勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

“エモーショナライゼーションされる日本「ニヒル的諦めの中で」1/3” 

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。お久しぶりです。この1ヶ月間、変異株やワクチンなど不確定要素が多い状況下で無闇な情報発信を避けて静観していました。その間、ワクチン接種は順次行われつつ緊急事態宣言は延長され、オリンピックの海外来場の中止が発表されました。

 

 恐らく政府の思惑としてはKPI(目標設定)をオリンピックの安全な開催としているので、この処置が “そのために必要” である点は理解が出来ます。また、変異株の脅威も実際のデータを鑑みれば従来のウィルスより高く、警戒が必要だと思われます。とはいえ、結局のところウィルスの撲滅はほぼ不可能である点にも変わりはなく、科学的根拠に基因しないゼロコロナ思想(過剰な自粛)が “支持できる” 状況だとも思えません。

 

 特に“命は大切だ”とするエモーショナルな論拠を用いて、自粛の問題点を議論すらさせない空気感は、厳しいようですが思考停止であると言わざるを得ません。この傾向は先の3.11でも同様です。3.11は痛ましい災害であり10年の歳月を経ても癒されるものではないでしょう。しかし、人々の心に寄り添う主張や思いも大切ですが、そればかりでは前進することが出来ないことも事実です。エモーショナルに浸るのではなく、有事に於ける統治体制の検証を議論しておく必要がありました。3.11と今回の感染症は “有事下の統治体制”  という観点では同質の問題なのです。

 

 今回の感染症もデジタル化や感染症関連の法整備など一定の改革は行われるでしょうが、数年後には3.11と同様にエモーショナルな演出で語られることでしょう。

 

 本日はエモーショナライゼーションに向かいつつある日本の国内状況を俯瞰して考察してみたいと思います。

「ニヒル的諦めの中で」1/3

第1項 "エモーショナライゼーションされる日本"

第2項 "国際社会から眺めるニヒル的諦めの中で"

第3項 "自走力が変化の世界線で唯一の価値となる" 

 

■ニヒル的諦めの中で何を残すのか

 3/21に緊急事態宣言解除の方向性が示されましたが、解除の指標が医療の逼迫度合いであるのであれば医療体制の改革(介入)は必要な筈です。ただ、医療体制をドラスティックに改革するには政治的調整や物理的問題、法的問題など幾多にも及ぶ障害があり、現行の統治体制では不可能(正確には、行うだけのインセンティブが政治家にはない)との判断なのでしょう。この判断を前提とした場合、世論や受益団体とのバランスの中で現実的な方針とは、国内観客を動員するオリンピックをKPIとして、温暖な気候(春先)になるまで規制を緩やかに持続させつつ、ワクチン摂取を最大限に広げることです。

 

 しかしこの道筋は問題を抜本的解決へは導かず、応急処置的な対策でしかありません。温暖な気候でもウィルスの活動がなくなるわけでもなく、ワクチンも重症化の防止や発症リスクを低減するものであって治療薬でもありません。

 

 ただこの1年間、本ブログでも感染症について取り上げてきましたが、政府の政策方針やメディアの報道姿勢、世論を取り巻くエモーショナルな空気感を見ていると、この曖昧な政策が落とし所でもあるように思います。ニヒルに浸るきも有りませんが、感染症対策としての枠組みではこれが “現状の” 限界でしょうか。 

 

 この過程に於ける国民の犠牲は“果断なる決断の結果”として美辞麗句で語られ、命を守るために仕方がないとされつつも、時が経てば格差として負の遺産の道をたどることとなります。

 

 諦めにも似た空虚感がどこか漂う中で、今後を見据えてエモーショナルではなく現実的遺産を残す必要があります。それはワクチン接種の推進と国民IDアプリの展開です。

 

■ワクチン有害のイメージを捨てるチャンス

 これからメディア報道で注視が必要なのは、ワクチンの副反応に対する恐怖扇動です。感染症の恐怖扇動が始まった段階から指摘されていたことで、感染症の過度な自粛を扇動すれば経済的格差が広がり、格差が広がれば給付金を求める政権批判の扇動が強くなり、ワクチンや治療薬が完成すれば副反応への恐怖扇動へ移行するというシナリオです。実際に概ねこの通りのシナリオに沿って報道が展開されています。

 

 今回はこのシナリオの是非は問いませんが、ワクチンの副反応について恐怖扇動に騙されずに精査することは重要な課題です。

 

 アナフィラキシーの発症も約22万人の接種者に対して約36件(3/11現在)という数値になり、相対的にこの数値が高いのか少ないのかでいえば、100万回あたりの割合に換算すると米国での発症頻度と大差はなく今の数字だけ切り取って “日本が多い” との認識は誤りとなります。※1また、アナフィラキシーは場合によっては命の危険に関わる副反応ですが、接種会場のように医師や医薬品が適切に準備さている環境下では過度な心配は必要ないとされています。※2

 

 もちろん、ゼロリスクは存在しませんので引き続き注視は必要ですが68カ国が承認をし、国内で約22万人が接種を受けているワクチンを数件の副反応を元に恐れて拒むことに合理性はありません。特に公共衛生の観点からは、マスク会食や時短営業よりも遥かに重要な貢献となるのではないでしょうか。そもそも、現代のワクチン精製技術は過去のものとは大きく異なり、精製度や治験レベルも高く、個人的持病や体調を除けばリスクよりもワクチンの有効性が優位になるケースは多い筈です。

 

 これを機にワクチンのリスクと有効性を正しく理解してもらい、予防医療としてインフルエンザワクチンをはじめ、HPVワクチンなど、各種接種のハードルを下げることは将来の “遺産” になるでしょう。

■感情と科学の究極的世界線

 続いては前回も触れましたが国民IDのデジタル化についてです。現在使用されている自治体や各省庁のwebシステム及びアプリケーションを統廃合してヘルスケア情報、社会保障情報、資産情報などを一括管理できる “スーパーアプリ”化 を行います。これは脱税防止や行政処理費用の削減、社会保障のレコメンド機能、予防医療へのインセンティブ付け(予防行動に対する還元など)が可能となることから、財政面でも国民の生活面でもプラスに働くことは明らかでしょう。

 

 ただ、ここで問題になるのはセキュリティー面ですが、この点に関しては “これを行えば必ず安全” という魔法の処置は存在しないもので、システム構築の際にどれだけのリスクヘッジを行えるかにかかってきます(アナログでも同じことです)。

 

 そのシステム構築に於けるポイントは大きく分けて、1,ITゼネコンとの決別、2,適正な予算、3,人材の一本釣りでしょう。1と2は同じ問題で、専門家の方々からも再三指摘されているように、大手ITゼネコンは要件定義書や仕様書のみを作成し、実際の業務は孫請けや曽孫請けが行う体制なので、COCOAのように致命的なシステム欠陥を生じさせる可能性があります。

 

 予算面でも、仕様書ありきのプロジェクトは ”何を作成するか” 以前に予算や委託先を決めることとなり、必要以上に予算が多額になりますし、前述のように下請けに流せばその分さらにコストも増えます。また、分離発注でも一括発注でも下請けに分散する発注方法では保守の要であるフィードバックが滞ってしまうリスクも内包しています。正にデジタル化で生じる問題の多くがこの “ITゼネコンとの関係性” に集約されているともいるでしょう。

 

 3の人材に関してですがここはセキュリティーにも大きく関わる点です。次期デジタル庁では先のゼネコン委託を問題視しプロジェクト毎にチームを組むとしていますが、こちらは人材流出のリスクが高く、システムの脆弱性に繋がる可能性があります。この点を補うために全体をマネジメントする人材、ベンダーのシステムを評価できる人材、そしてセキュリティー管理を行う専門部署を設けることが要となります。

 

 巷ではDXがバズワードとなっていますが、ハッカーにとっては脆弱なDXほど嬉々とするものはなく、下手に自前主義でセキュリティー関連に手をつけるのではなく、そこには実績のある専門組織(企業やチーム)に委託する必要があります。無闇に人材を増やさず、一流の人材を高額な報酬を元に “一本釣り” することが、プロジェクトの質やセキュリティーにとって重要な要素となるのです。ここが、デジタル化が進んだ先には優秀な人材だけが働く社会であるとされる所以(ゆえん)でもあるでしょう。

 

 最後に、コンセンサスを得れるのかです。社会のデジタル化とは、感情的な人間心理と合理的な科学の接合点で、感情と科学の究極的世界線ともいえます。合理的アプローチでは、デジタル化で削減できる費用を給付金としてインセンティブ化することと、アナログ処理にかかるコストを税金として上乗せする市場原理的アプローチで、銀行手数料やマイナンバーポイントがこれらに当たる政策です。そして感情的なアプローチですが、既に存在する感染症への恐怖やデジタル管理の必要性を上手く活用することで “ニヒル的諦めの中でせめても、残せる遺産” となるでしょう。 




 本日はここまでです。感染症問題、オリンピックのジェンダー問題、デジタルセキュリティー問題などで昨今は、抜本的問題解決よりもエモーショナライゼーションされた世界線が優先されつつあるように感じています。私が常々、思考の自走化が大切である、と指摘しているのも感情論に危機感を感じているからです。テレワーク格差などともいわれていますが、結局のところ自走能力が問われる時代になっているということだと思います。

 

 感情に逃げず、自身の頭で考えて負の側面にも向き合える人間が価値を生む時代。既にその自走の世界線に入っているのですが、巷ではClubhouseやYouTubeのような受動的コンテンツが流行し自走人材(発信者)と受動人材(視聴者)で大きく二分されつつあります。

 

 このようなエモーショナライゼーションされつつある世界線で、感染症問題についてニヒル的諦めに浸らずに何を残すのかを、議論し始める段階にあるのではないでしょうか。

 

 次回は、Quadを含め国内の俯瞰から国際社会に移りたいと思います。

 

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[黒川 和嗣(Kazushi Kurokawa)Twitter ]

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Grae DickasonによるPixabayからの画像

-出典・参考-

・NHK特設サイト 新型コロナウイルス/ワクチンQ&A アレルギーや副反応は ※1

・NHK NEWS WEB/アナフィラキシーの疑い「重大な懸念認められず」厚労省分析※2

・日本経済新聞 チャートで見る日本の接種状況/コロナワクチン

・日本経済新聞 チャートで見るコロナワクチン/世界の接種状況は