  近頃Twitterでは、各方面の専門家、政治家、一般ユーザーなどが要り混じり”玉石混交”な議論がなされるようになりました。これは以前まで、感染症への恐怖心が強く”兎にも角にも自粛”といった論調から、迫り来る経済への不安や医療崩壊を前に、国家システムや、各種制度欠陥など”現実的な課題”が浮き彫りになってきたからでしょう。未知だからこそ、一辺倒な政策であっても迷いなく享受できましたが、自身の生活に関わることとなれば、話は別といったところでしょうか。私はこの現象を、ある一面では歓迎している反面、ある一面では心地よくない気持ちを抱いています。

  感染症は疫学の範囲だけではなく、紛れもなく社会全体の課題です。このような多角的視座が必要な”社会課題”を解決するに当たっては、疫学的知見は当然ながら、医療そのものや、社会学、経済学、政治、法律、科学、文化、ICT技術など、数多くの知見を持ち寄ることが重要となります。その意味では先の”玉石混交な状態”も歓迎したいと考える側面です。しかし、各種専門家が提議する問題のコンテクスト(文脈)を置き去りにして、違う分野に持ち込み、発信者の意図とは異なる点で論争を始めてしまうのは、些か”不毛さ”を生むのではないか、と感じてしまう側面があります。特に、マウンティングやポジショントークの伴う議論は、認識の齟齬(そご)を埋めることなく、終わってしまう傾向にあるので厄介です。
 

 文字数制限のあるTwitterでは限界もありますが、こんな時だからこそ私自身を含め各々が、コンテクストを共有し、齟齬を埋め合うような議論を心掛ける社会でありたいと思います。今回は"イシューがTwitterの果てに"失われないよう、問題の前提や本質を分析したいと思います。

「COVID-19 国民感情が引き起こす作用」3/4

第1項 "政策決断に於ける3指標"

第2項 "ディストピア的出口戦略"

第3項 "イシューがTwitterの果てに"

第4項 "自粛という延長と延命の狭間"

 

 

■前提とされる”KPI”
 やはりコロナショックのポイントは”長期化”でしょう。経済活動の自粛も、医療体制、教育体制も個人のQOLも、耐えられないことは明白です。つまり、医療現場の設備拡充と、感染症対策の徹底、ピンポイントでの自粛(公的支援込み)、経済の自走化が最終的な目的地となると考えられます。この軸から外れて”過度な自粛”や”身勝手な活動” ”無策な自由経済”を持ち出すと、目的地を見失い、不毛な議論になってしまいます。

  まず、今回の最大の懸念材料は感染による死者数ではなく、医療崩壊による死者数です。なので、自由経済などではなく国策として民間企業を用い、備品の増産、省人化システムの導入、観光や飲食など余剰人材の活用を早期に進める必要があります。ここを崩してしまうと、社会不安に繋がるので、経済対策を行っても意味がありません。一時的に感染者数が減少したとしても、2次、3次があると想定し、医療機関の拡充は必須です。同時に感染症対策として、キスやハグ、身体の密着など性行為に準ずる接待を伴う業種、換気やSocial distanceの維持が難しく飛沫の可能性がある業種など、発生事例を元に、感染リスクのリスト上位に入る業界は公的支援と抱き合わせで規制が必要でしょう。現行法に触れる可能性がある業態であれば、支援なしでの封鎖もあり得ると思います。

  この”感染症リスクのリスト”は不確定要素がある以上、絶対値ではありませんが、疫学的データがある程度出てきた現在では、制作は可能だと考えます。後は、地域間の取り組みで、ピンポイントの都道府県で対策を行うのではなく、広域連合として取り組むことが重要となります。これにより県外への移動を規制し易く、医療リソースの共有にも繋がります。その上で、社会全体が手洗い、アルコール消毒、マスク、Social distance、テレワーク、時差通勤、キャッシュレス、体不調での外出自粛を徹底的に行うことが求められます。行政のIT化を含め、ここで不足するリソースには公的支援が必要となる可能性があります。

 

 これらの対策により、冒頭で提案した経済活動の自走や、医療体制の確保も実現可能ではないでしょうか。勿論、この対策には性善説的希望は存在します。しかし、社会は常に”法律を守る”という、国民の善意に委ねられており、それはコロナ禍でも同様です。ここで重要なのは、規制を逸脱する、感染症が発生する、新たなリスクが発見されるなど、事態が変化する中でその都度、柔軟に対処する姿勢です。ゼロリスクを軸に一律でコンセンサスを取ることは、民主主義の根幹でもありますが、有事の社会では現実的ではありません。規制と緩和、選択と集中、Trade-off、このようなメリハリと柔軟性がなければ社会は成立しないものです。

 

 

■イシューがTwitterの果てに
 ここまでの内容が、不毛な議論を避けるための基本的な前提であり、必要な共通認識となるでしょう。次は、前述の対策を行うに当たっての問題点です。例えば、財源問題、医療品への審査基準、自粛(規制)への権限と責任の所在、私権の制限範囲、感染症対策の具体的規則、判子や個人情報保護の問題などが挙げられると思います。この辺りが昨今、識者の間で衝突している課題です。パチンコ騒動などは正に”自粛(規制)への権限と責任の所在”と”私権(又は人権等)の制限範囲”でしょうし、公的支援は”財源問題”であり、過度な自粛は”感染症対策の具体的規則”です。

 つまり、前提の出口は決まっているのだから、これらの問題についてピンポイントに議論や批判を行うことが重要なのです。パチンコの違法問題やギャンブル依存症、外資や警察との癒着などは根本的な課題とはまた別のことです。

  パチンコ騒動では特措法で店名公表の権限がありますが、同時に責任と私権(人権等)の問題も発生します。権限があるので私権を蔑ろにしても良いのか、というとそうでは有りませんし、私権を守るために感染症リスクを放置しても良いのかともなりません。感染症リスクには、一般の意見ではなく専門家と議論し、前述のTrade-offを用い政治的に総合判断が必要です。合理的根拠もなく、一企業を名指しすることは社会的倫理観を損なう恐れがあります。また、自粛を強要するのであれば補償など責任を明確にしなければなりませんが、地方の首長にその責任を持たせることには疑問が生じます。本来、議論される課題は、こちらではないでしょうか。この軸がぶれているのでTwitterでは、コンテクストが噛み合わない状態にあります。

  民主主義ではこのように多用な視点が生まれる反面、目的以外の課題にも広がり、往々にして話が進まないことが起こります。だからこそ、私を含め各個人が、本質にあるテーマを理解し、議論することが求められるのです。法改正を含め、財源問題や規制基準なども、この”本質”を意識して考察を行いたいと思います。

 


 今回はここまでです。今回このテーマにした理由は、現状のSNS空間を見ていると、医療従事者への差別があるように、抗体検査が広がった先に”抗体差別”が発生し、それが社会進展への障害となるのではないかと懸念しているからです。そうならないためにも齟齬を埋め合う過程で論点整理を行いながらコンテストを読み取っていきたいです。

 

"イシューがTwitterの果てに消えてしまわないように"

 

 

 

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"ディストピア的出口戦略「国民感情が引き起こす作用」2/4"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。先週は小池都知事の記者会見、安倍首相の記者会見と、注目すべきポイントがいくつかありました。小池都知事に於いては”ロックダウン”にも言及していましたが、実際のところ検証はされずに言葉だけが一人歩きをしている印象でした。豊洲問題を彷彿とさせた方もいたのではないでしょうか。安倍首相の会見では可能な限り明確に現状について言及していた印象です。”自粛”に対する補償不足批判も重々承知の上でしょうが、現行システムではあのラインがギリギリの表現だと思います。ただ、一点だけ気がかりな部分として、自粛に対する医学的知見を共有して頂きたかったです。当然、"これならOK"と線引きを行うことで、本来は外出禁止にしたいという思惑から外れてしまうので、仕方がないのですが、政府の正式見解として確りと時間を割き共有することで、過剰な不安心理を取り除けるのではないかと思いました。
 さて、今回は前回に続き”国民感情の作用”について考察を行いたいと思います。

「COVID-19 国民感情が引き起こす作用」2/4

第1項 "政策決断に於ける3指標"

第2項 "ディストピア的出口戦略"

第3項 "イシューがTwitterの果てに"

第4項 "自粛という延長と延命の狭間"

 

 

国民感情の作用
 民主政治国家として”3指標(外交、経済、国民感情)”を越える決断を下すことは簡単ではありません。特に”国民感情”は選挙制を採用する以上、政策決定で無視をすることは出来ません。にも拘らずその質は、メディアやSNSのノイジー・マイノリティーやデマのようなネガティブなものに流され、不安心理を無作為に高めてしまう傾向にあります。近年では、ネットの発達と共にその不安心理が、”国民感情”としてより広く伝染してしまっています。勿論、全てのメディアに問題があるとまでは言いませんが、メディアの視聴率重視の経済システムや歴史的に不安を煽る傾向を鑑みると、国民感情に及ぼす影響で多くの問題を孕んでいると、言わざるを得ないでしょう。例えば、今般のマスク問題やトイレットペーパー問題は、メディアの不安心理に晒された”国民感情”が引き起こした作用です。他にも、休校中の職員が外で遊ぶ子供達に”外出禁止”を促したり、まさかの”家庭訪問”を行ったりしてしまう事例までもあります。この点は政府の方針が伝わってないことに問題もありますが、人間は往々にして合理性の無いデマだと理解していても、高まった不安の中では、秩序を失ってしまうものです。だからこそ、メディアでの過剰な報道内容や過剰すぎる自粛論には気を付けなければなりません。
 
 このように、健全とは言い難い”国民感情”が強まれば冒頭でも触れた通り、政治へポピュリズムの力学が働くこととなります。それは、突然の一斉休校やイベントの一律自粛など、経済も外交も置き去りにした”ドラスティック(過激)なパフォーマンス”へと政府を導いてしまいます。ここでの問題は、結果論として対策が良かった悪かったと言うことではなく、前項目での”Trade-off”すら十分に考慮されずに国民感情の悪化が政策を動かしてしまったことにあります。小池都知事の会見でも根拠や実行性のない”ロックダウン”なる言葉だけが語られ、国民感情に寄り添うドラスティックな決断を演出しました。

 

 今、ニュースを観て不安に感じる気持ちは理解できます。しかしそれは、飽くまでも感情であって、政治的合理性や、医学的な根拠でもなく、対策とは分けて考え、発言し、行動しなければならないのではないでしょうか。特に今後はワクチンが量産されるまでの長期間に亘り、この病気と共に社会活動を行わなくてはならないのです。だからこそ”煽られた感情”ではなく、その国ごとに適した内容で持続可能な対策を許容していくことが私達にとって重要な”対策”であり、政治を正しく導くには冷静な国民感情ではないでしょうか。


■ディストピア的出口戦略
 Twitterでも投稿しましたが、現状に於いて憂慮すべきことは”出口”を何処に定めるのかです。ここを押さえておかなければ、ディストピア的選択を国民全員が迫られることとなります。勿論ですが治療の視点で、明確な出口は難しいでしょう。しかし対策の視点では、現実的に考えられる1つのケースとして、重症者の増加が急激にならないように、医学的根拠に基づく公衆衛生対策と医療設備の補強を行い、(最短で1年半程はかかるとされる)ワクチンや他の効力のある薬品を用い、徐々に集団免疫へと導くというシナリオが想定されています。これは例え、一時的に国や地域を(可能かは別として)封鎖し、外出を禁止したりと短期的な大胆な対策を取ったとしても、先に上げた長期化が想定されるシナリオの中で継続させることは現実的に難しく、どのタイミングで、どのような形で、緩和するのかという出口を構築することは必ず求められるのです。

 

 但し、長期化へ向けた出口戦略の議論を躊躇させている”人命より経済優先か”とされるロジックには罠が潜んでいます。医療としては、全面的な長期封鎖が望ましいところでしょうし、当然”人命第一”であることには変わりません。しかし、それを踏まえた上でも、ここで示す”現実的な”出口戦略とは、直近1~2年(ワクチン製造期間を根拠とする)の感染者数と経済減速を如何に緩やかにするのかがポイントとなるので、医療にせよ、経済にせよ、どちらが優先かではなく、人権の問題として感染による逼迫か、経済による逼迫か、それを選ぶようなディストピア的出口戦略を国家が国民に迫るべきではないのです。この長期化が前提であることを理解せず”人命より経済優先か”とするロジックにはまってしまうと、現状の国民感情がそうであるように、批判合戦の世論や責任逃れの政治、ポジショントークのメディアなど、ディストピアが世間に渦巻いてしまうでしょう。このような状況をさせる為にも、出口戦略を構築しておくことが重要なのです。

 

 しかし、本来この医療と経済のバランサーを担う国家が、法的根拠やシステム上の問題、必要以上に煽られた国民感情によって、出口を定められない状態で大胆な対策だけをとってしまっています。それは、何処までの自粛を行い、何処までの経済活動を行い、どの程度の感染症を許容するのかを“国民頼り”にしているということです。これでは日本人の悪平等意識が強く経済合理性を嫌う価値観の元、ディストピア的選択になってしまっても仕方がありません。つまり、少し乱暴な表現になってしまいますが、出口戦略を構築すべき組織が機能不全を起こしている限り、永遠と経済も医療も逼迫した状態を繰り返し、国民の不満は高まり続け、国力は著しく低下していく可能性を内包しています。

 

 だからこそ、せめても私達国民は過度な不安に煽られず、悪平等意識による“弾圧”をするのでもなく、医学的対策を無視した“身勝手な高リスク行動”や“陰謀論”に流されるのでもなく、社会全体が少し冷静になって、"長期的に持続可能な社会活動をどのように構築するか" を考えることが、求められています。

 

 繰り返しになりますが、長期化が現実問題として存在する中で、ポジショントークとは分け、現実的な出口戦略を意識しなければ自らディストピア的出口へと向かうだけでしょう。

 

 

 本日はここまでです。冒頭の小池都知事がもたらした”国民感情”がどのように作用したのか、単に自粛ムードになって良かったと結果論に考えるのか、不要な買い占めが起こり必要以上の混乱をもたらしたのではないか。そして、その不安心理が高まった国民感情が、国民自らを”ディストピア的出口”に向かわせてはいないのか。必要な自粛や対策は重要ですが、長期的な社会構成を元に、補償や経済自走も考えていきたいところです。

 

 

 

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"140字では語れない、飽和する解説コンテンツから"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。今回はnoteの開設をしましたので、そちらの紹介文を掲載します。noteでの第一回テーマは”神道の根幹概念解釈”を予定しています。 

 今般世界は、通信インフラの安定化とデバイスのコモディティ化によって、幅広い世代がシステムの恩恵を享受することとなりました。その為、学習や情報収集のツールが従来の電子版を含む新聞や書籍から、YouTubeやTikTokのような動画サービスへ移行し、SNSで簡単に手に入るようになりました。情報の価値が下がり、時間の価値が上がっている現代では、アカデミックな学習が必ずしも必要な訳ではなく、要約として、情報キュレーションとしてのサービス発展は当然の帰結だとは思います。特に、学習のきっかけや大きな枠組みを理解する上では最良のコンテンツではないでしょうか。


 しかし、”原液を薄めた情報”は点と点の結び付きという情報本来の価値から切り離され、内容の如何によっては”安価のもの”として副作用も現れます。例えば、CVID-19(新型コロナウィルス)のトイレットペーパー騒動やマスク問題など、必要以上な過剰反応であったり、中田 敦彦さんと飯山 陽さんの問題(オリラジ中田の動画に専門家が「デマです」 視聴者は「またか」 - ライブドアニュース)など、前者のような明らかな誤情報から、後者のようなミスリードなどが発生してしまうケースです。中田さんの件では、コンテンツとして然程問題はないのですが、短時間でマス層に分かりやすく説明しようとすると、専門家にとっては”言葉足らず”になってしまいまう傾向があります(私個人としては、テレビ放送でもないマス向けのコンテンツに専門家が言葉尻で批判することは、些か言葉狩りが過ぎるように思ってしまいますが)。この2点の問題はタブロイド紙やワイドショー時代から存在する問題ですが、現代ではネットの普及によって、大量に素早く拡散されてしまっています。このような状況下で、手軽で分かりやすいコンテンツをより有効活用し尚且つ、誤情報に流されない為にも、専門性のあるコンテンツを併用することが必要だと考えています。

 今回のnoteでは、巷の情報コンテンツや私自身のブログ(勾玉日記)、Twitter(黒川 和嗣@kkazushi_jp)を補完する形で、アカデミック程ではありませんが、少し専門性を高めた内容を取り扱っていきたいと思っています。特にブログでは政治、経済を軸に考察を行っていますが、noteでは”神道”などCultureや社会問題をテーマに考察を行う予定ですので、”政治・経済”の点と”文化・社会”の点が繋がるのではないでしょうか。

 

 この、情報が溢れる世界で、あなたと”140字”では触れられない少し深みを覗き、新たな価値観の共有が出来れば幸いだと思います。

 

 

 

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"COVID-19 国民感情が引き起こす作用 1/4"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。今回はCOVID-19(新型コロナウィルス)に関連した考察を行いたいと思います。ただ、医学的な知見やFinanceなどに関しては各専門家が既に取りまとめて下さっているので、ここでは視点を変えて政治、経済を軸に”国民感情が引き起こす作用”について考察を行います。

「COVID-19 国民感情が引き起こす作用」1/4

第1項 "政策決断に於ける3指標"

第2項 "ディストピア的出口戦略"

第3項 "イシューがTwitterの果てに"

第4項 "自粛という延長と延命の狭間"

 

 

■政策決断に於ける3指標
 国民感情とは、政府が決断を行うときに影響を与える、外交、経済と並ぶ謂わば”3指標”の1つです。この中でも”国民感情”は歴史的に有事の際に作用し、政治的合理性を逸脱した政策決定を政府に迫ってしまいます。今回のケースで考えると初動に於いては、中国との”外交”、そしてインバウンド需要の”経済”を軸足として置いていたことが伺えます。特にインバウンド需要の増加を前提として増税に踏み切り更に、中国との友好化を海外需要のアンプリファイヤー(増幅装置)として成長戦略を構築していたので、文字通り”出鼻をくじかれた”状態でしょう。長きに亘り内需頼みだった日本経済は少子高齢化により行き詰まり、2020年から本格的に外需を取り込む政策へ一気にシフトする最中でしたので、泡を食っても仕方がないところではあります。

 そして次に入港を許してしまったDiamond Princess号では、後の情報を鑑みる限り外交的処置は行ったものの、医学的処置は現場での判断として扱われ、政府としてのコミットメントは高くはなかったのではないでしょうか。医学的な情報が少なかったこと、受け入れ体制の確保が困難であったこと、多国籍の外交問題であったことが要因のように思えます。本来であれば”医療の知見”を優先すべきでしたが、ここでも”外交”を選択せざるを得ずその結果、神戸大学医学部の岩田 健太郎教授を通して国内外へ”日本の対策不足”を発信されることとなってしまいました。ここから、政府の動きは徐々に”外交” "経済” から”国民感情”へと移行することとなります。

 

■"Trade-off"の現実
 この初動とDiamond Princess号の問題が、自民党の支持層とマスメディアに”不信感”として広がり始めると時を同じくして、日本で初の死者や渡航歴のない感染者が発生してしまい、不信感から恐怖へと変わり”国民感情”が政治へ影響を及ぼすまでとなります。これまでが最適解であったかは別としてもある種、政治的合理性の中で対策が決定されていました。しかし、国民感情が連日マスメディアの報道によって”果敢な対策”を求めるようになるとその圧力が作用し、イベントの自粛要請や全校休校など大規模な対策を行い、実経済を置き去りにしてしまいました。

 そもそも日本の課題として扱われだした頃から、マスメディアを始め多くの論調は”海外との渡航停止処置”でした。この類いの処置には海外由来の問題対処として一定の成果を上げるので、私自身もその論調には賛同します。しかし、飽くまでも”最初期”の段階で”迅速に”行うことを前提とします。何故なら、既に感染が拡大している状態では、さほど効果が期待できず、それ以上に関連事業(今回は観光業)への損失が大きくなってしまうからです。これは費用対効果、つまり”Trade-off”の関係で、どちらを選択すべきかということです。特に疫病では、終息に長期間必要とすることが多く、エコシステムを先に止め、医療のリスクヘッジとコスト算定を全力で行うことで経済的損失が発生したとしても、回復フェーズへの移行判断を、素早く行うことが可能となるからです。ただ残念ながら、今回は先に経済や外交が優先され、医療が後手に回ってしまい、国民感情の悪化と共に経済の首もゆっくりと閉めることとなってしまっていました。

 

 今般、国民感情に煽られ過度な自粛ムードが強調されていますが、"Trade-off"の観点で考えた場合、果たして経済を大規模に、そして長期的に痛める必要があったのか、国民感情に内包される”恐怖”は連日のメディアにより形成された”目に見えない”ものではないでしょうか。過度な自粛による経済損失は一部事業者や労働者の経済活動を破壊し、破産による自殺率や失業率を大きく高めてしまいます。勿論、病気による死亡者数を持ち出し何%だから良いなどと、人命を数値で切り捨てたくはありませんが、ゼロリスクは存在しない世の中で、これもまた経済的死亡者と病気による死亡者の"Trade-off"であることを自覚し、メディアは情報を取り扱い、個人は発言をしなければならないでしょう。

 少なくとも、私達は何と"Trade-off"をしているのかを、意識しなければなりません。

 

 今回はここまでとします。政府の対策は必ずしも正しい訳ではありませが、短絡的な保身や"何も考えていない"とも言えず、多くの場合は一定の政治的指標、"決断に於ける3指標"に従って判断されている事が伺えたと思います。そして選択を迫る時は必ず"Trade-off"も発生し、何かを促す時に何を失うのかコスト算定を丁寧に行う必要があるものです。

 次回は出口戦略をテーマに"COVID-19 国民感情が引き起こす作用"を考察したいと思います。

 

 

 

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"Carlos Ghosn氏と司法制度の本質"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。年の瀬からここ数日、SNSやマスメディアでは "Carlos Ghosn氏逃亡"についての報道で過熱しています。しかし、そこで議論がなされている多くは、"逃亡が犯罪である"ことや"逃亡の方法"、"関わった犯人探し"が主であり、"何故このような事態になったのか"  "この事案が与える影響"など、問題の本質が未整理のまま進められています。このポピュリズム的な"誰が悪いのか"とする"推定有罪報道"は他の事案でも往々にして行われ、謝罪会見や辞任、社会的追放といった抜本的解決に繋がらない形で結末を迎えるものです。ただ今回は国内だけの問題ではなく、国際的企業の外国人経営者が対象となった為、罪状の真偽は別として"推定有罪"扱いが国際社会に露呈し、日本市場の信用問題にまで発展してしまいました。本日は、この国際問題に留意して考察してみましょう。

 

「日産がもたらした司法制度の闇」1/2

第1項 "国際社会に発信された「日本司法の闇」"

第2項 "Carlos Ghosn氏と司法制度の本質"

 

■問題の発端
 この問題は18年12月の当ブログ【国際社会に発信された「日本司法の闇」】としても触れましたが、根底にあるのは日産の"コーポレート・ガバナンス"です。社内調査、取締役会の機能不全そして、捜査当局の介入や朝日新聞の先行取材、連行直後の日産による会見など、Carlos Ghosn氏の疑惑について真偽を問う以前に、企業の健全性と特捜の捜査手段に問題を感じてしまいます。少なくとも、日産の一部役員と特捜による社内問題への"権力介入"であり、事実上の"追い出し"と指摘されても、仕方がないのではないでしょうか。
 日産とRenault(Carlos Ghosn)の関係性が、通常の企業手続きでは対等な取引が出来なかったにせよ、財務更正の歴史も鑑みてコーポレート・ガバナンスで対応する事案だと考えます。

 

■日本の司法制度
 国際社会で問題とされるのは大きく分けて二つです。一つは"司法取引"による問題で、日本の制度は"捜査・公判協力型"とよばれ、"捜査に有益な自白を行えば罪に問わない"としており、捜査当局が対象にした人物や組織を捕まえる為、その部下や関係者に自白を迫るものです。これに対し米国は"自己負罪型"で”自身の罪を認める事"までも対象としているので、部下や関係者だけではなく"自身"も自白による減刑が可能となっています。自身が自白するのかは別の問題としても、米国の場合は減刑の機会が平等に与えられていますが、日本では一方通行な制度と言えます。
 そして次に”人質司法”です。”人質司法”は制度ではありませんが、逮捕状と勾留状に基づく計23日間しか同一容疑で取り調べが出来ないにも関わらず、自白をしない場合は”別件逮捕”などを用い長期間身柄拘束を行う事を指します※1。当然ですが自白がなければ、証拠隠滅の恐れがあるという理由により、保釈もされる事はありません。また、日本経済新聞の記事 "海外から「異質」に映る日本の刑事司法制度"に分かりやすく纏められていますが、他国で認められる”取り調べの弁護人立ち会い”が日本ではありません。

 このように"推定無罪"であるにも関わらず、一方通行な司法取引が行われ、弁護人が不在の中、長期的な身柄拘束によって自白が迫られていることが実情なのです。

■問題の本質と対応
 多くのメディアでは"逃亡が犯罪2である旨が強調されていますが、先にも述べたように問題の本質はそこではありません。勿論、保釈条件と出入国管理法違反に相当するので、罪に問われて然るべきですし、入国管理庁の検査体制と幇助した(Carlos Ghosn氏を含む)組織が安全保障を脅かす大きな問題であることは事実でしょう。しかし冒頭でも触れたように不法出国や罪状の真偽そのものは、切り離して議論されるべきです。
 今回の問題は徹頭徹尾、日産(国際的な日本企業)の企業問題に、検察権力が介入し、時代錯誤な司法制度で外国人経営者が人権を侵害され生じる"日本市場への不信感"が焦点にあります。そして更にCarlos Ghosn氏が逃亡したことより、この問題が国際社会へと発信されてしまいました。この結果がもたらす代償は、想像よりも遥かに大きいでしょう。何故なら、"外国人経営者は不当な扱いを受けるのでは"と、人材や資本の日本参入へネガティブな影響を与える恐れがあるからです。内需が先細りする日本にとって外資や人材の流入がどれ程重要かは言うまでもありません。この事を鑑みて、日産や司法当局、マスメディアは、罪状の真偽だけではなく"司法制度"について、国際社会へ明確に情報を発信しなければなりません。また、外圧によってでも現行の司法制度を見直す議論を深め、取り組む必要があるでしょう。
 テクノロジーの発達により、技術や市場だけではなく世界の金融、国家システムまでもシームレス化が加速する現代に於いて、国際社会との対話は日々重要性が増しています。司法のようなドメスティックな制度でも同じ力学が働きます。それを踏まえた上で今後、Carlos Ghosn氏の行動を注視し、国際社会へ向けての"対話"を務めていくべきでしょう。

 本日はここまでとします。今回はCarlos Ghosn氏の問題を取り上げましたが本件に限らず、日本は如何せんドメスティックに向かう傾向にあります。経済では既にグローバル競争に晒されていますが、政治や制度設計ではまだまだ対応が進んでいません。今般は内向きのシステムであったとしても、国際的な多角的観測を用いて、再構築する事が求められているのです。

 

 

 

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Photo: Bill Oxford

kazushikurokawa.hatenablog.com

 −参考−

※1人質司法 - Wikipedia

"グローバル化からシームレス化へ"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。明けましておめでとうございます。2020年もよろしくお願いします。 

 SNSでも書きましたが、昨年は”取捨選択”の一年でした。それは私自身が芸術畑の出身ですので、物事には完成はなく常に新規の探求、つまり”アップデート”が必要だという事を信条としているからです。これは私生活やビジネスに於いても通じるところでしょう。
 例えば人間関係で、昔は良く一緒に過ごした知人であっても、時の経過と共に立場や価値観が変化し合わなくなるケースもあります。そんな時は無理をして付き合わずとも、一度距離を取ってみるようにしています。そうする事で、その時分に合った新しい人間関係を作る事が出来ますし、距離を取った人とも新鮮なお付き合いが出来るようになります。また仕事に於いても、長年使っていたパソコンを廃止し、タブレット、スマートスピーカ、スマホなどに移行する事で、シームレスな職場環境を構築出来るので、処理効率が向上しました。iPhoneが毎年アップデートされる様に、人の営みもアップデートを続けなければ市場原理の元、価値が相対的に下がってしまいます。

 特に現代では、”生きる事”だけを主題とした人類史が確実に終わりを迎えようとしており、人々は刺激的で新鮮な”現状を一新する事象”を求め始めています。これは政治のポピュリズム化にも伺えるでしょう。今般、世界で台頭しているコンサバティブな価値観は一見、先祖還りの様相を呈していますが、実際は世界大戦以降のシステムを否定し、新たな経済圏である中国やIT帝国とどのように向き合うのかという、新世界秩序再構成の最中にあるのです。これは人口問題や環境問題、国家運営など文明社会の基軸がテーマとして内包されており、大戦後のグローバル化を経て”シームレス化”という人類が今まで直面して来なかった情勢に移行している事を示しています。

 このように、新しい価値観に晒される過渡期では、変化の速度は非常に早く、激しくなりがちです。更に現代では、テクノロジーにより加速度が増しています。だからこそ、冒頭の”アップデートを続ける事が重要”となるのです。今年は、国家も企業も個人も、等しくこのうねりに晒される事となるのではないでしょうか。ただ、これはネガティブな事ではなく、時代の変革期にはチャンスも多く生まれますので、どの国(企業、個人)がどのような形で、イニシアチブを握るのかが重要となります。少なくとも私自身は、楽観ではないのだけれど、楽しんで現状を捉えています。

 皆さんとも、この変革への”刺激”をポジティブな事象として共有していければと、本年も”多角的”な事象観測”を元に、世界の動向を伺って参りたいと思います。

では、末筆になりましたが、改めまして本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

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Photo: Vladislav Klapin

 

"日本の成長には、左派の成熟が必須  「国際社会に於ける反日問題」6/6"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。本日は、これまで考察を行った内容をベースに今、国内外が向き合っている課題について触れてみたいと思います。  

 

「国際社会に於ける反日問題」3/6

第1項 "反日の4カ国に対抗する磐石政権"

第2項 "西洋視点に映る、米国民の命を買う日本"

第3項 "ロビー活動と戦後処理を行うための改憲論"

第4項 "反日諸国とこそ結ぶべき、国家相互依存性"

第5項 "反日の外資を日本の糧とする、個別的相互依存性"

第6項 "日本の成長には、左派の成熟が必須"

 

◼第六項 「更なる課題」
 本稿を通して「長期政権の安定」「国際秩序への責任」「安全保障の強化」「相互依存性による抑止力」など、国際社会との関係性について申し上げてきました。これらの活動は反日への対処に限らず、成長戦略としても重要な項目となるでしょう。しかし、今般の米中関係や韓国のGSOMIA破棄宣言、イギリスのブレクジット、G7の不協和音をはじめ、西洋諸国の求心力の低下などを鑑みると、「戦後秩序の再形成」という更なる課題が見えてきます。この点は個別事案のインパクトの大きさより、潮流としての現れで、戦後に形成された、人口ボーナスによる経済システムの欠陥や、東西に分ける事が出来ない中国という新たな経済圏の台頭、政治のポピュリズム化などが根底に存在します。

 特に政治のポピュリズム化は強く、国民の意識が政治へ直接的に影響を及ぼす傾向が増しています。例えば、日韓問題であっても両国の対立が激化する程、両国の政権は支持率が高くなりますし、れいわ新撰組やNHKから国民を守る党など、国民感情を代弁する政党が成立していきます。ただ、これは決してネガティブな要素だけではなく「国民が政治を意識する時代」である現れで、憲法改正や社会福祉など国民生活へ直接影響がある事案を決定していく過程では、大切な事です。
 この点で問題があるとすると、自民党に対抗する野党が存在しない事でしょう。ここでの「対抗」とは単に対立するという意味ではなく、自民党に対立する「成熟したプログレッシブ(進歩的)な政党」が必要だと言うことです。多くの政治学者や識者も同じ指摘をしていますが、全くの同感であり、戦後最長の政権が終わった後、最も重要な課題となるでしょう。

 アイチトリエンナーレや女性への性差別問題、働き方改革の裏にあるパワハラ問題、持続可能なエネルギー政策など、語られるべき事案の多さに対し、世間で取り上げられるものは感情的な部分が多く、実に結び付く部分は多く無い事が現状です。

 

 国際社会が戦後秩序の再形成という課題へ歩む中、戦後最長の政権が築いた安定感の裏で、政治的に対立する健全な国内構造を成立させる為に、「成熟したプログレッシブ」が求められているのでは無いかと、私は考えています。

 

 本日はここまでです。第六項に亘る【国際社会に於ける反日問題】は、前述の通りただ「反日への対抗」という観点ではなく、日本の抱える課題や、戦後秩序への取り組みとしても、重要なファクトとなる課題だと考えています。流動的な世界情勢の中、プログレッシブ問題と同様にこの点においても、国民生活の中で、更なる議論を深める事が求められる時代ではないでしょうか。

 

 

 

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Photo: Hans-Peter Gauster

 

"反日資本を日本の糧とする、個別的相互依存性  「国際社会に於ける反日問題」5/6"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回までは、軍事、外交、経済において、国家間の視点で考察を行いましたが、今回はもう少し範囲を広げて考察を行います。

 

「国際社会に於ける反日問題」3/6

第1項 "反日の4カ国に対抗する磐石政権"

第2項 "西洋視点に映る、米国民の命を買う日本"

第3項 "ロビー活動と戦後処理を行うための改憲論"

第4項 "反日諸国とこそ結ぶべき、国家相互依存性"

第5項 "反日の外資を日本の糧とする、個別的相互依存性"

第6項 "日本の成長には、左派の成熟が必須"

 

◼第五項 「個別的相互依存性」
 まず日本の成長課題として少子高齢化に伴い、消費者・生産者人口の減少、社会保障費の増加、再投資の流出などが挙げられます。これらの問題に対しては、勿論、予防医療やテクノロジーの活用、社会全体での生産性向上、外国人労働者の待遇問題など、多くの視点で語る事が本質的な解決策ではありますが、本稿のテーマである「諸外国との関係性」で考察するのであれば、東南アジア諸国をはじめ、諸外国との外交的、経済的接点(相互依存性)を高めることは、今後の日本社会を構築する上で重要なファクターになるのではないでしょうか。

 消費者としてインバウンドや海外市場が、生産者として外国人労働者(移民)の受け入れが、そしてこれらの経済基盤を元に、社会保障費の一部やグローバルからの再投資を補う事も可能となります。つまり、人口動態の文脈だけで語られがちですが、経済的側面でも、海外との接点は、重要度が高く、海外の資金をいかに日本に流入させるのかを考える必要があります。
 例えば、EUで取り上げられているGAFAへの課税なども参考に含まれるでしょうし、規制ではなく、日本古来のコンテンツである剣術や工芸品、日本酒や和牛などを再定義し、新なコンテンツとして輸出する事や、インバウンドの顧客満足度を向上させる事で、海外市場との接点を深められるはずです。更に、日本が示せる多きなレバレッジは、やはり「少子高齢化社会先進国」と言う点であり、その対策を諸外国へ輸出する事です。ここでは、如何にしてサスティナブルな社会システムを構築するのかが鍵となります。

 

 このように、サプライチェーンとして海外を活用し相互依存性を高めるだけではなく、資金の再投資を含め、労働者としてだけではなく、消費者や投資先として、諸外国を上手く活用する事が直近の課題解決へと繋がります。国交を断交するどころか外資を受け入れ易い環境作りや、国内企業の生産性を向上させ競争力を高め、そしてコンテンツ、サービスなどの輸出を行うことで、政治的反日ロビーと混在した状態であっても、「経済的友好関係」が抑止力として働きます。

 

 近年の国際情勢はどうでしょう。日韓関係は、元徴用工問題から貿易問題へ、更には安全保障問題にまで発展してしまいましたが、これこそ正に、本稿のテーマに至るところで、日本政府は「政治的対立としては、国際社会に帰属する国家として、毅然と対応し、貿易問題としては、相互依存性を利用し、軍事的対立としては、自国の防衛機能を独自で活用する事で、国家としての立場を明確に内外へ示す」事となります。ただ、米中の貿易摩擦が収束するどころか拡大を続けている点や韓国の北朝鮮融和政策などに関しては、少し文脈が違います。本稿ではテーマ外なので、深くは触れませんが、根幹にあるのは、戦後秩序の再形成なので、単に相互依存性に委ねるとはいきません。

 

 一概に出来ない点はありますが、反日活動に対して、ヘイトを行う事や、一般レベルで反反日ロビー活動を行ったり、ただただ感情的に国交を断交する事は、効果的とは言えず、それどころか、自国の国益を脅かしかねません。国家として、自国の国益や成長戦略を考慮するのであれば、本稿で取り扱ってきた内容が、反日への対策として、有効性を示す選択肢の1つではないでしょうか。

 

 今回は、国家活動から視野を広げ、民間の部分や成長戦略について、考察を行いました。次回は反日から少し離れて、更なる課題について簡単に触れ、このテーマを終えたいと思います。

 

 

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Photo: chuttersnap

 

"反日諸国とこそ結ぶべき、国家間相互依存性 「国際社会に於ける反日問題」4/6"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回までは「国家間摩擦への対応」を分析してきましたが、今回は「相互依存性」の側面で考察を行います。 

 

「国際社会に於ける反日問題」3/6

第1項 "反日の4カ国に対抗する磐石政権"

第2項 "西洋視点に映る、米国民の命を買う日本"

第3項 "ロビー活動と戦後処理を行うための改憲論"

第4項 "反日諸国とこそ結ぶべき、国家相互依存性"

第5項 "反日の外資を日本の糧とする、個別的相互依存性"

第6項 "日本の成長には、左派の成熟が必須"

 

◼第四項 「国家相互依存性」
 まず、国家間外交において重要となってくる項目としては、経済の相互依存性です。この点は「反日問題」を棚に上げたとしても、重要性の高い要素となります。経済的依存性が高まれば、それは軍事力以外における一つの抑止力となるからです。一方にとって外交上不利益となる事案は、米中貿易摩擦でも見られるように、相互の貿易収支や研究開発など成長戦略を鈍化させてしまいます。依存度が高い程、両国間の関係を安易に悪化させる事は困難となる事が慣例としてある訳です。

 しかし、先に挙げたように、比較的に依存度の高い米中関係で対立が起きている事も事実です。この点を鑑みた場合、相互依存性と抱き合わせで重要となってくる課題があり、それは安全保障や自由貿易などの観点です。特に中国は、国家体制として、自由経済ではなく、国策経済なので、スパイ防止や技術の軍事転用、情報漏洩などが発生する恐れがあり、強固な対策と、明確な協定が必要となるでしょう。また、中国は知的財産権の侵害などの懸念もあるので、相互企業の権利保証も重要な課題となります。現在、米国が向き合っているこれらの諸問題は、対中貿易を行う全ての国家がいつかは取り組まなければならない課題でしょう。

 

 ただこれらの交渉を進める為には、短絡的に経済依存性を高めれば良い、という訳ではなく、「軍事的背景」も当然必要となってきます。中国との外交問題は、米国だけに限った事ではありませんが、なかなか表層化し難い理由の一つとして軍事力が関係するでしょう。これは、単に「軍事力を拡大する必要性」という意味ではなく、本稿でも再三触れてきた「如何にして国際社会への秩序形成へコミットメントを持つのか」という事であり、その影響力が強いほど広範囲な経済圏を形成出来るからです。冒頭で申し上げた「軍事力以外の一つの抑止力」とは正にこういう事です。軍事力、協定、経済が一方通行になってしまうと、抑圧的で不利益な外交となってしまう事は歴史が証明しています。

 

 つまり、今般言われているような「国交断絶」や「経済活動の締め出し」、「企業活動の撤退」を行うのではなく、近隣地域の秩序形成へコミットメントを示し、自国の市場や国益を守る為の規制や協定を十分に対処した上で、経済活動の相互依存性を高める事が、国際社会での成長戦略であり、少子高齢化に伴い内需経済が停滞する日本国にとっては、重要な課題解決へと繋がるのです。

 

 今回は、経済の相互依存性を軸に、国家間での視点で考察を行いました。次回は引き続き、経済の相互依存性をテーマに、国内市場や企業間の取り組みについて考察を行います。

 

 

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Photo: tpsdave

 

"ロビー活動と戦後処理を行うための改憲論 「国際社会に於ける反日問題」3/6"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。これまでは国際社会における日本を、俯瞰する形で観測して来ました。今回はロビー活動の側面と、日本政府の対策の2面から考察します。

 

「国際社会に於ける反日問題」3/6

第1項 "反日の4カ国に対抗する磐石政権"

第2項 "西洋視点に映る、米国民の命を買う日本"

第3項 "ロビー活動と戦後処理を行うための改憲論"

第4項 "反日諸国とこそ結ぶべき、国家相互依存性"

第5項 "反日の外資を日本の糧とする、個別的相互依存性"

第6項 "日本の成長には、左派の成熟が必須"

 

◼第三項「ロビー活動と戦後処理」
 ロビー活動とは、各種受益団体が有利になる法案や規制緩和などの成立へ向けて、莫大な人材や費用を用い、影響力のある政治家や市民団体へ働きかけるものです。これが先に上げたように、国家間摩擦の規模になった場合、ロビー活動は国家単位の活動となり、発信先は自国民だけではなく、国連の常任理事国などキャスティングボードを握る、国際社会を対象としていきます。
 更に、反日のロビー活動であれば、「敗戦、脅威、無責任」を伝家の宝刀ように用い、例えば、慰安婦や北方領土では敗戦を、中国はレイシストの脅威として、北朝鮮は米国の従属国として、このように日本を扱う事で、ネガティブキャンペーンを広げます。そしてロビー先である欧米にとっては、この「敗戦、脅威、無責任」の論点は前回触れたように、非常に覆し難いものとなるのです。
 しかし日本政府はここでも、国内世論の影響を受けにくい、外交活動を勢力的に行うことで、国際社会へコミットメントを高め、「脅威と無責任」の部分を補完する対策を行っています。それは国際的イベントへのコミットは勿論、報道される事はありませんが、多くの関係議員が各国へ、外遊を行っています。反日ロビー活動に対して、必ずしも十分な対策だとは言えませんが、現状での可能な限りの対策ではないでしょうか。

 

 残る「敗戦と安全保障上の責任」問題についてですが、まず戦後(敗戦)処理に関しては、ロビー競争に持ち込むというより、国家間交渉及び国際条約で取り扱うところでしょう。先に上げたように、反日各国は日本が不利になるように煽動を行いますが、現状の日本では外交活動による信頼関係の構築が限度です。それよりも、本来あるべき姿である国家間交渉へ持ち込む事が、日本にとっては敗戦バイアスの掛かりにくい交渉となるのです。
 次に安全保障上の責任に関しては、前回の通り、再軍備化が必須となるでしょう。
 個人的には、憲法と自衛権の整合性が失われている現状において、早期な改憲が必要かと思われますが、世論の壁もあり、政府の対策としては、段階的処置になると思われます。憲法解釈の拡大を図る「追記」、次いでは憲法そのものを改定する「改憲」、そして最後に軍備化への制度設計「軍司法制度」の制定です。少なくとも、国家レベルでのロビー活動をより有効な状態で行うには、「改憲」は必要な条件となるでしょう。

 

 個別単位での情報(ミクロ観測)だと、日本はロビー活動によって、一方的に不利な状況へ追い込まれ、対策も曖昧なように映ってしまいますが、このようにマクロ観測を行った場合、日本政府は反日国家への対策を、着実に進めており、国内で「反反日」の人々が煽っている程、無秩序的危機感や増悪の助長は大きくありません。勿論、友好的な国交関係や安全保障の数値を”0”とすると、現状はマイナスではあります。しかし、そこは個別のネガティブな運動によるもので改善すると言うよりは、国家間交渉によるところで改善されて行くでしょう。

 

 次回は、これからの日本の国際的立場について触れていきたいと思います。

 

 

 

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Photo: Markus Spiske