勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

"自走する思考を目指して"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。本日は社会課題の考察ではなく、 “自走する思考”をテーマにお知らせを少しさせて頂きたいと思います。

 

 “はてなブログ”では政治経済を軸に社会課題について考察をし 、"note"では神道や文化を軸に社会課題を考察していましたが今後は、はてなブログもnoteも同様の内容で投稿させて頂こうと考えています。私としては情報を政治なら政治、文化なら文化と線引きすることで少しでも分かりやすくしているつもりでしたが、そこには分かりやすさの反面、“情報の連続性”が損なわれる側面も存在している点に釈然としないものがありました。

 

 特に今般のSNSやメディアでの情報には懸念が多く、知識不足や誤解ではないプロパガンダ(≒世論誘導)や自己欲求(マウント)、宗教論争のような陰謀論が溢れ、世論が扇動される傾向がみられていると感じています(肌感ではありますが、皆さんも感じていると思います)。

 

 これは、SNSやメディアでの情報が“隙間時間に消費する断片的情報”となったことが一因ではないかと考えています。読み手はタイトルのみを読む場合や “考えずに情報を吸収できる”切り取られた内容(短文)を音声や映像コンテンツで呑み込み、発信者はポピュリズム的内容に切り取って断片を提供することとなります。使いようによっては時短となりとても便利な発展でありますが、間違ってしまうと前述のような本質を消失した論争に繋がってしまいます。

 

 つまり、分かりやすく情報を個別化したり薄めたりすることは、情報処理の手数を増やせても深さには繋がり難いリスクも内包しているということです。 情報を大量にインプットするだけではなく、一つ一つの情報に対して深く“自分の頭で考えること”が大切で、そうする為にも発信者が安易に情報の連続性を断ってしまっては本末転倒です。もちろん、再生回数などを消費されるだけで良いのでしたら問題ないでしょうが、少なくとも私は皆さんと一緒に思考を高めたいと思っているので私の求めるものではありません。

 

 市場経済や組織運営のみならず、情報収集ですら自走(自分の頭で考える)することが大前提である中、それは私のコンテンツが “文字の壁” である点にも繋がっています。イラストや行間を増やし、キャッチーな単語を用いれば分かりやすさは増しますが、自分の頭で考えながらでなければ読めない、というハードルを設けることも一つ重要かと思っています。もちろん、正しい情報を分かりやすく伝えることは情報伝達に置いて最も重要であることも承知しています。ただ、全てが簡易化されるのではなく文字の壁のコンテンツと短編動画でのコンテンツの両輪がなければ、片手間で何も思考せず、誤解を誤解とも思わずにハッシュタグで誰かを傷つける方々が増えてしまうように思います。



 今回は最近の引っ掛かりを吐露してしまったので、長々と冗長的に書いてしまいました。冒頭で触れたように、今後は、文化、政治、経済、技術、社会、ビジネス、と情報の連続性を重視して執筆していきたいと考えています。こちらの都合でコメントはオフにしていますが、私のようなブログを読んで下さる読者の皆様にも、私の拙い考察にツッコミを入れながら一緒に社会課題について自走して頂ければとても嬉しく思います。

 

 では、noteはてなブログともに引き続きよろしくお願いします。

 

 “思考の自走を目指して”

 

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[黒川 和嗣(Kazushi Kurokawa)Twitter ]

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