勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

“国際社会から眺める「ニヒル的諦めの中で」2/3”

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回、感染症で現行の対策が抜本的解決策に繋がらない旨を指摘しましたが、緊急事態宣言を解除後に当然ながら“リバウンド問題”が浮上することとなりました。広域連合を用いた医療体制の改善やICT技術による情報管理統一を行わない限り、国民努力だけではこれが限界なように思います。“気の緩み”との表現は合理的対策ではなく根性論ですので安易に用いるべきではないでしょう。“命が大切” “医療現場の悲痛さ” “国民の努力” “気の緩み” とエモーショナルな表現は万人に伝わり易く、それは戦時中もよく用いられた民衆扇動方法ですが、そこに浸るだけでも諦めるだけでも人類の進化は止まってしまいます。エモーショナライゼーションされる世界線でニヒル的諦めを越え、何を残すのかを問わなければなりません。

 

 これは今後、デジタル化や新制度、規制改革を行う上で常に向き合わなければならない課題でもあります。例えば昨今のデジタル化に伴うプライバシー保護問題でもエモーショナライゼーションは存在します。

 

 厳格に管理されている暗号通貨産業でも“高リスク”とされるように、インターネット上に繋ぐ限り完全にクローズドな環境はあり得ないものです。また、多くの技術者が指摘しているように安全保障や国家機密に関わる内容はP2Pのような機密性の高いシステムを用いることが概ねの技術的見解です。仮に、国会議員の方々がLINE上で機密情報を取り扱ったとすれば、それはLINE側の問題ではなく国会議員のリテラシー問題といえます。サーバーの問題も国内に設置するにはコストが高すぎる点やグローバルにリスク分散させるメリットなど複合的要素を考慮する必要があります。

 

 韓国、中国の企業だからと一概に排除や糾弾することは、本質的なリテラシー問題への議論を覆い隠すエモーショナライゼーションでしかないものです。

 

 このエモーショナライゼーションとニヒル的諦めを軸に、本日は国際社会について考察を行います。

 

「ニヒル的諦めの中で」2/3

第1項 "エモーショナライゼーションされる日本"

第2項 "国際社会から眺めるニヒル的諦めの中で"

第3項 "自走力が変化の世界線で唯一の価値となる" 

 

■感染症に残された課題

 ワクチンの供給体制やワクチンパスポートなど、制度的なテーマが注目を集めていますが、世論ではアジア人への暴力行為が大きな問題として上がっています。米国をはじめ西側諸国が対中政策で強硬姿勢を示している理由は、世論のこのような感情を汲み取っている側面もあるでしょう。

 

 ただ、前述のワクチン供給体制や医療リソースには限界があり、結局のところ感染症問題と抜本的に向き合うには、中国へのエモーショナルな対立や賠償を求める姿勢より、再発防止策を構築するための協力が重要な課題として残されています。今回のSARS-CoV-2(新型コロナウイルス)が初めての事象ではなく、2003年のSARSと類似していることを踏まえても、未然の対策構築が必須であることは明確です。

 

 もちろん、3/30に発表されたWHOの調査報告でも伺えるように、必ずしも中国が全面的な協力をするとも国際ルールに批准するとも限りません。しかし、米スクリプス研究所のクリスティアン・アンデルセン准教授(免疫学・ミクロ生物学)率いる研究論文でも天然由来(コウモリやセンザンコウなどの野生動物)の感染が示唆されており、ズノーシス(人獣共通感染症)リスクが高い野生動物との接触や接触後の検査、闇市場の根絶、危機管理体制などを整えることが求められます。

 

 中国にとって、中国起源である可能性、そして初動で中国が情報を隠蔽した疑惑追及を避けたい思惑ですので、中国の責任という視点は問わない条件下で再発防止策だけを設け、WHOによる定期的審査を行う妥協策を提案することしか、ニヒル的諦めの中で残せるものがないように思います。

 

■西側諸国の対中外交

 米国を中心とした西側諸国で対中圧力が活発化しています。しかし、前提として中国共産党が民主化することはあり得ないと再認識する必要があります。昨今の香港問題などをみていると、まるで民主化が可能であるかのような言論を見かけますが、香港は“期限付き”の自由経済であったに過ぎず、経済成長や安全保障などは元より中国共産党の傘下にあります。そして中国共産党が民主化するというのは中華人民共和国が失われることを意味するので現実的ではありません。

 

 また世界情勢の観点からも、植民地時代から冷戦時代にかけて西側諸国に属する地域は減少し、現在では西側諸国が必ずしも多数派というわけではないことも事実としてあります。このような世界情勢で西側諸国が提唱する国際秩序は“中国共産党にとって受け入れ難いもの”でしかないのです。この相容れない対立を解消するには、軸を“対共産党”から“習近平政権による共産党に置き換える”という政策が“The Long Telegram”という匿名論文で示されています。この論点は“習氏さえ打倒すれば解決する”との見方をするのではなく、“習近平政権の弁慶は習氏の権力維持にある”と考えれば現実味が帯びてきます。

 

 2018年に国家主席の任期撤廃を行い2023年に2期目が終わる習氏にとって、3期目に入るまでの権力強化は最優先課題でもあります。香港や台湾、尖閣諸島、デジタル人民元などは正に象徴的成果として是が非でも欲しいところでしょう。そのような思惑を鑑みれば、習近平氏の地位こそが中国共産党の弁慶とも言えるのではないでしょうか。

 

 ただ問題は、安全保障面です。国家体制の変更は望めない中で習近平政権に圧力をかけたとしても前述の思惑がある以上、安全保障上の解決には繋がりません。とはいえ、安全保障に関しては“ニヒル的諦め”とういうわけにも行きませんので、“第一列島線に駐在する戦力を増強する”という日本の世論が嫌う軍事的泥臭さを用いるしかないでしょう。特に安全保障の側面では国連による拘束力は実質的に失ってしまっている現実もあります。米国の外交で日本のプレゼンスが高まっているのも泥臭い軍事力の必要性が背景にあり、米国に守ってもらえるかのような受動的安全保障からの脱却が求められています。

 

 つまり、中国の国家体制改革は非現実的であり香港・台湾(尖閣含む)問題が習氏の悲願だとすれば、安全保障面では泥臭い戦力増強を行い、外交面では習近平政権を軸とした圧力を行い、レッドラインを明確化させることが“ニヒル的諦めの中で”見出せるTrade-offな政策方針かと思います。

 

■ミャンマー問題の分水嶺

 前述の中国とある種似た構造にあるのがミャンマー問題です。ミャンマー問題でも民主化か独裁化かとの議論を目にしますが、アンサンスーチー氏の統治下でも実際は軍主導の統治体制であることは一貫していました。元々、第二次世界大戦時の日英対立によって、植民地支配からビルマ国(現ミャンマー)の独立、そしてクーデターによるミャンマー建国と、軍による影響力が大きいことに由来します。また、移民や移民に伴う宗教対立などの火種を抱える側面や、抜本的な問題として民主主義を成熟させるには安定した豊かさが必要になる点などもあるでしょう。

 

 このような歴史を考慮するとオバマ政権時代に行ったように、軍部に主導権を認めつつ徐々に民主化へ移行させる他ありません。しかし、この過程で国際社会がロヒンギャを問題視してしまったことが今回のクーデターに繋がった分水嶺の一つだと思われます。

 

 もちろん、ロヒンギャの方々に対する人権問題は厳密に対処や精査が必要です。ただ、中国の感染症問題同様に、ロヒンギャ問題の追及は=ミャンマー軍の責任追及となってしまうので、感情だけで世論の圧力をかけるべきではないところです。特に、ロヒンギャ問題はミャンマー国内と国際社会との捉え方が大きく異なり、内政問題としての慎重さも必要になります。

 

 また、クーデターやロヒンギャ問題に中国が介入しているとの論点には疑念を持っています。もちろん、全くの関与がないとはいえませんが、前提としてミャンマー軍は中国との過度な依存関係も米国主導の統治も望んでおらず他のASEAN諸国同様、独立した発展を望んでいます。中国以外の周辺国にとっても、地政学的に中東からのエネルギーパイプラインを確保する上で重要な国家なので安定は必須なのです。

 

 そこで重要な役割を担えるのが日本です。日本とミャンマーは歴史的関係性も深く、何より日本企業による投資状況を鑑みれば日本の存在感を無視することもできません。経済を台無しにしてしまっていることに対する強いメッセージ(圧力)を、日本が明確に発信し、国際社会からは過去のロヒンギャ問題を免責することと軍部の権力維持を前提に解決への糸口とするしかないでしょう。

 

 当然ながら、人権、人命は最優先ですし、軍国や独裁よりも民衆に権限が委任される国家運営であることが望ましいと思います。しかし、エモーショナルな希望的観測ではなく、リアリズムを伴う“苦味”を飲み込む選択こそが、更なる暴力(軍事介入若しくは武装勢力との大規模衝突)を避けるためにも通らなければならない分水嶺となるように思います。現行では追い詰める西側諸国とASEANへの影響力駆使して取り込む中国と、代理競争状態にあり、ミャンマー国民が望む民主主義も日本の種まきも、全てが“一寸先は闇の中”です。



 本日はここまでです。国家を一丸とするためにはエモーショナルな表現が有効でしょう。それは有事の際や今回の感染症対策などです。しかし、エモーショナルに引っ張られて上澄だけを汲み取っては奥底に沈む本質を覗くことはできないこともあります。リテラシーより先にSNSが発展し情報共有手段が拡散された現代社会に於いて、政治はポピュリズムに系統していき、メディアコンテンツは分かり易さが重視され、世論は感情で審判を下すでしょう。私たちは、エモーショナライゼーションされる政治やメディアの中で、ニヒル的諦めを抱えつつ、本質を見つけなければいけない、そのような時代を生きています。

 

 次回は視点を日本に戻し、リアリズムで紐解く感染症後の社会を考察したいと思います。

 

※記事を読んで下さる皆様へ.本稿の内容に興味をお持ち頂けたなら、大変に光栄です.
有難うございます. お気軽にTwitterで交流をして下さいね.

[黒川 和嗣(Kazushi Kurokawa)Twitter ]

f:id:KKUROKAWA:20210402191249j:plain

Photo by Ben White on Unsplash

ー出典・参考ー

・To Counter China’s Rise, the U.S. Should Focus on Xi / POLITICO

・THE LONGER TELEGRAM / Atlantic Council

・2019年度の外国直接投資認可額、前年度比32.9%増 / JETRO

・国際政治論壇レビュー(2021年2月) / API 研究主幹・慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一 / Asia Pacific Initiative

・ 新型ウイルスの「研究所流出」説、証拠はあるのか? / BBC NEWS JAPAN

ビルマ国 / フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』