勾玉日記

黒川 和嗣のブログです。

"米国の暴動と緊急事態宣言が導く「変容する民主主義。」"

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。さて、昨年最後のコラムでは“溶解する民主主義”と題して、米国大統領選挙と大阪都構想の2つの選挙について、非民主主義国家の台頭について、民主主義の将来設計について、そして日本の民主主義を溶かす3つの幻想についてと全4項に亘って考察を行いました。これで概ね、民主主義の現状について触れることができたかと思っていたのですが、新年早々に、暴徒による米国国会議事堂襲撃という非常にショッキングな出来事と、緊急事態宣言の再発令という2つの事象が加えられることとなりました。

 

 特に米国の国会議事堂襲撃事件は、緊急事態宣言と相まったこともあり日本ではあまり大きな注目を集めていないように思いますが、民主主義国家を代表する大国の現職大統領自ら、支持層を焚き付けて国会議事堂へ進行させ、その集団が暴徒として議事堂内に侵入、破壊行為を行ったことには、西側諸国が抱える大きな転換点を顕在化した出来事でした。

 

 正に民主主義の溶解とも取れる事象ではありますがその反面、国民の自由意志、発言や行動を尊重してきた民主主義にとっては元々、内包されてきたリスクでもあります。これは日本の緊急事態宣言も同様で、“準戦時下ではない平時をベースにした対応”となってしまっている問題点は民主主義が内包する民意、ロビー団体、法的抑止力が障害となってしまっています。なので、民主主義の崩壊だと煽る必要性もないのですが、その形が変わりつつあり、民主主義の変容についての分析と議論は必要にあるかと思います。

 

 前回までの“溶解する民主主義。”では、あり方の議論について考察したので、今回は直近の事象を元に、短中期的な現状分析を行いたいと思います。

「溶解する民主主義。」

第1項 "大統領選と都構想の先に"

第2項 "環境と人権を征する中国覇権"

第3項 "江戸の匂いを漂わせる、令和版「民主主義」"

第4項 "民主主義を溶かす 3つの幻想"

 

緊急事態宣言の論点整理

 緊急事態宣言は再三触れてきたテーマなので対策や内容如何はさておき、現在の議論では複数の問題点が混在し本質を見えにくくしてしまっています。混在する問題の本質は、 “緊急事態宣言が有事(準戦時下)なのか平時なのか”、 “対策局面が感染拡大局面なのか医療崩壊局面なのか”、“医療崩壊の内訳が一部なのか全体なのか”、 “命を守る行動は若年層にとっての命なのか高齢者にとっての命なのか”、そして “感染対策目標が平時の医療を守ることなのか日本社会を守ことなのか”などです。

 

 勿論、前提として必ずしも上記の内容が対立構造であるというわけではありません。感染拡大と医療崩壊は並行して訪れるものです。但し、感染拡大局面であれば医療リソースを拡充することで負担を緩和しながら社会も自走できるでしょうし、医療崩壊の局面であれば、それは社会活動を止めるか、命のトリアージを行うこととなるでしょう。このように上記のどちら側を軸にして議論をするのかで主張や対策の見方が大きく異なります。

 

 この視点で見ると、緊急事態宣言は有事ですので、有事対応として行政は権限を強化すべきですし、本当に医療崩壊が始まっているのであれば、国民の行動規制を行うことも理にかなっています。しかし、その次の、“医療崩壊の内訳が一部なのか全体なのか”を鑑みると、日本の医療リソースや準戦時下として医療制度への介入を行っていない点では、有事対応とも呼べませんし、国民へ負担を強いるにはまだ政府の努力不足であるようにも見えます。

 

 何より、ここが一番大切でありながら論点がズレてしまっている本質なのですが、“感染対策目標が平時の医療を守ることなのか日本社会を守ことなのか”でしょう。確かに日本医師会の“行政に介入してほしくない”や“開業医の経営や従業員を守りたい”、“超法的な介入によって不用意な混乱を避けたい”などの旨も理解は示しますが、感染症対策の本質は日本の社会全体への損傷を最小限に抑えることにあった筈です。

 

 だとすれば、以前から申し上げているように、準戦時下として医療体制に行政が介入しながら広域連合を組み、医療リソースを確保した上で、局所的な国民の行動規制や指定感染症などの関連規制の緩和を柔軟に行うこと、そして無駄が発生しないワクチンのトレーサビリティーを構築し、接種奨励に向けたインセンティブ付けが必要なことでしょう。

 

 今、Twitterやワイドショーで行われる議論には、この本質が全て混在して、人々を感情論、身耳障りの良い方向か、威勢のいい方向に偏ってしまっているように思います。結局のところ、耳障りの良い命を守る緊急事態宣言などといっても、威勢よく感染症を風邪と同等だといっても、割を食うのは現役世代の若年層と重症リスクの高い高齢者層の国民なのです。

 

■民主主義のボトルネック

 とはいえ、私が愚考して提案できる程度の理論は、政府中枢でも当然ながら議論なされているでしょう。では、何が障害になって対策や情報発信が曖昧になってしまっているのかについて考察を行っておく必要があります。

 

 考えられる要素でいえば、一つ目はメディアに扇動された国民感情が圧力として緊急事態宣言や比較的強い対策に作用しているでしょう(詳細は以前の記事をご覧ください“国民感情が引き起こす作用”)。ここで注意が必要なのは、正規雇用と非正規雇用、現役世代と非現役世代、ICT(情報通信技術)企業とサービス業などでは大きく意見は異なり、一概に国民といっても全国民の総意ではありません。このバランスを取ることが政治の役割だったのですが、前回に指摘したような政治の役割が、氾濫する情報によって変容してしまった結果といえます。

 

 さらに、有権者としての投票率や組織の支持層が高齢者中心である観点からすると、命を守る行動とは=高齢者を守る行動となり、こちらもまたバランスが片方へ偏る原因となってしまっています。

 

 二つ目が、日本医師会の存在でしょう。日本医師会は日本医師連盟という政治連盟を組織しており、自民党の支持母体でもあります。これは陰謀論として“日本医師会が悪意を持って感染症対策を阻害している”というとんでも話ではなく、ロビー団体として少なからず判断への影響を持っていてもおかしくはない、ということです。日本ではロビー団体を悪く捉えがちですが、民主主義は常にどこかの組織を代表する人材が運営しているものなので、忖度やロビー活動はあって然るべきなのです。ただ、“有事”とするならばそこにも切り込んでいくべきだとは思っています。

 

 そして一番のボトルネックは“戦後レジーム”です。こちらも前回の記事で指摘しましたが、日本は戦後、“永遠の平時を維持する”とされる幻想を醸造してしまい、有事に備える思考(制度設計)が抜け落ちてしまいました。それは国家運営に限らず、国民やメディアの有事アレルギーが、主権国家では当然の権利であり、統治機構としては当然の義務である“有事に備える思考”をセンシティブ(繊細)なテーマにしてしまいました。

 

 これらの、国民感情、ロビー団体の存在、戦後レジームが、感染症対策の選択肢を狭めている要因と思われます。私たちは単に、政権批判や感情論に流されるのではなく、扇動されないためにもリテラシー教育や二大政党制の確立などで世論の意見を“国益を反映した政策”へと昇華し、一方のロビー団体が強くならないように各々が声を上げ、有事は常に存在することを念頭に戦後レジームと向き合うメンタリティを獲得する必要があります。それでこそ、民主主義の成熟といえるのではないでしょうか。




■米国大統領選挙の暴動

 こちらも、国民感情が作用した、大きな事件です。流石のトランプ大統領も後に暴徒を批判し、政権以降に協力する旨を表明しましたが、時既に遅しであることは間違いないでしょう。B.L.M.運動と同じ人物や組織が関与し、トランプ大統領がテロ組織として指摘していたことは事実ですが、根本的に現職の大統領が支持者の集団を扇動し議事堂にまで進行し、その後の暴徒を愛国者だとTweetしたことには、とてもではありませんが擁護できないものがあります。

 

 確かに選挙制度に不正はあったかもしれません、しかし民主主義の手順を持って行われた選挙と、その不正の是非を問う司法と、最終的な結果を下す議会が存在する民主主義国家に於いて、暴力という行為は認められません。勿論、歴史的に暴力によって勝ち取ってきた民主主義の権利は存在しますが、時代性や民主主義の成熟度合い、慣習を鑑みれば今回の暴動を正当化するには些か無理があるように感じます。 

 

 2024年の大統領選挙にトランプ氏が出馬するシナリオは薄れたと思いますが、今後もこの火薬庫を米国が抱え続けるとすれば、SNSアカウントの停止にも一定の理解は示せます。ただ、そものもの原因が2016年以前の分断を起点としていると考えれば、この動きがかえってトランプ支持層の孤立化を強め、共和党の“トランプ化”及び米国の分断が深まるのではないかと懸念も存在します。

 

 何より今回の事案は、米国と対立する各国にとってこれほど望ましい結果はなかったでしょう。米国内で米国民によって民主主義が否定され、国力の衰退を喧伝してしまったのですから。特に今回は暴動の裏で、香港では約50人の民主派が国家転覆罪として逮捕されました。本来であれば人権政策を重視するバイデン次期大統領は、大きく批判を表明するところですが、足元が崩れかかっている状態では、説得力は全くなく、バイデン政権にとって米国の優位性や影響力が損なわれるスタートとなってしまいました。

 

 日本にも過剰なまでのトランプ支持者も存在しますが、バイデン政権が親中派かどうかより、米国の影響力が加速度的に弱まっている点に問題を感じています。とはいえ、以前から指摘しているように、中国の台頭やインドが日本のGDPを抜く将来が既に差し迫っている状態で、米国に頼るだけではなく、協力関係を強化しつつ、他の西側諸国や東アジア地域との連携を強化することがより重要であることは変わらず、それが確信として日本を含む各国に広がったものでしょう。


 

 本日はここまでです。"民主主義を溶かす3つの幻想"と題したテーマの中で、民主主義が“政治の素人化”によって変容しつつある旨を指摘しましたが、日本の緊急事態宣言と米国の国会議事堂暴動はそれを体現した出来事であるように思います。溶解とまではいかないまでも、民主主義が正しく機能しているが故に起きた問題として、変容が始まっていると思います。

 

 労働環境や生活様式だけではなく、国家体制までもが変化を求められる時代では、一人一人がリテラシーとして本質を考え、共有し、発言する世界線の重要度がより高まってくるでしょう。YouTubeを初め、書籍などでも知識系が勃興していることにも、その影響があるように思います。私自身も拙いながら、一人の人として、読者の皆さんと意見の共有や議論を深められるように一緒に歩めればと考えています。

 

 では、本年もよろしくお願いします。


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